降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★朝日記事が発端=『平成紀』を読む❸

2016年09月01日 | 新聞

(きのう8月31日付の続きです。写真は本文と関係ありません)

青山繁晴さん(1952〜)の『平成紀(へいせいき)』(幻冬舎文庫、税別540円)を読んだ。
青山さんが、あの1987(昭和62)年から共同通信政治部記者として「Xデー」を担当した最前線リアルを活写した情報小説。
わずか195ページ、とても面白かった。
というわけで、Xデーをめぐり、あのとき共同通信社の深奥で、さらに官邸で何があったのか、そして僕たち新聞社サイドでは……の第3回。
*青山繁晴(あおやま・しげはる)さん
1952年、神戸市生まれ。
慶應義塾大学文学部中退、早稲田大学政治経済学部卒。
共同通信記者(1979〜1997年)、三菱総研研究員を経て2002年、日本初の独立系シンクタンク「独立総合研究所」社長兼、首席研究員に就任。
2016年、参議院議員に当選。


【幻冬舎文庫『平成紀』主な登場人物】
▽楠陽(くすのき・よう)=通信社の政治部記者。
青山さんの等身大キャラ、35歳
▽常石功(つねいし・いさお)=別の通信社の政治部記者。
楠と同じ官邸記者クラブ員

【幻冬舎文庫『平成紀』24〜25ページから】
「問題はXデイだけじゃない。Yデイもある❶んだ」
ふいに、煙草で喉の荒れた声が蘇った。西暦一九八七年の初秋、政治部デスクが、昭和天皇報道の幕開けを告げた❷声であった。天皇、皇后両陛下の最期の日を指すこの符牒に、楠は馴染めなかった。
天皇報道が始まって一週間が過ぎ、天皇家の陵墓のひとつが自宅のすぐ背後にあることを楠は知った。

(中略)
天皇陛下の崩御はやがて確実にやってくる気配だが、ほとんど何の情報も政府から取れない日々が続いていた。
政府のその姿勢からして、天皇家の墓所はもっと厳粛に拒絶的なはずだった。
二十六歳だった楠は、首を動かさずにそろりと自転車に乗った。
「今日は、あの扉が開いているんだ」と三十八歳の楠は考えた。駅とは反対側へ、豊島岡御陵に通じる緩やかな坂道を登っている。
李将軍が思いがけず天皇を話題にしたのは、皇太后の崩御のためかも知れないと考えをめぐらせながら歩く。


❶Xデイだけじゃない。Yデイもある
青山さん独特の表記「Xデイ」。
Xデーが囁かれはじめたのは、1987(昭和62)年9月の朝日新聞スクープ
「天皇陛下、腸のご病気/手術の可能性も/沖縄ご訪問微妙」
以降。
青山さんの小説の記述は、この朝日記事を受けての、共同通信政治部デスクの発言。
(皇室担当の共同通信社会部と同社政治部——壮絶な縄張り争いがあったことも、チラリ書かれているのが面白い。
共同も、けっこうアレなんだねぇ←アレって何?www)
*朝日新聞1987年スクープ
同年4月29日の天皇誕生日86歳を迎えられた昼餐会で陛下が食事を戻された。
実は、その前年(1986=昭和61年)12月から、陛下の体重が毎月数百㌘ずつ減少していたことを侍従周辺は認識していた、という(文藝春秋2009年12月号、佐野眞一さん「ドキュメント昭和天皇の最期」から)。


❷西暦一九八七年の初秋……幕開けを告げた
青山さんらしい表記「西暦0000年」。
朝日スクープを受け、共同通信政治部がひそかに取材に着手した、ということ。
【同時期@新聞社】共同通信からの連絡を受け、新聞社の社会部、政治部では水面下うごきはじめた。だが、整理部ではXデー・チームの招集はまだない(←新聞社によるけど)。

❸符牒に、楠は馴染めなかった
青山さんが勤めていた共同通信社「記者ハンドブック・新聞用字用語集13版」は、新聞表記では書き換えましょうね、とする。
▽ふちょう
(符牒=漢字表にない字、符帳)➡︎符丁、符号、隠語
▽なじみ
(馴染み=漢字表にない字)➡︎なじみ

………というわけで、続く。

——————————————————
【1988=昭和63年】参考データ
▽2月10日=「ドラゴンクエストⅢ」発売。初日で100万本完売
▽3月17日=東京ドーム落成
▽7月6日=リクルート江副浩正会長、未公開コスモス株譲渡で辞任
▼9月19日=天皇が吐血・下血し容体急変
▽9月24日=ソウル五輪でベン・ジョンソンの金メダル剥奪。
鈴木大地さんが100m背泳ぎで金メダル
▽11月17日=東京外為1㌦121円52銭の戦後最高値更新
▼12月5日=天皇の最大血圧が40台まで落ち「極めて危険なご容体」に

【1989=昭和64=平成元年】
▼1月2日=天皇は体内出血があり、計1,400ccの輸血を受けた。
前年9月吐血以来の輸血総量は30,865ccに

▽1月4日=大発会で東証平均が 30,243円66銭の最高値更新。
米海軍機が地中海上空でリビア軍機2機撃墜。
▼1月5日=天皇、最大血圧が60に降下。
輸血を受けるも回復遅く、尿毒症の症状
▼1月7日=午前6時33分、十二指腸部の腺がんのため、昭和天皇87歳で崩御。
皇太子明仁親王が即位。
翌8日施行の新元号を「平成」と発表
▼1月8日=竹下首相を委員長に大喪の礼委員会設置
▼2月24日=大喪の礼。
164カ国の代表・使節参列

▽4月1日=消費税3%スタート
▽4月26日=民主化を求めて天安門広場に集結していた学生市民を、中国戒厳部隊が武力制圧
▽6月3日=歌手・美空ひばりさん死去。52歳
▽11月4日=横浜の坂本堤弁護士一家3人が行方不明に
▽11月9日=「ベルリンの壁」崩壊
▽12月29日=東証平均株価 38,915円の史上最高値

★あのスクープは=『平成紀』を読む❷

2016年08月31日 | 新聞

(きのう8月30日付の続きです。写真はイメージです)

青山繁晴さん(1952〜)の『平成紀(へいせいき)』(幻冬舎文庫、税別540円)を読んだ。
青山さんが、1987(昭和62)年から共同通信・政治部記者として「Xデー」を担当したときの、最前線リアルを活写した情報小説。
わずか195ページ、とても面白かった。
というわけで、Xデーをめぐり、あのとき共同通信社の深奥で、さらに官邸で何があったのか、そして僕たち新聞社サイドでは……の第2回。
*青山繁晴(あおやま・しげはる)さん
1952年、神戸市生まれ。
慶應義塾大学文学部中退、早稲田大学政治経済学部卒。
共同通信記者(1979〜1997年)、三菱総研研究員を経て2002年、日本初の独立系シンクタンク「独立総合研究所」社長兼首席研究員に就任。
2016年、参議院議員に当選。


【幻冬舎文庫『平成紀』主な登場人物】
▽楠陽(くすのき・よう)=通信社の政治部記者。
青山さんの等身大キャラ35歳
▽常石功(つねいし・いさお)=別の通信社の政治部記者。
楠と同じ首相官邸記者クラブ員

【幻冬舎文庫『平成紀』21ページから】
「小さな黒い、お顔でいらっしゃった」
昭和天皇が崩御されてから間もなくに、楠はそれを聴いた。
亡骸となられた天皇陛下に最初に拝謁したのは、あらかじめ定めたとおり内閣総理大臣❶だった。その様子は国民に何も知らされていない。
総理は私邸の古い日本家屋の玄関先で、記者だった楠に顔を寄せてそう言ってから、さあっと血の色が失せた。
「お顔が小さくなられていたのですか」と楠が驚きに打たれて聞くと、総理は何度も頷いてから「輸血が過ぎたのじゃないか」と言って黙した。
「それは推測ですか」と確かめると「推測だ。根拠はない。誰にも聞いてない」と総理は自分の小ぶりな両手の甲を眺め❷、裏返して掌を眺めた。



❶亡骸となられた……定めたとおり内閣総理大臣
内閣総理大臣は、竹下登氏(当時65歳)。後述に〝小ぶりな両手〟とある。
ちなみに、中曽根後継→竹下首相をスクープしたのが青山さん。
多くのメディアが〝時期首相・安倍晋太郎氏〟と打ち続けるなか、共同通信だけがブレずに一貫して〝竹下有力〟と打っていたから面目躍如か。
小説を読んでいくと取材者選択といい、取材交渉といい、青山さんの記者勘に唸る。
*亡骸(なきがら)
青山さんがいた共同通信の「記者ハンドブック・新聞用字用語集13版」ではつかえない。
なきがら
(亡骸=漢字表にない音訓)➡︎亡きがら
……勉強になるなぁ。


❷「それは推測ですか」……小ぶりな両手の甲を眺め
書いてもかまいませんか?と暗に聞いている楠記者に、いやダメだわな、と竹下首相が言ったシーン。
〈あのとき、陛下に輸血が過ぎたのではないか〉
とはいろいろなところで聞いた&読んだ覚えがあるけど、
「小さな黒い、お顔」
は生々しい。

……というわけで、続く。
——————————————————
【1988=昭和63年】参考データ
▽2月10日=「ドラゴンクエストⅢ」発売。初日で100万本完売
▽3月17日=東京ドーム落成
▽7月6日=リクルート江副浩正会長、未公開コスモス株譲渡で辞任
▼9月19日=天皇が吐血・下血し容体急変
▽9月24日=ソウル五輪でベン・ジョンソンの金メダル剥奪。
鈴木大地さんが100m背泳ぎで金メダル
▽11月17日=東京外為1㌦121円52銭の戦後最高値更新
▼12月5日=天皇の最大血圧が40台まで落ち「極めて危険なご容体」に

【1989=昭和64=平成元年】
▼1月2日=天皇は体内出血があり、計1,400ccの輸血を受けた。
前年9月吐血以来の輸血総量は30,865ccに

▽1月4日=大発会で東証平均が 30,243円66銭の最高値更新。
米海軍機が地中海上空でリビア軍機2機撃墜。
▼1月5日=天皇、最大血圧が60に降下。
輸血を受けるも回復遅く、尿毒症の症状
▼1月7日=午前6時33分、十二指腸部の腺がんのため、昭和天皇87歳で崩御。
皇太子明仁親王が即位。
翌8日施行の新元号を「平成」と発表
▼1月8日=竹下首相を委員長に大喪の礼委員会設置
▼2月24日=大喪の礼。
164カ国の代表・使節参列

▽4月1日=消費税3%スタート
▽4月26日=民主化を求めて天安門広場に集結していた学生市民を、中国戒厳部隊が武力制圧
▽6月3日=歌手・美空ひばりさん死去。52歳
▽11月4日=横浜の坂本堤弁護士一家3人が行方不明に
▽11月9日=「ベルリンの壁」崩壊
▽12月29日=東証平均株価 38,915円の史上最高値

★あの年、共同通信で何があった=『平成紀』を読む❶

2016年08月30日 | 新聞

青山繁晴さん(1952〜)の『平成紀(へいせいき)』(幻冬舎文庫、税別540円=写真)を読んだ。
青山さんが、1987(昭和62)年から共同通信記者として「Xデー」を担当したときの、最前線リアルを活写した情報小説。
わずか195ページ、とても面白かった。
というわけで、Xデーをめぐり、あのとき共同通信社の深奥で、さらに官邸で何があったのか、そして僕たち新聞社サイドでは……の第1回。

*独自の校正ルールと断り書き
文庫巻末に次の一文があった。
「作者の日本語に対する愛情と信念に基づき、同じ言葉でも漢字、ひらがな、カタカナ、ローマ字を場面によって自在に使い分けます。あえて統一しません。一般の校正基準とは異なります。(青山繁晴拝)」=ママ
この一文がけっこうインパクトあって、小説を貫いている。

*青山繁晴(あおやま・しげはる)さん
1952年、神戸市生まれ。
慶應義塾大学文学部中退、早稲田大学政治経済学部卒。
共同通信記者、三菱総研研究員を経て2002年、日本初の独立系シンクタンク「独立総合研究所」社長兼首席研究員に就任。
2016年、参議院議員に当選。
*『平成紀』は14年前の作品
幻冬舎文庫『平成紀』は2002年8月、文藝春秋から刊行された『平成』を改題し、さらに改稿したもの——とあり、同文庫版解説は花田紀凱さんが書いている。
意外だったのは、単行本2年後には自社文庫化が普通なのだけど、文春は文庫化していない。
ナニかあったのだろーか……。


小説『平成紀』——。
同小説は1987(昭和62)年から、1989(昭和64)年1月7日崩御、翌8日施行の新元号「平成」後を描いている。

【1988=昭和63年】参考データ
▽2月10日=「ドラゴンクエストⅢ」発売。初日で100万本完売
▽3月17日=東京ドーム落成
▽7月6日=リクルート江副浩正会長、未公開コスモス株譲渡で辞任
▼9月19日=天皇が吐血・下血し容体急変
▽9月24日=ソウル五輪でベン・ジョンソンの金メダル剥奪。
鈴木大地さんが100m背泳ぎで金メダル
▽11月17日=東京外為1㌦121円52銭の戦後最高値更新
▼12月5日=天皇の最大血圧が40台まで落ち「極めて危険なご容体」に

【1989=昭和64=平成元年】
▼1月2日=天皇は体内出血があり、計1,400ccの輸血を受けた。
前年9月吐血以来の輸血総量は30,865ccに

▽1月4日=大発会で東証平均が 30,243円66銭の最高値更新。
米海軍機が地中海上空でリビア軍機2機撃墜。
▼1月5日=天皇、最大血圧が60に降下。
輸血を受けるも回復遅く、尿毒症の症状
▼1月7日=午前6時33分、十二指腸部の腺がんのため、昭和天皇87歳で崩御。
皇太子明仁親王が即位。
翌8日施行の新元号を「平成」と発表
▼1月8日=竹下首相を委員長に大喪の礼委員会設置
▼2月24日=大喪の礼。
164カ国の代表・使節参列

▽4月1日=消費税3%スタート
▽4月26日=民主化を求めて天安門広場に集結していた学生市民を、中国戒厳部隊が武力制圧
▽6月3日=歌手・美空ひばりさん死去。52歳
▽11月4日=横浜の坂本堤弁護士一家3人が行方不明に
▽11月9日=「ベルリンの壁」崩壊
▽12月29日=東証平均株価 38,915円の史上最高値


ちなみに、この昭和64年1月の7日間を描いたミステリーが、横山秀夫さんの渾身『64/ロクヨン』(文春文庫)。
——ということはさておき、『平成紀』を読む!

★これが組合指令=「北海タイムス物語」を読む(161)

2016年08月29日 | 新聞

(8月28日付の続きです。写真は本文と直接関係ありません)

小説新潮に、増田俊也さん(1965〜)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目——の第161回。
*増田俊也(ますだ・としなり)さん
1965年=愛知県生まれ。
1989年=北大中退後、北海タイムス入社。
1992年=中日新聞に転社、中日スポーツ報道部記者。
2006年=『シャトゥーン・ヒグマの森』で「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞受賞。
2012年=『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか』(新潮文庫)で大宅壮一賞、新潮ドキュメント賞をダブル受賞。
ほかに、自伝的青春小説『七帝柔道記』(角川書店)など。
*北海タイムス(ほっかいタイムス)
1901年=北海タイムス創刊。
1942年=戦時統合で北海道新聞に統合。
1946年=道新僚紙として「夕刊北海タイムス」再刊。
1949年=「北海タイムス」に改題。
1962年=東京の日刊スポーツ新聞社と提携、日刊スポーツ北海道版を発行。
1998年=9月1日自己破産、2日廃刊。



【小説「北海タイムス物語」時代設定と、主な登場人物】
1990(平成2)年4月中旬。北海タイムス札幌本社ビル。
▼僕=北海タイムス新入社員・野々村巡洋(ののむら・じゅんよう)。東京出身、早大卒23歳。整理部勤務
▼萬田恭介(まんだ・きょうすけ)=北海タイムス編集局次長兼整理部長。青学英文科卒45歳
▼秋馬(あきば)=北海タイムス整理部部員。眼鏡をかけたガニ股で、空手愛好者
▼松田駿太(まつだ・しゅんた)=野々村と同期入社の整理部勤務。バイトとして校閲部にいたため社内事情に詳しい。名古屋出身の北大教養部中退24歳。
おそらく小説作者・増田さんの投影キャラ

【 以下、小説新潮2016年3月号=連載⑥ 319〜320ページから 】
松田さんが壁を顎でさした。
「俺たちはせっかく来たのに暇になっちまったんだよ」
そこには二枚の大きな紙が貼られ、赤の墨汁で筆文字が書かれていた。
《 新聞労連北海タイムス労組第三十七期中央執行部、第四十一指令。
本日、札幌本社整理部朝刊四面担当の秋馬謙信は面担業務を拒否せよ。以上 》

《 新聞労連北海タイムス労組第三十七期中央執行部、第四十二指令。
本日、札幌本社整理部朝刊二面担当の杉村史郎およびアシスタント松田駿太は面担業務を拒否せよ。以上 》
赤い墨汁❷が文字から垂れているので血判状のように見える。
「正直いうと、俺はこの腕章、もう外したい」
松田さんらしからぬ険しい表情だった。
朝野球で秋馬さんのことを笑うなと言ったときと同じだ。
「柔道家の先生、そう言わんと」
多々良さんが苦笑いして肩を叩いた❸。
「言葉が浮いているからだよ。
『不退転の決意』って言ってた組合の幹部が突然、他の新聞社に移ったりして。俺はうんざりだ。不退転てそんなに軽い言葉か」
本気で怒っているのはその眼の色でわかった。



❶《 新聞労連北海タイムス……拒否せよ。以上 》
新聞紙半分の白い紙に組合指令が朱筆で記され、編集局整理部に貼られていたということ。
僕は、この組合指令は見たことがないので「へぇ〜」だった。
指令を訳すと、こういうことか。
『新聞労連に加入している北海タイムス労働組合第37期の執行部から41回目の指令です。
本日組み朝刊4面を編集する、整理部・秋馬謙信くんは面担(紙面編集担当)業務を拒否してください。以上です!』
……「仕事するなっ!」と組合指令があっても編集局にいるわけだから、どーなんだろう。ほかの闘争方法はなかったのだろうか。
そーこー騒いでいるうちに、共同通信モニターやら自社原稿が、面担机に山積みになっていくのが見えるはずだし。
整理部員としてはやりきれない。

*北海タイムス整理部は〈打ち合わせ〉をしなかった?
連載初回から読んできて、整理部で編集打ち合わせ会議を行っていないのが、「アレ?」だった。
たとえば、18:00過ぎ——。
メーン整理デスクが部員を集めて、出稿予定表を渡しながら、
デスク「えーと、1面はアレをアタマにして、カタはアレ……早版はな。
後版で変えるかもしれないが、そのときはまた連絡する」
デスク「えーと、それでその流れを2面でウケて、サブにアレな……早版はな」
「あ、そーだ。2面は変形広告だから気をつけてくれ」
デスク「えーと、続いて3面は左カタにいつもの企画もの入れて、アタマはアレのドキュメントものな。
インフォグラ(インフォメーション・グラフィックス=写真や各種データを取り込んだビジュアルグラフ)をいま出稿がつくってるからサイズ確認してくれ。
それと、社会面ほかの面がグルグル変わるから、なるべく早版で止めてくれ、頼んだぞ」
という感じの打ち合わせ。
普通、編集開始前に行うと思う。
でも、社の方針かもしれないし、小説内での記述を省略しているのかもしれない。


❷赤い墨汁
赤い墨——「ん?」だった。
調べると、墨には朱墨・青墨・紫墨・茶墨があり、朱墨以外は黒色。
色調を表す表現らしい。勉強になった。

❸肩を叩いた
新聞記事では「たたいた」と平仮名表記だけど、小説・著作物なのでかまいません、このまま行ってください。

たたく
(叩く=漢字表にない字)➡︎たたく。たたき上げ、たたき売り、たたき台、たたきのめす
……と、新聞社のルールブック「記者ハンドブック・新聞用字用語集第13版」。
もうそろそろ〝解禁〟してほしい字。

———というわけで、
今回で一応、小説新潮連載「北海タイムス物語」を読む編はひと休み。
次は共同通信社のアレを描いた、アノ小説を読む編。

★新聞社禁煙はいつから?=「北海タイムス物語」を読む(160)

2016年08月28日 | 新聞

(8月26日付の続きです。写真はイメージです)

小説新潮に、増田俊也さん(1965〜)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目——の第160回。

【小説「北海タイムス物語」時代設定と、主な登場人物】
1990(平成2)年4月中旬。北海タイムス札幌本社ビル。
▼僕=北海タイムス新入社員・野々村巡洋(ののむら・じゅんよう)。東京出身、早大卒23歳。整理部勤務
▼萬田恭介(まんだ・きょうすけ)=北海タイムス編集局次長兼整理部長。青学英文科卒45歳
▼権藤(ごんどう)=北海タイムス整理部部員。痩せて顔色の悪い、長髪の30代半ば
▼松田駿太(まつだ・しゅんた)=野々村と同期入社の整理部勤務。バイトとして校閲部にいたため社内事情に詳しい。名古屋出身の北大教養部中退24歳。
おそらく小説作者・増田さんの投影キャラ

【 以下、小説新潮2016年3月号=連載⑥ 319ページから 】
ボーナス六万円……河邑太郎が昨日言っていたのは本当だったのだ。
それにしても、〇・六カ月で六万円ということは、組合員の平均基本給が十万円程度しかないことを意味している。平均年齢は四十歳くらいだろう。その年齢で基本給十万円——絶望的な数字だった。
重い気持ちを引きずりながらエレベーターで五階へ上がった❶。
編集局に入ると、夕刊のときとは違い、整理部の島はほとんど席が埋まっていた。
その人混みの上に煙草の煙❷が積乱雲のように、ゆらゆらと局全体に広がっていた。
デスク席には朝野球で会った堂島デスクが座り、原稿を素早くめくりながら赤のサインペンを走らせている。
松田さんと秋馬さんは地方部の空いた椅子の上であぐらをかいていた。
横には制作局の多々良さんも立っていて三人で何か話している。
多々良さんが僕に気づいて片手を上げた。
近づいていくと秋馬さんが怒りの眼で睨めてきた❸。



❶エレベーターで五階へ上がった
小説当時(1990年)、北海タイムスは札幌本社と旭川本社があったという。
札幌本社は地上8階建て、地下4階。
▽地下4階=輪転機(タワー型オフセット輪転だったので上階2階までブチ抜きか)
▽地下3階
▽地下2階
▽地下1階=印刷局ほか
▽1階=新聞社受付ほか
▽2階=委託印刷紙の編集室(?)
▽3階=日刊スポーツ北海道編集室だったかなぁ
▽4階=北海タイムス制作局(大貼りセンター)
▽5階=北海タイムス編集局・総務局
▽6階=(不明)
▽7階=(不明)
▽8階=入社式を行った会議室(高校の教室3つぐらいの広さ、と小説内記述)

❷人混みの上に煙草の煙
新聞社校閲部の〈要確認センサー〉が鳴り響くところ。

▽ひとごみ
(人込み)→【統】人混み
——2002年ごろは「人込み」に統一だったので、ちょっと困っちゃう。
▽たばこ
(煙草=漢字表にない音訓)→タバコ(植物)、たばこ(製品)、紙巻きたばこ、刻みたばこ、葉タバコ
【注】固有名詞の「葉たばこ審議会」は名称通り書く
——2つの煙草があるけど、新聞記事ではほとんど平仮名「たばこ」になるわけですね。

1990年の新聞社は社内喫煙可だったことが読み取れる(おおらかな時代だったのだなぁ)。
読売新聞にいた堂場瞬一さん(1962〜)は、新聞社が喫煙にうるさくなったのは「ここ15年ほど」と書かれていた。1990年代ぐらいまでは編集局は喫煙可だったようだ。
その後、CTS(コンピューター組み版・編集)端末やパソコンなどの編集局設置に伴い、完全禁煙に移行していった。
(どっこい、部長がヘビースモーカーだと「ローカルルールだ!」と称して午後8時以降は喫煙可になるセクションも無いわけではない、笑)。

*制作局は完全禁煙だった?
活版時代の制作局(鋳植、植字、組み版)は完全禁煙だったけど、新聞社によっては異なっていたようだ。
他社の大先輩に聞くと、
「大組みの近くに、水がタプタプ入ったでっかいバケツがあって、吸い殻を投げ入れていた記憶がある」
「さすがに、大組み台では灰が落ちて鉛活字を汚すので吸わなかったけどなぁ」
とおっしゃっていた。


❸睨めてきた
さすがに小説誌でも「睨(ね)めてきた」ルビをつけている。
「睨(にら)む」も、記者ハンドブック(新聞用字用語集13版)ではつかえない。
———勉強になるなぁと、続く。

★組合ビラ配りにはアレ=「北海タイムス物語」を読む(159)

2016年08月26日 | 新聞

(きのう8月25日付の続きです)

小説新潮に、増田俊也さん(1965〜)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目——の第159回。

【小説「北海タイムス物語」時代設定と、主な登場人物】
1990(平成2)年4月中旬。北海タイムス札幌本社ビル。
▼僕=北海タイムス新入社員・野々村巡洋(ののむら・じゅんよう)。東京出身、早大卒23歳。整理部勤務
▼萬田恭介(まんだ・きょうすけ)=北海タイムス編集局次長兼整理部長。青学英文科卒45歳
▼権藤(ごんどう)=北海タイムス整理部部員。痩せて顔色の悪い、長髪の30代半ば
▼松田駿太(まつだ・しゅんた)=野々村と同期入社の整理部勤務。バイトとして校閲部にいたため社内事情に詳しい。名古屋出身の北大教養部中退24歳。
おそらく小説作者・増田さんの投影キャラ

【 以下、小説新潮2016年2月号=連載⑤ 355ページから 】
玄関ロビーにたくさんの人がいた。
同期たちがいたらどうしようかと外から 窺う❶と、それらしき人影は見えない。
どうやら組合幹部の男女らしく、左腕に〈団結〉〈北海タイムス労組〉という赤い腕章を巻いて❷真剣な表情でビラを配っていた。
ストです❸!」
「お願いします!」
「今日、指名スト決行です!」
「お願いします! お願いします!」
大声がガラス越しに聞こえてくる。僕は怖々と中に入った。



❶窺う
画数の多い漢字は、だいたい新聞表記上つかえない(←僕の経験上ね)。
うかがう(窺う=漢字表にない字)
➡︎うかがう〔そっとのぞく、狙う、時機の到来を待つ〕家の中・顔色・機会・内部・寝息・鼻息・様子をうかがう
伺う
➡︎〔聞く・訪ねる・問うの謙譲語〕お宅に伺う、話を伺う

新聞社のルールブック「記者ハンドブック・新聞用字用語集第13版」(発行=株式会社共同通信社、編著者=一般社団法人共同通信社)では、平仮名表記にしましょうね、としている。
でも著作物・小説なので、このままでかまいません行ってください、と校閲部は言うよね。

❷組合幹部の男女……赤い腕章を巻いて
連載第1回の、不穏な「バケツの砂事件」を再び想起させるシーン。
小説当時(1990年)、北海タイムス紙の部数は「20万部ぐらい」。
北海道新聞=120万部
読売北海道= 20万部
朝日北海道= 15万部
毎日北海道= 7万部(いずれも連載第4回時のデータ)
20万部——県紙レベルとしては悪くはない規模だけど、
「北海道は内地と違って輸送が大変みたいなんだ。札幌とか旭川とか、そういうところはまだいいさ。でも牧場地帯とか農場地帯とか行くと、何キロか走って一軒、また何キロか走って一軒っていう状態なんだってよ。
その地区でタイムスの割合がたとえば一割だとしたら、何十キロか走って一軒、また何十キロか走って一軒だから。割に合うわけがない」(連載第4回時の河邑記者発言)
というから、かなり収支バランスが悪かったようだ。

ときはイケイケのバブル期(1986年12月〜1991年2月)とはいえ、崩壊まで10カ月。
そして、8年後にはタイムス社破綻(1998年9月)——組合活動が活発化していたのが読み取れる。
*印刷部門は?
小説内で記載がないのだけど、当時の北海タイムス印刷部門では聖教新聞や日刊スポーツなどのほか各種専門紙を賃刷り(ちんずり=委託印刷)していたので、その収益は別会計だったのだろうか。
新聞社と印刷社は別会社にしていたのだろうか。


❸ストです
北海タイムス労組のほか、新聞労連からも要員が来ていたのでは。
時期的には、夏季賞与一次回答。
A3判わら半紙に、タイトル朱色と黒字の2色印刷だったと思う。
*僕も配ったことがある
断れない整理部先輩に頼まれ、社員専用口で午前9時ぐらいに配った。
「おはようごさいまーす」
「まもなく夏季ボーナス回答でーす」
もちろん、社内の各部署各机ごとに組合ビラも配布した。
配布で必ず受け取ってもらえるのはティッシュペーパーを付けた組合ビラだけ(笑)
あれ、ビラ一枚一枚にホチキスでつけるの、かなり手間がかかるんだよねぇ。


————というわけで、続く。

★新聞社内服装は…=「北海タイムス物語」を読む(158)

2016年08月25日 | 新聞

(8月24日付の続きです。写真は本文と直接関係ありません)

小説新潮に、増田俊也さん(1965〜)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目——の第158回。

【小説「北海タイムス物語」時代設定と、主な登場人物】
1990(平成2)年4月中旬。北海タイムス札幌本社ビル。
▼僕=北海タイムス新入社員・野々村巡洋(ののむら・じゅんよう)。東京出身、早大卒23歳。整理部勤務
▼萬田恭介(まんだ・きょうすけ)=北海タイムス編集局次長兼整理部長。青学英文科卒45歳
▼権藤(ごんどう)=北海タイムス整理部部員。痩せて顔色の悪い、長髪の30代半ば
▼松田駿太(まつだ・しゅんた)=野々村と同期入社の整理部勤務。バイトとして校閲部にいたため社内事情に詳しい。名古屋出身の北大教養部中退24歳。
おそらく小説作者・増田さんの投影キャラ

【 以下、小説新潮2016年2月号=連載⑤ 355ページから 】
マンションの部屋は早朝出たときそのままにベッドが乱れ、ワインの空き瓶が二本転がっていた。
スーツを脱ぐと砂がフローリングに音をたてて落ちた。シャツを脱ぐときも砂が落ち、トランクスを脱ぐときも砂が落ちた。砂というのは小さな隙間❶からどこからでも入ってくるようだ。

(中略)
しかしいつまで経っても眠りに入れない。疲れて眠いのに脳の中だけ冴えて❷眠りに入れない。
三時半になったところで思い体を起こした。ここで本当に眠ってしまったら四時に起きるのが辛く❷なる。しかたなくシャワーを浴びた。
スーツは一着クリーニングに出してあるので、この一着しかなかった。うんざりしながら砂を払い、できるだけ皺を伸ばして着た❸。

(中略)
玄関ロビーにたくさんの人がいた。同期たちがいたらどうしようと外から窺うと、それらしき人影は見えない。どうやら組合幹部の男女らしく、左腕に〈団結〉〈北海タイムス労組〉という赤い腕章を巻いて真剣な表情でビラを配っていた。
「ストです!」
「お願いします!」
「今日、指名スト決行です!」
「お願いします! お願いします!」
大声がガラス越しに聞こえてくる。僕は怖々と中に入った。


❶隙間
新聞社校閲部なら、新聞表記上つかえるかチェックする漢字。
…………つかえます!(僕も知った!)
すきま(透き間)→(統)隙間
(統=二つ以上の表記があるもので、その一方を統一的に使うもの、統一用語)

❷いつまで経っても眠りに……冴えて/辛く
新聞表記ではつかえません3連発。
▼たつ(経つ=漢字表にない音訓)→たつ。10年たつ
▼さえる(冴える=漢字表にない字)→さえる。頭がさえる、顔色がさえない、さえた笛の音色、目がさえる
▼つらい(辛い=漢字表にない音訓)→つらい

新聞社のルールブック「記者ハンドブック・新聞用字用語集第13版」では、すべて平仮名表記にしましょうね、としている。
「経つ」ぐらいは〝解禁〟にしてほしいけど、新聞社によっては独自ルールでつかっている社もある。

❸スーツは一着……できるだけ皺を伸ばして着た
野々村くんは、北海タイムス編集局整理部勤務2日目。
季節は4月中旬だから、もう白いシャツとジャケットぐらいでいいと思う。スーツ、動きにくくね⤴︎(語尾上げ)

新聞社の出稿部・整理部・校閲部の社内服装はかなり異なる(と感じる)。
【出稿部】
部長・デスクからヒラ記者までネクタイ着用者が多い。
部全体ネクタイ着用率80%(推定)。
【整理部】
部長はネクタイ着用だけど、デスクあたりはしていたりノーネクだったり。
部全体ネクタイ着用率25%(推定)。
部員は(ネクタイが好きでない人以外は)ノーネクタイ。動きやすさファーストだよね。
だいたい、ボタンダウンのシャツ、ポロシャツ、チノパン、ジーンズ、カジュアルスラックスあたり。ドレスコードはかなりカジュアル、というか緩い。
*でも、さすがに怒られた例
僕の知人は夏、茶色いTシャツにダメージ・ジーンズ、サンダル、コンビニ袋に読み終えた日刊ゲンダイやらハンカチ、たばこ、ライター、文庫本を入れて出社したら、部長に怒られていた。
「鞄代わりにコンビニ袋とはなにごとだ! うちの社は、社員が鞄を買えるぐらいの給料は払っとる!」
あのぉ〜、サンダル履き出社が問題では普通、と思った……。


【校閲部】
部長・デスクはネクタイ着用。部員も着用が多くなった。
部全体ネクタイ着用率45%(推定)。
*赤サインペン注意!
整理部も校閲部も、赤サインペンを胸ポケットに挿すことが多いので、毎回キャップを閉めたか確認しましょうね。
ペン先を出したまま慌てて胸ポケットに入れ、胸もとを真っ赤にした(まるで胸を刺されたような)人を何十人も見た。


———というわけで、続く。

★整理部に徒弟制はない=「北海タイムス物語」を読む(157)

2016年08月24日 | 新聞

(8月18日付の続きです。写真は本文と直接関係ありません)

小説新潮に、増田俊也さん(1965〜)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目——の第157回。
*増田俊也(ますだ・としなり)さん
1965年=愛知県生まれ。
1989年=北大中退後、北海タイムス入社。
1992年=中日新聞に転社、中日スポーツ報道部記者。
2006年=『シャトゥーン・ヒグマの森』で「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞受賞。
2012年=『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか』(新潮文庫)で大宅壮一賞、新潮ドキュメント賞をダブル受賞。
ほかに、自伝的青春小説『七帝柔道記』(角川書店)など。
*北海タイムス(ほっかいタイムス)
1901年=北海タイムス創刊。
1942年=戦時統合で北海道新聞に統合。
1946年=道新僚紙として「夕刊北海タイムス」再刊。
1949年=「北海タイムス」に改題。
1962年=東京の日刊スポーツ新聞社と提携、日刊スポーツ北海道版を発行。
1998年=9月1日自己破産、2日廃刊。



【小説「北海タイムス物語」時代設定と、主な登場人物】
1990(平成2)年4月中旬。北海タイムス札幌本社ビル。
▼僕=北海タイムス新入社員・野々村巡洋(ののむら・じゅんよう)。東京出身、早大卒23歳。整理部勤務
▼萬田恭介(まんだ・きょうすけ)=北海タイムス編集局次長兼整理部長。青学英文科卒45歳
▼秋馬(あきば)=北海タイムス整理部部員。眼鏡をかけたガニ股で、空手愛好者
▼松田駿太(まつだ・しゅんた)=野々村と同期入社の整理部勤務。バイトとして校閲部にいたため社内事情に詳しい。名古屋出身の北大教養部中退24歳。
おそらく小説作者・増田さんの投影キャラ

【 以下、小説新潮2016年2月号=連載⑤ 354ページから 】
僕が頭を下げると、金巻さんが涙眼❶になった。
「おまえ、いいやつだな。困ったことがあったら何でも言ってこいよ」
「正直いって、僕、秋馬さんみたいに暴力的な人、好きじゃないんです。だからあんなふうに腕力が欲しいって考えなくてもいいと思うんです」
この人ならわかってくれると思った。
「そっか……。秋馬は不器用なんだよなあ。あいつは俺の弟子なんだよ。俺について整理習った❷んだよ。
俺はけっこう面白がって見てるけど、整理部では秋馬を嫌ってる先輩たちも多いんだよなあ」
僕と同じ感性の人たちがたくさんいるということにほっとした。
「よし。夕刊まで時間があるから区役所か消防署の食堂で朝飯❸食うか」
「いえ……かなり眠いんで、一度家で寝ます」
申し訳ないと思ったが、これ以上付き合うと頭がパンクしそうだった。
整理にきてまだ一日と数時間しか経っていないのに、社会部研修二週間以上の濃密さだった。



❶涙眼
新聞社のルールブック「記者ハンドブック・新聞用字用語集第13版」では、
(眼=漢字表にない音訓)
➡︎目、目新しい、目当て、目移り、目が据わる、目が出る、目が離せない……

新聞表記上ではつかえないので、校閲部は「涙目」にしてしまうところ。
ちなみに、相田みつをさんは
「なみだで洗われたまなこはきよらかでふかい」
という。相田節、全開なり。

❷あいつは俺の弟子なんだよ。俺について整理習った
整理部に徒弟制はない(いくらなんでも平成ですよ)。
秋馬くんが新入社員で来て、たまたまついた先輩整理が金巻デスクだった、ということ。
師匠・弟子という上下関係は無いけど、割り付け(レイアウト)のクセは、不思議に似てしまうことがあるので要注意なのだ。

❸夕刊まで時間があるから区役所か消防署の食堂で朝飯
札幌で発行している「日刊6紙整理部対抗朝野球大会」試合後だから、午前9時ごろか。
当時(1990年)の北海タイムスは夕刊1版制(=複数版をとらない)だったので、社に上がる午前10時30分〜11時ぐらいまで、かなり時間がある。
ファミレスやカフェで朝食をとるのではなく、区役所・消防署の職員食堂に行こうというところに、当時のタイムス社員の経済事情が読み取れる……。

———というわけで、続く。

★「戦国自衛隊」はあっちがいい!=角川映画祭編❸

2016年08月23日 | 新聞
©️KADOKAWA

(8月20日付の続きです)
角川映画40年記念「角川映画祭」に行った(角川シネマ新宿で9月2日まで)。
角川映画第6作「戦国自衛隊」(1979年)を超久しぶりに劇場で観たけど、
「うーむ……。やはり、最後のシーンがよく分からん」
だった。
福井晴敏原作リメーク版「戦国自衛隊1549」(2005年)の方がスタイリッシュで良かったかな、と感じた。
*「戦国自衛隊」
原作=半村良、脚本=鎌田敏夫、監督=斎藤光正
出演=千葉真一、中康次、江藤潤、夏木勲(夏八木勲)、かまやつひろし、鈴木ヒロミツ、岡田奈々、小野みゆきほか

*「戦国自衛隊1549」
原案=半村良、原作=福井晴敏、監督=手塚昌明
出演=江口洋介、北村一輝、綾瀬はるか、中尾明慶、伊武雅刀、鹿賀丈史、鈴木京香ほか


戦国時代に自衛隊一個部隊がタイムスリップするコンセプトは両作同じ。
「1979」年版は戦う相手が槍や刀の戦国武士だけど、「1549」版はタイムスリップし暴走した武装自衛隊——歴史を修正するため、江口チームが派遣されて戦国時代で激突するストーリーに一新されている。
ミリタリー大好き作家・福井晴敏さんの原作のほうが、練られているし(当たり前だけど)CG駆使の映像の迫力が違う。

今回観た「1979」版は、若き日のアノ人たちが出ていたので、ヘェ〜だった。
千葉真一さん=渋い
夏木勲さん=いい味
江藤潤さん=若い
三浦洋一さん=チャラい
にしきのあきらさん=浮いてる…
かまやつひろしさん=なぜ出演…
鈴木ヒロミツさん=太い…
岡田奈々さん=超かわいい
小野みゆきさん=今どこに…
角川春樹さん=セリフ棒読み……

角川映画全48作。
観たいのは、あと1983年「時をかける少女」、1980年「復活の日」……9月2日までに間に合うか。

★「犬神家の一族」はこっちがいい!=角川映画祭編❷

2016年08月20日 | 新聞


(8月11日付の続きです)
角川映画40年「角川映画祭」に行った(角川シネマ新宿で9月2日まで)=写真
角川春樹事務所製作第1作「犬神家の一族」(1976年)を劇場でウン十年ぶりに観た。
僕は2006年版リメーク「犬神家の一族」も観たけど、やはりこちら1976年版の迫力をあらためて感じた。
*「犬神家の一族」1976年版
監督・脚本=市川崑、原作=横溝正史、音楽=大野雄二
出演=石坂浩二、島田陽子、あおい輝彦、高峰三枝子ほか

*「犬神家の一族」2006年版
監督=市川崑、音楽=谷川賢作
出演=石坂浩二、富司純子、松嶋菜々子、尾上菊之助、松坂慶子ほか


面白かった❶=流し目ド迫力の高峰三枝子さん
犬神家の長女・松子役。
やはり気品がある。気高さがある。
白マスクの息子・佐清(すけきよ)とともに犬神財閥遺産を狙うが、犬神家三種の神器=斧・琴・菊(ヨキ・コト・キク)をつかった猟奇連続殺人が次々起きる。
柱の陰などで、高峰さんがキッとした表情を随所に見せる——光と影をつかった絶妙の映像美。
2006年版では、富司純子さん。

面白かった❷=若き日の角川春樹さん、横溝正史さん!
公開時は分からなかった(知らなかった)セリフ棒読み那須署刑事。誰だ。
今回観て、よーやく「よしっ、分かった!」若き日の角川春樹さんじゃん。当時34歳!
また、金田一耕助が宿泊した那須ホテル館主は、原作者・横溝正史さん。
*忘れられていた?横溝正史さん
角川映画40年記念出版・角川文庫『角川映画1976〜1986』(中川右介さん)に書いてあった。
春樹社長が文庫化版権交渉で横溝宅に出向いた折、遺族と交渉すると思っていたら、本人が生きて出てきたので仰天した——とあった。爆笑。


面白かった❸=初代が圧倒的にいい!
30年後のリメーク「犬神家の一族2006」は、全体的に〈老い〉を感じてしまう。
高齢者・石坂浩二さんが全力疾走するシーンには痛々しさを感じたし、大滝秀治、加藤武さんら全員が高齢者で……なぜ2006年版をつくったのだろう。
あらためて1976年版の力強さを、劇場スクリーンで再認識してしまった。


——重ねて思ったこと。
映画人、編集人、出版人、出版社長として角川春樹さん以上(←数々のスキャンダル含む笑)の、マルチな人は出ていないのではないか(上の世代は、徳間康快氏こそメディアミックス第一人者といいますね)。
時代の寵児、異能の人だった(←あ、過去形は失礼か)。
次は角川映画第6作「戦国自衛隊」、同7作「復活の日」、同20作「時をかける少女」あたりを観に行きたいな、と。