【10月30日付の続きです。
写真は、本文と直接関係ありません 】
つい最近まで、新聞は鉛活字・活版で組んでいたのだよ────後世に書き遺しておこうかな、の第35回。
番外編の、これまた番外編として
「1990年ごろまで、なんと!なんと!手拾い文選で新聞を作っていた新聞印刷会社もあったのだよ=完結編(全3回)」
を書いておきます。
▼夜10時ぐらいまで、文選職人は活字を拾いに拾いまくった。
東京・新橋のS印刷工業【注・下段】。
夜10時、蛍光灯が明るい2階の文選・植字課では、8人の職人たちがカキゲン(手書きされた原稿)を片手に、
活字棚から活字を拾いまくっていた。
「ふぅ~、今日はこのぐらいで止めようか」
文選課長が言うと、職人の方たちは手拾いした活字の入った「木箱」と、カキゲンをまとめてゲラ刷り棚にしまった。
「さーて、新橋駅前の焼き豚まこちゃんで、ちょっと飲んでいこーかい」
▼ 1.5日でカキゲン手拾い完了────
残りは翌朝から、また手拾い作業に入り、翌金曜夜までに入稿された分を100%活字化するのだ。
僕が副業バイトしていた政党機関紙の工程は下記の通り。
オール手拾いだから、これぐらいは日数が必要だったのだろう。
▽ 木曜日午後=党本部からカキゲン80%入稿
▽ 金曜日=カキゲン残り20%もすべて拾い上げて、小ゲラ刷り。
定型ものは組み版課に回り、小組みされてゲラ刷り。
▽ 土曜日午前=僕ら整理、校閲スタッフらが校正室にどやどや集まり、レイアウトや校正の編集作業開始
同午後=決まりものページ読者の声欄や、コラムページは大組みスタート
▽ 日曜日=工場全休
▽ 月曜日午前=校閲の小ゲラ赤字を反映させながら、僕ら整理が8ページ組み上げる。
同午後2時=党本部での紙面チェックのため、全8ページを大量に大ゲラ刷りしてS印刷工業工程部が搬送。
同午後4時=僕たちバイト整理は、それぞれの新聞社へ「本業」仕事に向かう( だはははははははははははは )。
たまたま休みの整理は
「A新聞のBさん、ちょっと新橋駅ビル地下で軽くどーすか」
「おー、いいすね。Cさんとこはアケ休みが多くていいね。んじゃ、お先に失礼しまーす」(→駆け出し整理だった僕もよく誘われて、あの新橋駅ビル地下居酒屋で、レイアウトや紙面構成などいい勉強させていただいた)
同夕方=党本部での「直し」を入れて仮校了(←このあたりまで校閲デスクや整理デスクが残っていた)
【S印刷工業=えすいんさつこうぎょう】
徳間書店グループは当時、新橋ヤクルト本社隣にも日刊新聞社「Tタイ印刷」をもっていた( だから、S印刷工業で使う鉛活字は、一部がTタイ印刷工場で鋳植したものだった )。
90年代、この徳間系列2印刷社が統合、徳間事業団関連会社として別法人化し、
東京・江東区に最新鋭のCTS編集&オフセット印刷工場「徳間プレスセンター」を稼動させた。
その後2001年、まったく違う業種の企業に売却され、社名変更。
現在は読売新聞ほか他新聞の資本参加を受け、従来の賃刷りのほか、日刊紙サテライト印刷工場になっている。
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