(3月29日付の続きです。
写真は1980年代、道内の新聞販売店が掲げていたホウロウ看板。当時は読売・毎日新聞と一緒に配達していた販売店もあったようだ)
小説新潮に、増田俊也さん(50)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目した——の第74回。
【 小説新潮2015年12月号=連載③366ページから 】
権藤さんはそう言って僕から倍尺を奪った。
「次は原稿についてだ。原稿はふたつの種類がある。
手書きの生原稿と、これ、モニター原稿だ。これがうちの記者が書いた生原稿。手書きで書いて、それを支社や記者クラブからファックスで送ってくるのを報道のデスクが直して、さらに整理のデスクが直してここにくる。
整理の面担も直していいんだぞ。整理には編集権がある。向こうが原稿持ってきても掲載する価値がないと判断したら入れなくてもいい❶。それから——」
聞いていられなかった。
今日から社会部で取材をしている河邑と武藤のことを考えていた。道庁記者クラブ遊軍として取材をしているだろう浦ユリ子さんのことを考えていた。
( 中略 )
それぞれが記者としての第一歩を歩み出したなかで、どうして僕だけがこんな子供の遊びみたいなこと❷をしなくちゃいけないんだ——。
「ほおい、社会面。たくさん来たぞ~」
もじゃもじゃ頭の整理デスクが生原稿とモニター原稿を手にやってきて、権藤さんの机の上にどさっと❸置いた。
❶向こうが原稿持ってきても……入れなくてもいい
「向こう」とは、出稿部。
入れなくてもいい?——うーむ……これも、どうなんだろう。
確かに、昔は〝大整理部主義〟と言われた時期が編集にあって、
「整理部がニュースの価値判断や掲載判断をしていたのじゃ。主導権をもっていたのじゃ」
と、小説の権藤くんの発言のようなことを大大大先輩に聞いたことがあった。
「整理の面担が手直ししていい」は、てにをは直しレベルとしても、
「入れなくてもいい」は問題——かなり問題ではないか。
1人の整理面担が、記事の掲載・価値判断をするのは危険ではないか。
結論——整理面担は、掲載操作をすべきではない。
❷こんな子供の遊びみたいなこと
繰り返し書きます。
小説主人公の野々村くんは
〝ジャーナリストだから、颯爽と黒塗りハイヤーを乗り回して道警や道庁に取材に行きたい〟
と考えている。
だから、整理部の仕事が「こんな子供の遊び」として映るのだろう。
…………困ったなぁ、扱いにくいなぁ、野々村くん。
❸生原稿とモニター……机の上にどさっと
新聞社編集局や整理部の人は、このあたりで〝アレ、そーなの?〟と思ったはず。
整理部デスクから各面担への打ち合わせ(➡︎出稿メニューを見て、アタマは◯◯、カタは◯◯、あとはイッテコイだなぁと指示を出す)が行われていない。
組みページが少ない夕刊とはいえ、当時の北海タイムス紙はそうだったのかしらん。
———というわけで、続く。