降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★「東京新聞」また1人新規購読…。

2012年10月31日 | 新聞

◆お断り 以下は、最近、僕の回りであったことであり、それ以上でもそれ以下のことでもありません。

東京新聞(中日新聞東京本社発行、以下「東京」=写真)定期購読がまた1部増えた。
「例の週刊朝日問題で朝日がイヤになった。同じ販売店だから、東京新聞に切り替えた」
と、先日お会いした知り合いの方(60代)。
9月ごろから、東京新聞に切り替えた人、僕の周囲で、これで3人目なのだ。

1年間に全体で数十万部単位で減り続けている日刊紙の中で健闘している(ような気がする)。
首都圏の朝日新聞販売店(ASA)では東京も扱っているから、購読変更もスムーズなのかも。
・朝日新聞の朝夕刊宅配=3925円(即売朝刊150円)
・東京新聞=同3250円(即売朝刊100円)
CP高し! 年間8100円の差はデカい(ような気がする)。

60代の知人「朝日と東京新聞、確かにページ数は違うが、うちみたいな普通の家庭には関係ないよね。
スクープ記事は東京はあまりないけど、先日の『ゴミ屋敷解消へ自治体本腰』など独自ネタは参考になった。
まぁ、スクープなんか普通の家庭には関係ないし」
「広告は、僕の好きな新刊広告は朝日が強いが、まぁ大した差はないし。
ウチは、宅配折り込み広告にユニクロやスーパーものが毎週末入っていればいいし」
と言っていた。
そうかぁ~、ユニクロ折り込み広告が決め手になることもあるのかぁ!


(^o^)

★「ちくま11 月号」連載も凄い(らしい)。

2012年10月29日 | 新聞
【写真は本文と関係ありません。
新潮社、朝日新聞出版のPR誌11月号と、川本三郎さんの新潮文庫最新刊『いまも、君を想う』=川本さんは週刊朝日OB。
……決して、週刊朝日問題をイメージしたものではありませんので】

筑摩書房PR誌「ちくま」11月号にも佐野眞一氏(65)の連載があり、凄い内容ですよ――と知人。

沈黙したままの佐野氏。
同誌では、例の「橋下」氏のことに言及、「クズ」とかムニャムニャとか、言葉にするのもはばかれるほど感情的な文章。
僕は氏の多くの作品を愛読してきたが、今回はいったいどうしちゃったのだろう。

――目を通してみてください。


(・o・)

★吉村昭さんが通われた居酒屋で秋刀魚を食す。

2012年10月28日 | 新聞
【以前にも書いた店かもしれません? 新聞の「お断り」風に書くなら、一部地域で、記事重複しました】
秋だから、作家・吉村昭さん(2006年死去、享年79)が、自宅で小説執筆後に通われた「炙り処武蔵」(東京都武蔵野市吉祥寺本町)に、広告会社の人と行った=写真。

店名は戦艦とは関係なく、ご主人が「宮本」さんだから。
わやわや混雑する中道通りから少し折れたビルの2階。きっぱり「日曜定休」の潔さがいい(喫煙オーケーだし)。

魚のおいしい店。秋なので、秋刀魚。
刺し身と焼き魚は、大人でないと分かりませんな(←グルメじゃないから、うまく表現できません)。
吉村さんは奥さまの津村節子さんとよく「コロッケ」を好まれたという。

で、数時間なにを話したのか――。
僕はまったく知らなくて衝撃を受けた、アノ問題。
「ノンフィクション作家・佐野眞一さんの過去の盗作盗用無断引用文問題はどうなのだ? 
『盗用とは呼べないだろ』という人もいれば、『本人が誌上で謝罪しているんだから、盗用だろ』……。
う~む、でも現役で書いているんだから大したことなかったのか? どうなんだそこんとこ。
え? どうなんだそこんとこ
やっぱし、こりゃ週明けに出版社の知人に聞いてみよう。そうしようそうしよう。
それにしても、連載第1回目のあの『週刊朝日』、ネット上で5000円で売買されていたぞ。う~むう~む」
だった。


( ̄▽ ̄)

★CTS機種選定は楽しかった=僕的『メディアの興亡』(09)

2012年10月27日 | 新聞
【10月13日付の続きです。
簡単にいえば、1980年代以降の大手新聞社をテーマにした『メディアの興亡』(杉山隆男、文春・新潮文庫=写真)で描かれたコンピューター新聞編集システム「CTS」と、当時ぺーぺー整理部員だった僕はどう格闘したか――です。
もっといえば、格闘はしていませんが】

これまでの話。
1980年、朝日新聞東京本社、日本経済新聞東京本社(ともに日本IBMが技術協力)それぞれの社運をかけて開発したCTS(コンピューター・タイプセッティング・システム)。
コンピューター編集――今では普通のことで、さらにDTPに進化しているけど、
当時は新聞社の上流部門(記事入稿・編集)から下流部門(印刷・配達)までガラガラポンする巨大製作革命だった。
朝日ネルソン(←CTSの愛称みたいなもの)、日経アネックスを開発した、偉大な大先輩たちが築いた技術をベースに、他社も一気にCTS化した。

で、僕の社。
遅ればせ、CTS化が決まり、編集からの開発準備室委員となった整理部のぺーぺーな僕は、室長から
「夜勤の編集さんには大変だろうけど、次回の機種選定委員会に出てくれませんか」
と言われた。
活字組み版→CTS稼動まで1年を切った、ある夏のクソ暑い日だった。
ぺーぺーな僕「あ、はい、了解しました。このところ、まったく会議に出ていませんので申しわけありません。次回は出ますので……」
室長「社から車で、川崎のメーカーに行ってもらいます。総勢12人ほどかな」

はぁ……機械チンプンカンプンの僕が、何か役にたつのかしらん。とりま、工場見学、楽しそう。
出稿部らのメンバーと社の車に乗り合い、川崎の大手家電メーカー工場に向かった。
そこで、僕たちが見たものは……。

――とても長くなったので、続きは後日(書くかも)。


(^o^)/

★篠山紀信さんの写真力もデカかった!

2012年10月25日 | 新聞
大きけりゃいいってもんじゃないけど、やはり大きいと迫力が違う――。
初台(新宿区)の東京オペラシティで開かれている「篠山紀信展 写真力」(一般1000円、12月24日まで)に行った=写真。

会場に入ったとたん、美空ひばりさん(1989年撮影)と三島由紀夫氏(1970)がドーンと目に飛び込んでくる「GOD/鬼籍に入られた人々」。
微笑む美空さんは縦6、横12メートルぐらいか。細部までくっきり見える。
大きいことはダイナミックだ。カラーより、白黒写真のほうが粒子が粗くなるためか迫力がある。

次のコーナーには、山口百恵さん(1977)ら芸能人がドッカーン。
篠山紀信さん(71)主戦場のポートレート空間。
縦3.4メートル横5.1メートルの百恵さん像は、現役アイドル時代の水着姿で、細部までくっきり見える(立ち止まって見入るのも、変なオジサンだからすぐ歩いた、笑)。
森光子さん(2008)ピンク・レディー(1976)小沢一郎氏(1993)AKB48(2010)大江健三郎氏(1985)吉永小百合さん(1988)らがデカい。

著名人ばかりでなく、東日本大震災被災地で生きる人々の写真もいい。
「写真の神様が舞い降りてくれた」という、瓦礫と化した街(名取市)を背景に、体操着姿の兄妹写真(2011)には胸が熱くなる。
小さな妹(7)を守ろうとする兄は、わずか9歳なのだ――。

1950年代後半から今日まで50年近く第一線を走り続けている紀信さんの、美術館での回顧的大規模展は、とても珍しいという。
なにか心境の変化でもあったのだろうか。

ドーンと引き伸ばし作業も大変だったろうけど、
観るほうも上を向いたままなので疲れたぁ~。


( ̄人 ̄)

★佐野眞一さん「パクリ癖」に絶句した。

2012年10月23日 | 新聞/小説

『宮本常一が見た日本』『東電OL殺人事件』『だれが「本」を殺すのか』『あんぽん/孫正義伝』などを面白く読んできた僕には、衝撃だった--。
僕は初耳だったが、他の人は知っている有名な話なんだろうか。

『天皇の影法師』『マガジン青春譜 川端康成と大宅壮一』『昭和16年夏の敗戦』などノンフィクションを手がけた猪瀬直樹・東京都副知事のツイッターを見て、
「えっ~? あのノンフィクション界の巨人と言われる佐野眞一さんに盗作癖!」
だった。

以下、猪瀬直樹氏ツイッター@inosenaokiから引用。
「月刊現代1985年11月号『池田大作「野望の軌跡」』(佐野眞一)は、
1981年三一書房刊『池田大作ドキュメント 堕ちた庶民の神』(溝口敦)からの盗用が10数箇所もあり、翌月「現代」12月号に「お詫びと訂正」。
このときから品性に疑問を持ち付き合いをやめた」(2012年10月19日01時35分)

「月刊現代1985年11月号盗作事件で平謝りからすぐ「新潮45」1986年9月号「ドキュメント『欲望』という名の架橋」(佐野眞一)は、
「創」1986年6月号「東京湾横断道路の大魔術」(佐野良衛)「川崎に扇島……」以下まる写し箇所。
半年後に再犯、もう付き合えないと思った」(2012年10月20日00時53分)
ほかにも数作に盗用跡があるという。

う~む。う~む。
佐野氏の肩を持つわけではないけど、いずれも25年以上前の若い時期30~40代の盗用(→時効だからいいじゃん、という意味ではないですよ)で、
当時は、引用と盗用の境目は緩かったのではないか。
ただ、「誤字まで引き写し」となると、アウト。

これほど度重なるパクリなのに、出版業界は見ないふりを続けたことになり、さらに「?」なのだった。



( ̄人 ̄)

★週刊P誌を100 万部にした名編集者に教えを乞う。

2012年10月22日 | 新聞
【10月9日付の続きです】
20日付朝日新聞土曜別刷り「be」を開いたら、島地さん(71)がいらっしゃった=写真。

【島地勝彦=しまじ・かつひこ】1941年、東京・奥沢生まれ。集英社「週刊プレイボーイ」編集長として100万部雑誌にし、「PLAYBOY」「Bart」でも編集長を歴任。
その後、集英社インターナショナル社長に就任、2008年退社後、念願の執筆活動に。

――で、その凄腕編集長が目の前なのだ。
9月オープンした「サロン・ド・島地」(東京・新宿伊勢丹メンズ館)に行った折、シガー(葉巻ですな)を教わったが、不明な点があったので再び伺った。
シガー吸い口をカットするのに必要なカッター(6000円)と、「パラタゴス・ショーツ」(2100円)を購入しながら、シガー学とふくよかな香りを楽しんだ。

同サロンでも販売している、島地さんの著書『異端力のススメ/破天荒でセクシーな凄いこいつら』(光文社文庫9月新刊)は、島地さんが編集者時代に薫陶を受けた怪物・今東光氏、柴田錬三郎氏らの畏敬エピソードが描かれている。
……かつては、こういう怪物が存在したのだなぁ。

シガー愛好作家・北方謙三氏による巻末エッセイ「シマジと島地」も面白い。
柴田氏を担当した関係で愛用万年筆を頂戴した島地さんは
「私より、小説家のお前が持って、大傑作を書くべきだ」
と北方氏に託した。
その後、北方氏は柴錬万年筆で『破軍の星』を書き上げ、思いがけず賞を受けた。
その賞は「柴田錬三郎賞」だった。
なんという因縁の連鎖。

――あれ? 文庫の話になっちゃったけど、島地さんの度量と人間スケールの大きさを言いたかったのである。
こうありたい、破格とダンディズムの男(ひと)である。



(-_☆)

★赤字が俺を呼んでいる、と元校閲部長は言った。

2012年10月20日 | 新聞
【10月19日付の、なんとなく続きです。写真は本文と関係ありません】
新聞編集・整理部の前、僕は校閲部にいた。
どのセクションにも「職人」の人がいるが、
当時のボス・校閲部長Tさんは、すごかった。昭和の校閲職人だった(と思っている)。

僕が校閲部にいたころ――。
「降版OK」を整理部に出し、フンフンと鼻歌まじりで編集局に戻り、大刷り【注】を自分の机にバサッと置いた。
部長のTさんがやって来て
「ちょっと、大刷り見せてみろ……ん? おいっ、ココ直してないのか?」
! どひゃ!
「どわっ、すみません! ありがとうござい……」
急いで製作局に走り、紙型どりストップをかけた。
「降版ダメ! 取り直し! 1ヵ所赤字があったぁ~、ごめんちゃいっ」

自分では「完璧」としていたつもりだったけど、
わずか数秒で「赤字」を見つけたTさん。
こっそり聞いた。
僕「どうして分かったんですか? わずか数秒で、赤字が」
Tさん「う~む。俺にも分からんが、ゲラや大刷りをみるとなぁ、赤字が呼んでいるんだよなぁ。『ココだよ』って」
僕「! ……」

確かに、そうとしか思えないことが度々あった。
何回も何回も読んだのに、ズバッと誤字や変換ミスを指摘していただいた(僕が未熟者ということもあるけど)。
神業、職人技連発の、叩き上げ部長だった。

――と先日、他社のかたに会ったとき、
「そうですね……Tさんは本当に凄い人でしたな。私も教えられましたよ」
(→当時は、割と新聞社間の移籍はあったといい、このかたもTさんの門下生と言っていた)
と仰っていただき、何だか嬉しかった。

【大刷り=おおずり】写真や地紋、見出し、広告を取り込んだ新聞紙大の、大きなゲラ。
出力プリンターから1枚出て、それをアルバイト君たちが大量にコピーし、局長、編集各デスク、校閲担当者、製作局に配る。
記事の流れ方はいいのか? 見出しはいいのか? エトキ(写真説明)はいいのか? 写真は間違っていないか? 「ハーバード大客員教授」でいいのか?(笑)などを確認しあう。


(^o^)

★校閲マン、週刊現代いかがでしょう。

2012年10月19日 | 新聞
「へぇ~、校閲・校正ネタが週刊誌記事になるんだぁ~。不景気なときは、日本語本が売れるって言うし」
「三浦しをんさんの『舟を編む』効果かしらん」
(→ と思ったら、担当編集者が講談社校閲局にいたかららしい)

僕は、新聞編集局・整理部の前は校閲部にいたから、週刊現代を見て驚いた。
週刊現代10月27日号「特別座談会/あなたの日本語、ヘンです」=写真。

「感極まって、顔を互いの胸にうずめる」
【校閲直し】→ 体勢的に、胸にうずめるのはちょっと無理だから、「肩にうずめる」

「発砲スチロール」
【校閲直し】→ 発泡スチロール
――まあ、このあたりは、よくある。

「松田聖子さんが再々婚されたときに、田原俊彦さんが『3度目の結婚、おめでとうございます! 4回目がない事を友達として心から願っておりますー』と書いたんです。
辞書を見ると、『度』と『回』で意味が少し違うのです。
『度』は繰り返してほしくないことを数える、
『回』は繰り返しが期待されるものを数えるのに使う。
トシちゃんの書き方は、正しく使い分けているんです」
――どうなんでしょう。ここまで来ると、新聞では直しきれない(という気がする)。

4ページ企画、面白かった。
記事最後の
「※ この記事中には、誤字が一つ紛れ込んでいるのですが、見つけられましたか?」
はい、見つけられました。新聞でも、行(ぎょう)がかわるときがミス要注意です。


( ´∀`)/

★霊的体験譚、僕も聞いた( …怖)

2012年10月17日 | 新聞
10月13日付日経新聞夕刊1面コラム「あすへの話題/死者の臨在」(作家・佐伯一麦さん寄稿)=写真。

今夏、僕の親戚宅があった津波被災地区の荒浜(宮城県若林)を訪ねた折、案内してくれたタクシー運転手さんから
「コラム冒頭と、ほとんど同じ話」
を聞いた。

(【以下、佐伯コラム引用です】
「津波の被災地で、霊的な経験をしている人が多いと聞く。
例えば、海を見下ろせる夜道で、人を轢いてしまったと思い、慌てて車から降りてみると、人影は無く、車体に傷や凹みもない。
それでも、不安で警察に通報すると、
ああ、その現場なら、これまでも何度も同じような通報がありまして、
という答えが返ってくる……。」
【引用、終わり】

僕が今夏、地元タクシー運転手さんから聞いた話は下記のとおり。
「荒浜全域は津波に飲み込まれ、畑も住宅街も、ほとんど砂地になりました。
店や家屋も自販機もないから、海岸沿いの道路は、夜間は真っ暗。

深夜、同地区の交差点を、ライトを点灯した同僚タクシーが走り抜けたとき
「ドスン! ドスン!」
と数人の黒い人影にぶつかった、というんです。

同僚の運転手は
「うわぁ、やってしまった!」
と慌てて降車、タクシーの点灯ライトを頼りに周囲をみたが、何もない。誰もいない。
自分のタクシーを見たが、凹みもない。
ザザザザ……ただ、海岸の波の音だけが聞こえたといいます。

運転手は万一に備え、警察パトカー、救急車を呼んで交差点一帯を調べ回ったが、
人影も、ガラスの破片も、流血跡も、何もなかったといいます。
警察・救急とタクシー運転手は
「津波にのまれ、無念の非業死をされた、成仏できなかったかたでしょう」
と言い合ったといいます。

――多くの方々が、体験されたのだ。


(-_☆)