降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★「廃墟展」は退廃美だった。

2016年03月31日 | 新聞


朽ちかけた僕と同じ(笑)ような廃墟やナントカ跡が好きなので、
「変わる廃墟vs行ける工場夜景展」
に行った(東京・台東区浅草橋「TODAYS GALLERY STUDIO」で4月3日まで。入場料 500円)。

つわものどもが夢のあと——。
栄枯盛衰——。
諸行無常——。
かつて栄えた街、昔は賑わったであろう遊園地やホテル跡など、パネル展示された廃墟写真に見入ってしまった。
8人の写真家たちの、暗く、汚く、不気味に無残な姿を写した写真は、いずれも
「よく、このアングルから撮れたなぁ」
「〝葬景〟かぁ。いいネーミングだなぁ」
と思うものばかり(会場内撮影可なのが嬉しい=写真)。
ビルの骨組みが剥き出しになり、配電が垂れさがり、カビやサビやゴミがあふれる灰色の廃墟でも、なぜかツタや草だけは生き生きとしている。
……ただ、やはり病院の跡だけはナニカを感じるので、すぐパスしたけど。

工場夜景マニアがいるのは新聞記事などで読んでいたけど、会場では工場好きな人たちがパネルに見入って薀蓄を語り合っていた。
——明と暗、現在と過去の写真展なのだった。

★「北タイ物語」を読む (74)

2016年03月30日 | 新聞

(3月29日付の続きです。
写真は1980年代、道内の新聞販売店が掲げていたホウロウ看板。当時は読売・毎日新聞と一緒に配達していた販売店もあったようだ)

小説新潮に、増田俊也さん(50)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目した——の第74回。

【 小説新潮2015年12月号=連載③366ページから 】
権藤さんはそう言って僕から倍尺を奪った。
「次は原稿についてだ。原稿はふたつの種類がある。
手書きの生原稿と、これ、モニター原稿だ。これがうちの記者が書いた生原稿。手書きで書いて、それを支社や記者クラブからファックスで送ってくるのを報道のデスクが直して、さらに整理のデスクが直してここにくる。
整理の面担も直していいんだぞ。整理には編集権がある。向こうが原稿持ってきても掲載する価値がないと判断したら入れなくてもいい❶。それから——」
聞いていられなかった。
今日から社会部で取材をしている河邑と武藤のことを考えていた。道庁記者クラブ遊軍として取材をしているだろう浦ユリ子さんのことを考えていた。

( 中略 )
それぞれが記者としての第一歩を歩み出したなかで、どうして僕だけがこんな子供の遊びみたいなこと❷をしなくちゃいけないんだ——。
「ほおい、社会面。たくさん来たぞ~」
もじゃもじゃ頭の整理デスクが生原稿とモニター原稿を手にやってきて、権藤さんの机の上にどさっと❸置いた。



❶向こうが原稿持ってきても……入れなくてもいい
「向こう」とは、出稿部。
入れなくてもいい?——うーむ……これも、どうなんだろう。
確かに、昔は〝大整理部主義〟と言われた時期が編集にあって、
「整理部がニュースの価値判断や掲載判断をしていたのじゃ。主導権をもっていたのじゃ」
と、小説の権藤くんの発言のようなことを大大大先輩に聞いたことがあった。
「整理の面担が手直ししていい」は、てにをは直しレベルとしても、
「入れなくてもいい」は問題——かなり問題ではないか。
1人の整理面担が、記事の掲載・価値判断をするのは危険ではないか。
結論——整理面担は、掲載操作をすべきではない。

❷こんな子供の遊びみたいなこと
繰り返し書きます。
小説主人公の野々村くんは
〝ジャーナリストだから、颯爽と黒塗りハイヤーを乗り回して道警や道庁に取材に行きたい〟
と考えている。
だから、整理部の仕事が「こんな子供の遊び」として映るのだろう。
…………困ったなぁ、扱いにくいなぁ、野々村くん。

❸生原稿とモニター……机の上にどさっと
新聞社編集局や整理部の人は、このあたりで〝アレ、そーなの?〟と思ったはず。
整理部デスクから各面担への打ち合わせ(➡︎出稿メニューを見て、アタマは◯◯、カタは◯◯、あとはイッテコイだなぁと指示を出す)が行われていない。
組みページが少ない夕刊とはいえ、当時の北海タイムス紙はそうだったのかしらん。

———というわけで、続く。

★「北タイ物語」を読む (73)

2016年03月29日 | 新聞/小説

(3月25日付の続きです。写真は本文と関係ありません)

小説新潮に、増田俊也さん(50)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目した——の第73回。

*増田俊也(ますだ・としなり)さん
1965年=愛知県生まれ。
1989年=北大中退後、北海タイムス入社。
1992年=中日新聞に転社、中日スポーツ報道部記者。
2006年=『シャトゥーン・ヒグマの森』で「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞受賞。
2012年=『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか』(新潮文庫)で大宅壮一賞、新潮ドキュメント賞をダブル受賞。
ほかに、自伝的青春小説『七帝柔道記』(角川書店)など。
*北海タイムス(ほっかいタイムス)
1901年=北海タイムス創刊。
1942年=戦時統合で北海道新聞に統合。
1946年=道新僚紙として「夕刊北海タイムス」再刊。
1949年=「北海タイムス」に改題。
1962年=東京の日刊スポーツ新聞社と提携、日刊スポーツ北海道版を発行。
1998年=9月1日自己破産、2日廃刊。


【 小説新潮2015年12月号=連載③366ページから 】
権藤さんはそう言って僕から倍尺を奪った。
「次は原稿についてだ。原稿はふたつの種類がある。
手書きの生原稿と、これ、モニター原稿❶だ。これがうちの記者が書いた生原稿。手書きで書いて、それを支社や記者クラブからファックス❷で送ってくるのを報道のデスクが直して、さらに整理のデスクが直してここにくる。
整理の面担も直していいんだぞ。整理には編集権がある❸。向こうが原稿持ってきても掲載する価値がないと判断したら入れなくてもいい。それから——」
聞いていられなかった。
今日から社会部で取材をしている河邑と武藤のことを考えていた。道庁記者クラブ遊軍として取材をしているだろう浦ユリ子さんのことを考えていた。

( 中略 )
それぞれが記者としての第一歩を歩み出したなかで、どうして僕だけがこんな子供の遊びみたいなことをしなくちゃいけないんだ——。
「ほおい、社会面。たくさん来たぞ~」
もじゃもじゃ頭の整理デスクが生原稿とモニター原稿を手にやってきて、権藤さんの机の上にどさっと置いた。写真も二枚あった。
「よし。原稿がだんだん揃ってきた——」
権藤さんがまたそれを仕分けし始めた。
僕は座って見ていた。



❶手書きの生原稿と、これ、モニター原稿
小説の時代設定は1990年4月(当時の北タイは手貼りCTSで組み版していた)。
紙の原稿用紙に記者が手で書いた生原稿と、共同通信からの配信モニターのこと。
生原稿は漢テレ課に送り、人力でパンチ入力しホスト送信、
共同モニターも、コード番号と面数をつけてホスト送りしていた(と思う)。

❷ファックス
「おぉ~面白くなってきたなぁ、この小説」と思いながら読みすすんできた校閲部の赤鉛筆が、ぴたっと止まる箇所。
ファックス——。
新聞社のルールブック「記者ハンドブック/新聞用字用語集13版」の外来語・片仮名語用例集をみると、
ファクス、ファクシミリ
(最新13版でも変わっていないなぁと思いつつ)著作物なので、このまま行ってください。

❸整理の面担も……編集権がある
整理部の面担(紙面担当編集者)が原稿に手を入れてもいい?
——うーむ、うーむ、うーむ。
これ、どうかしらん。
新聞社によって異なるところ。
僕も整理部ど新人のころ、先輩整理デスクに
「整理部は〝第一の読者〟だからな。おかしいと思ったら(出稿に)聞くなり手直ししていいんだぞ」
と、小説と同じようなことを言われた。
出稿・整理の2人のデスクの目をすり抜けたミス(➡︎被害者名と加害者名が混在とか、日時とか)、てにをは直しは当然するけど、あまりテキストに手を入れるのは事故のもとになるのでいかがなものか(➡︎ほかに、グループ他社配信も絡むし)。
まず、出稿デスクに聞く!
新聞社によっては、改行すら「修正不可!」としているところもあるのだ。

———というわけで、続く。

★堂場ミステリー、最大の謎は…。

2016年03月28日 | 新聞/小説

堂場瞬一さん(52)の文庫書き下ろし『愚者の連鎖/アナザーフェイス7』(文春文庫3月新刊、税別 720円=写真)を読んだ。

*関係ないけど「フェース」
新聞社のルールブックで、このほど大改訂した「記者ハンドブック新聞用字用語集13版」では、
「フェース」
に表記統一としながらも、
「フェイスブック」(商標だからね!)
と表記しましょう、といっている。
改訂で外来語・片仮名語用例をかなり見直しているが、
「メイン」(複合語=イベント、スタンド、バンク)
「リメーク」
「メーク」
「メード・イン・ジャパン」
と、けっこう〝うーむ……〟なところがある。各新聞社のローカルルールが増えそう。

*堂場瞬一さん
1963年生まれ。茨城県出身。青山学院大国際政治経済学部卒。
2000年に『8年』で第13回小説すばる新人賞受賞。
2012年に読売新聞退社後、スポーツ小説、警察小説など多くのシリーズを発表。
2015年『Killers上・下』(講談社)で著作 100冊達成。


書き下ろし「アナザーフェイス」シリーズは売れているなぁ。
累計 120万部突破だもん(印税いくらだぁ?)——ということはさておき。
【邪魔にならない程度のストーリー】
参事官の指令で、なぜか完全黙秘を続けている連続窃盗犯の取り調べをすることになった、刑事総務課の大友鉄。
難航する取り調べに、参事官に加え、事件担当検事までが所轄署に現れた。
事件の背後には何かが隠されている——。


「アナザーフェイス」シリーズに一応の区切り&新展開予感の第7作目。
面白かった。
ひとり息子の優斗くんは料理好き中学生に成長。
そして警察で後ろ盾だった後山参事官はムニャムニャ、捜査一課同期の敦美刑事もムニャムニャ。
天敵の東日新聞記者もムニャムニャになった——。
警視庁vs神奈川県警の縄張り争いを挟み込み、シングルファーザー刑事を主人公にしている警察小説の軸は変わらず。
ミステリーとしてのラストに〝こう来たか!〟だったけど、僕には堂場さんの驚異の量産ぶりのほうが、はるかにミステリー。
デビュー14.5年で 100冊は凄いレコードだと思うし〝事件〟ではないかしらん。
*堂場さんの量産を例えるなら……
僕たち新聞社整理部でいうなら、フロント1面を組みながら社会面とスポーツ面を、毎版3ページ同時に組んでいくような感じ?(ちょっと違うか)

堂場さんは読売在社時代、スキマ時間にスマホで小説を執筆していたという。
多彩なシリーズを書き分けながらの〝ほぼ月刊〟新刊ラッシュは……一時期の西村寿行さん超えではないか(⬅︎古いぞ!)。

★「北タイ物語」を読む (72)

2016年03月25日 | 新聞

(3月23日付の続きです。写真は本文と関係ありません)

小説新潮に、増田俊也さん(50)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目した——の第72回。

【 小説新潮2015年12月号=連載③366ページから 】
権藤さんはそう言って僕から倍尺を奪った。
「よし。一段は何倍ある」
「えっと、十五倍ですか……」
「そうだ。じゃあ二段は何倍だ」
「……三十倍ですか……」
「違う。一段目と二段目の間にスペースがあって横線で上下に仕切られてるだろ。この横線を段罫❶っていう。これが一倍のスペースとるから二段は三十倍プラス一倍で三十一倍だ。じゃあ三段は何倍だ」
「えっと……四十六倍……ですか」
「おまえ算数できないのか。三十一倍プラス三段目が十五倍、もうひとつ段罫ぶんの一倍を足して四十七倍だろ」
「あ、はい……」
「あとは自分で倍尺よく見て覚えとけ」
僕の机に倍尺を放り投げた。
放り投げることないじゃないか。だいいち覚えるとか覚えないとか、そのレベルのことじゃない。こんなこと覚えてもしかたない❷じゃないか。誰でもできるじゃないか——。
「次は原稿についてだ。原稿はふたつの種類がある。
手書きの生原稿❸と、これ、モニター原稿だ。これがうちの記者が書いた生原稿。手書きで書いて、それを支社や記者クラブからファックスで送ってくるのを報道のデスクが直して、さらに整理のデスクが直してここにくる。
整理の面担も直していいんだぞ。整理には編集権がある。向こうが原稿持ってきても掲載する価値がないと判断したら入れなくてもいい。それから——」
聞いていられなかった。



❶段罫
新聞紙面の段と段の間に入る、細い横線が段罫(だんケイ)。中段罫(なかだんケイ)とも。
小説当時(1990年4月)の北海タイムス紙の中段アキは1倍(88ミルス=8U)だが、その後のCTS(コンピューター編集・組み版)の進歩と基本文字サイズの拡大で、必ずしも1倍ではなくなった。
特に、記事をケイでまくハコ(箱組み、ボックス)をつくるとき、当時の北タイが使用していた13文字の天地サイズ(9.2U)だとハンパが出るので、12U=1.5倍とることもあった。

*ケイとアキの違い
段ケイが入った紙面はニュース面、対してケイが入っていない面は企画、読みもの、特集面。
また、段ケイがあると記事は下段にしか流れないが、ケイがなく中段アキの場合は左方向に流れ、見出しなど障害物があってもまたげる。
このルールをうまく使っているのが、日経最終面「文化」。見出しがある上下だけ中段ケイをヌイて、見出しをまたいで流している。


❷こんなこと覚えてもしかたない
……野々村くん(⬅︎記憶アリマセン覚エテイマセン連発の号泣元県議ではなく(笑)小説の主人公23歳)は書き手、取材記者配属希望だった。
だから、整理部の仕事は無関心というか不愉快なようだ。困ったなぁ……と、一読者の僕。

❸手書きの生原稿
小説の時代設定は1990年。
1978年の日経アネックス、1980年の朝日ネルソン開始から10年ほど経ち、ほとんどの新聞社がCTSに移行していた(主要新聞社のCTS完了は1993年と言われている)。
北タイはワープロ入稿ではなく、生原(なまげん)=手書き原稿➡︎ファクス送信だったようだ。
B5判サイズの13字マス目入り「北海タイムス原稿用紙」を使っていたのだろう。

———というわけで、続く。

★「CTS」38周年なのだ。

2016年03月24日 | 新聞


節目の年でもなく……
メモリアルイヤーでもないけど……
3月12日は
「新聞社のコンピューター編集・組み版(初期CTS)が始まって38年」
だった。「CTS」38歳!
鉛活字を1本も使わず、日本で初めてCTS(日経アネックス)で新聞をつくった日(1978年3月12日付東京本社紙面)が、日本の新聞CTS元年(かな)。

▽従来の鉛活字組みと全く同じ紙面をつくれ!
▽「ナゼ日本ノニュースペーパーハ、ページヲ跨イデ記事ヲ流セナイ?」
「見出シト地紋ノ違イハ何?」
「ナゼ罫ガ複数モアルノダ?」
(システム開発を担当した米国IBM本社)
——とまで言われた日本語タテ組み新聞の電算編集プロジェクト開発に挑んだ、当時の日経新聞整理部・印刷局、朝日新聞整理部・ネルソン開発部の大大大大大先輩がたの尽力はいかばかりだったろう。

多くの情報を取り入れ第二の日経をつくる——
製作人件費が経営を圧迫する日が必ずくる——
目的が異なるがいち早く1950年代後半から、新聞の電算化に着手した2社。
膨れあがるシステム開発費に何度も計画断念に追い込まれながらも、続行を決断した2社経営陣。
日経新聞、朝日新聞ともに社運をかけての壮大なデジタル・プロジェクトだったことは、杉山隆男さんの名著『メディアの興亡』(文春・新潮文庫=写真=いずれも絶版)をひもとくと分かる。

鉛活字・活版から電算処理までの印刷技術革新、そして名門新聞の迷走と破綻まで、徹底取材して書かれた圧巻のノンフィクション『メディアの興亡』。
いま読んでも面白いし、産業記録にもなるのでは、と思う。絶版はもったいない。
文春学藝ライブラリー文庫で再刊しないかなぁ。
(ちなみに、新潮文庫下巻の表紙カバー写真は、初期の日経アネックスで組んだもの。当時のCTSはグリーンのラインだったのだ)

★「北海タイムス物語」を読む (71)

2016年03月23日 | 新聞

( 3月22日付の続きです。
写真は1997年4月19日付の北海タイムス )

小説新潮に、増田俊也さん(50)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目した——の第71回。

【 小説新潮2015年12月号=連載③365~366ページから 】
「新聞を作るときの単位は、見出しサイズも写真サイズの指定も含めてすべて倍数だ。一倍、二倍、三倍っていうふうに計算する。ミリでもセンチでもない。
いまはうちのT文字❶と一緒で一段十三字で組んでいるところが多いが、何年か前まで新聞はみな十五本どり❷だった。
その一倍活字の天地サイズが一倍という単位だ。
雑誌とか書籍の文字は級数って単位があるが、新聞の単位はすべてこの一倍で測る。
この倍数っていう感覚を早く身につけろ」
権藤さんはそう言って僕から倍尺を奪った。
「よし。一段は何倍ある」
「えっと、十五倍ですか……」
「そうだ。じゃあ二段は何倍だ」
「……三十倍ですか……」
「違う。一段目と二段目の間にスペースがあって横線で上下に仕切られてるだろ。この横線を段罫❸っていう。これが一倍のスペースとるから二段は三十倍プラス一倍で三十一倍だ。じゃあ三段は何倍だ」
「えっと……四十六倍……ですか」
「おまえ算数できないのか。三十一倍プラス三段目が十五倍、もうひとつ段罫ぶんの一倍を足して四十七倍だろ」
「あ、はい……」
「あとは自分で倍尺よく見て覚えとけ」
僕の机に倍尺を放り投げた。



❶いまはうちのT文字
小説の時代設定は「1990年(平成2)年4月」。
当時の北海タイムス紙の1段文字数は13字組みだったようだ。
じゃあ「T」って何だ?
たぶん、サーティーンの「T」か、タイムスの「T」。
*フォント名は各社自在
1990年代に入り、新聞社のコンピューター編集(初期CTS)が本格化すると同時に、1段の基本文字サイズの拡大競争が始まった。
15字ベタフォントを「S文字」とすると、
▽13字フォントをT文字
▽12字フォントをデカイからD文字
▽11字フォントをDの次だからD2文字
▽10字フォントをジャンボだからJ文字
と数年ごとにサイズ&フォント変更していった。
( ⬆︎新聞社によって文字フォント名称は違います。あくまで一例)
システム開発室がそのたびにバタバタとプログラム変更、僕たち整理部は
「もう何が何だかフォント名が分かんなくなっちゃった」


❷何年か前まで新聞は十五本どり
朝日新聞東京本社がCTSネルソンを開始したのは、1980年。
以後「目にやさしい朝日文字」をキャッチコピーに、基本文字サイズを数年ごとに拡大。
他社も83年以降「1段15倍13字」に移行したので、この〝何年か前〟は7年前ぐらいか。

❸段罫
「いやぁ~面白くなってきたなぁ、この小説」と読みすすんできた新聞社校閲部の赤ペンが、ピタッと止まる箇所。
新聞社の最新ルールブック「記者ハンドブック/新聞用字用語集13版」では、
けい(罫△)➡︎けい
〝△は漢字表にない字〟なので平仮名表記にしましょうといっているけど、著作物なので、このまま行ってください。


———というわけで、続く。

★「北海タイムス物語」を読む (70)

2016年03月22日 | 新聞

(きのう3月21日付の続きです。写真は、イメージです )

小説新潮に、増田俊也さん(50)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目した——の第70回。


【 小説新潮2015年12月号(連載第3回)365~366ページから 】
差し❶を縦に新聞にあててみな」
「あ、はい」

( 中略 )
実際の新聞になるとほんの少し、紙が数パーセント縮む❷んだ。だからずれていくだろ」
「はい……」
「新聞を作るときの単位は、見出しサイズも写真サイズの指定も含めてすべて倍数❸だ。一倍、二倍、三倍っていうふうに計算する。ミリでもセンチでもない。
いまはうちのT文字と一緒で一段十三字で組んでいるところが多いが、何年か前まで新聞はみな十五本どりだった。
その一倍活字の天地サイズが一倍という単位だ。
雑誌とか書籍の文字は級数って単位があるが、新聞の単位はすべてこの一倍で測る。
この倍数っていう感覚を早く身につけろ」
権藤さんはそう言って僕から倍尺を奪った。



❶差し
再び、繰り返し書きます。
差し=サシは倍尺(ばいじゃく)のこと。モノサシとも(サシ写真は3月2日付みてね)。
編集局整理部(=編集センター、編成部)と、制作局やグラフィック部などが使う。
材質を含め、目盛りや行数換算を工夫した各新聞社ごとの特注サシが多いけど、活版印刷時代は「タマノ」製が一般的だった。

*ハチハチゴーゴー時代
鉛活字で組んでいたころは、ほとんどの新聞が
1倍88(はちはち)活字15本どり・行間55(ごーごー)インテル
だったから、全国共通のタマノ倍尺でよかった(のかも)。
1980年代以降のコンピューター編集(初期CTS)開始と新聞基本文字サイズ拡大化(15字➡︎14字➡︎13字➡︎12字➡︎11字➡︎10字)で、各新聞社がサシを特注した。


❷実際の新聞は……縮む
整理部が組む段階では「組み寸」(くみすん)、
降版して刷版➡︎印刷センターで「刷り寸」(すりすん)に変換される。
現在の新聞はオフセットSF印刷なので、凸輪時代の縮小率とは数パーセント違う、と聞いた。

❸単位は……すべて倍数
小説の時代設定は、1990(平成2)年。
当時の北海タイムス紙は「切り貼りCTS」で組み版していた。
新聞社で鉛活字を使った活版印刷が終わり、コンピューター編集(初期CTS)が始まる1990年代から新たに
「U」(ユー=ユニットの略)
という編集単位が登場、「倍」と並行して使われはじめた。
1倍=88ミルス=8U(11ミルス=1U)
増田さんの小説にはまだUが登場してこない(連載第3回まで)ので、当時の北海タイムス紙では使用していなかったのだろうか。

———というわけで、続く。

★「北海タイムス物語」を読む (69)

2016年03月21日 | 新聞

(3月19日付の続きです。
写真は本文と関係ありません。東京の中学3年生がたった一人でつくった自主制作CG作品「2045」。クオリティーの高さに、デジタル・ネーティブここまで来たのかぁとビックリ )

小説新潮に、増田俊也さん(50)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目した——の第69回。

*増田俊也(ますだ・としなり)さん
1965年=愛知県生まれ。
1989年=北大中退後、北海タイムス入社。
1992年=中日新聞に転社、中日スポーツ報道部記者。
2006年=『シャトゥーン・ヒグマの森』で「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞受賞。
2012年=『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか』(新潮文庫)で大宅壮一賞、新潮ドキュメント賞をダブル受賞。
ほかに、自伝的青春小説『七帝柔道記』(角川書店)など。
*北海タイムス(ほっかいタイムス)
1901年=北海タイムス創刊。
1942年=戦時統合で北海道新聞に統合。
1946年=道新僚紙として「夕刊北海タイムス」再刊。
1949年=「北海タイムス」に改題。
1962年=東京の日刊スポーツ新聞社と提携、日刊スポーツ北海道版を発行。
1998年=9月1日自己破産、2日廃刊。


【小説新潮2015年12月号・連載第3回=365ページから】
「割り付け用紙を見るより、まず現物の新聞を見ればわかりやすい」横の朝刊をとって机の上に見開きにして広げた。
( 中略 )
「いいか。広告段数は毎日変わるから、デスクの横に吊してある書き割りを必ず確認❶してから、この割り付け用紙に設計図を組んで書いていくんだ。こいつを使って」
倍尺でパンパンと割り付け用紙を叩いた。
「差しを縦に新聞にあててみな」
「あ、はい」
倍尺には黒色でいろんな数字が書いてあるが、上から五センチくらいずつスペースを空け、赤い字で〈①〉〈②〉〈③〉と丸数字が入っている❷。
新聞の上にあててみると、どうやら一段目、二段目、三段目のところの印のようだった。
しかし三段目くらいから少しずつずれはじめ、⑤、⑥、⑦と、下にいくほどそのずれが大きくなる。



❶広告段数は毎日変わる……必ず確認
広告段数書き割り——どこの新聞社も同じなんだなぁ、と思った。
ある日の整理部ボード——。
【1面】
広告3段、ツキダシ②、ナカバサミ①、記事ナカ①、題字下1段29倍①
【2面】
広告5段(半5右=新潮新書、半5左=小説新潮)、ツキダシ右①
【3面】
広告5段、ツキダシ左①
【4面】
全広(健康食品サプリメント)注意・エリア版ごとに変更!
【5面】
広告5段
という感じで記されている。

広告5段でも
「全5段」
「半5が2個」
があるけど、広告管理は広告整理、広告局、制作局管轄なので、僕たち整理部には関係ない。
ただ、つかんで置くだけ~(LDT自動設定)。
2面「新潮新書」「小説新潮」は共に新潮社出稿だから広告間に細い仕切りケイは不要。
だけど、新潮社/講談社などと異なる出稿だと仕切りケイを入れるルールがある(ようだ)。

*書き割り担当は整理サブデスク
翌日付の広告段数は(だいたい)整理サブデスクが工程管理センター、オペレーションセンター宛てに前夜に送信し、整理部ボードなどにも記載される。
翌日の担当紙面が
「◯面=広告ナシ(ノーズロ)」
「◯面=とりあえず広告3段・行数によって取り外し可」
とあると、ガックリきちゃって次の日は休みたくなる。


*半5(はんご)が2個
半5が2個の場合、整理部には関係がないけど、右・左がかなり重要らしく、
「置く方を間違えるなよ!」
と広告整理のかたに聞いた。
また、なぜか
「新潮社は偶数面(ほとんど2面指定)が好き」
とも聞いた。そういえば、新潮社広告は奇数面がほとんどない。


*ノーズロ/取り外し可
「ノーズロ」は紙面下に広告ナシ➡︎大きな声では言えないけど、ナニモハイテナイこと。
「取り外し可」は記事量が多い〈首相◯◯全文掲載〉などで使う自社広告。
記事量次第で入れてもいいし、外してもいいよ調整用だから好きにしてね、という広告。


❷倍尺には黒色で……丸数字が入っている
驚いた。
これほど細かく、僕たち新聞社整理部の仕事や道具について記している小説は、やまだかつて(⬅︎かなり古いぞ)あったであろうか。
現在活躍している新聞社出身作家(堂場瞬一さん、本城雅人さん、仙川環さん、時事出身=相場英雄さん)は出稿出なので、小説内でも整理部業務をここまで細かく書いてはいない。
たぶん、作者の増田さんは北海タイムス時代のサシや割り付け用紙を保存されているのでは。


おっとぉ———長くなったので、続く。

★「北海タイムス物語」を読む (68)

2016年03月19日 | 新聞

( 3月18日付の続きです。写真は、本文と直接関係ありません )

小説新潮に、増田俊也さん(50)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目した——の第68回。

【 小説新潮2015年12月号 365ページから 】
「いいか。俺は親切じゃないから一回しか説明しない。ちゃんと聞いてろよ」
「あ、はい……」
心臓の鼓動はまだ収まらない。
「割り付け用紙を見るより、まず現物の新聞を見ればわかりやすい」横の朝刊をとって机の上に見開きにして広げた。
「新聞ていうのは十五段で構成❶されてる。文字が流れるところが上から十五個に分かれてるんだ。普段見慣れてるから数えたことないだろ。いいか、上から十五段ある」
そういって赤いサインペン❷で上から洋数字で1、2、3、4、5と順に書いていく。
「ここまでで十段。この日のこの面は記事のスペースが十段ある❸ということだ。そしてこの下の広告、この下にも段数が隠れてる」
ゴルフ場の広告が出ているところに横線を四本引いて五ブロックに分け、サインペンで1から5までの数字を書いた。


❶十五段で構成
小説の当時(1990年=平成2年)、北海タイムス紙をはじめブランケット判の新聞は全15段編成だった。
現在の12段編成になったのは、2008(平成20)年4月の朝日新聞から。

❷サインペン
校閲部の高齢世代のかたは、記者ハンドブックの「登録商標と言い換え」をチェックするかもしれない箇所。
以前、校閲のレジェンド的生き字引的大大大先輩から、
「サインペン➡︎フェルトペン」
と聞いた(間違っていたらごめんなさい。「セロテープ」も「セロハンテープに言い換えじゃぞ」とおっしゃっていた)。

❸この日のこの面は記事のスペースが十段ある
「横の朝刊をとって見開きにして広げた」とあるので、北海タイムス紙1990年4月中旬の朝刊紙面。
そのあとの記述に
「ゴルフ場の広告が出ている」
とあるので4~5面か、スポーツ面見開きを広げたのか。
バブル(1986年12月~1991年2月で換算)が弾けるまで数カ月あるので、ゴルフ場の広告がまだたくさん出稿されていたのだろう。
もう、あの時代は二度と来ないのかぁ(ため息)……。

———というわけで、続く。