(10月21日付の続きです。写真は本文と直接関係ありません)
青山繁晴さん(1952〜)の『平成紀(へいせいき)』(幻冬舎文庫、税別540円)を読んだ。
青山さんが、あの1987(昭和62)年から共同通信政治部記者として「Xデー」を担当した最前線リアルを活写した情報小説。
わずか195ページ、とても面白かった。
というわけで、Xデーをめぐり、あのとき共同通信社の深奥で、さらに官邸で何があったのか、そして僕たち新聞社サイドでは……の第34回。
*青山繁晴(あおやま・しげはる)さん
1952年、神戸市生まれ。
慶應義塾大学文学部中退、早稲田大学政治経済学部卒。
共同通信記者(1979〜1997年)、三菱総研研究員を経て2002年、日本初の独立系シンクタンク「独立総合研究所」社長兼、首席研究員に就任。
2016年、参議院議員に当選。
*幻冬舎文庫『平成紀』主な登場人物
▽楠陽(くすのき・よう)=通信社の政治部記者。青山さんの等身大キャラ、35歳
▽元寇=佐藤元行(さとう・もとゆき)=楠が勤務する通信社の政治部デスク。
元行から元寇(げんこう)と呼ばれている
▽吉野庄一(よしの・しょういち)=通信社の官邸キャップ
▽赤錆(あかさび)さん=崩御に関して政府が動くマニュアルを司る実務責任者と評される高官
▽竹下登(たけした・のぼる)=第74代総理大臣。1924〜2000年(76歳没)。
【幻冬舎文庫『平成紀』148〜149ページから】
西暦一九八八年九月十九日の夜だった。
そろそろ赤錆の官舎へ向かう準備をしていた午後十一時四十分、ポケットベルが鳴った。
(中略)
「社会部の張り番がさぁ、侍医長が皇居に入るのを見たんだよ、さっき。奥さんの運転する車でね」❶
侍医長が深更に皇居へ。
すぐに時刻を繰り上げて、赤錆の官舎へ向かった。いつもはドライバーに外しておいてもらう黄色い社旗をはためかせて、黒いハイヤーは走った。
官舎はすでに車の乗り入れ規制をしているかもしれないと考えている。車の電話へ、吉野キャップから次々と情報が入った。
侍医長に続き侍従長が入り、女官長が真っ先に入っていたことが分かり、そして午後十一時五十九分、日赤のマークをつけたボックス型の車が入った❷。
しかし宮内庁報道官は、日付が九月二十日に変わって「陛下は落ち着かれている」と語った。
赤錆の官舎に着くと、小さい門の前は社旗をつけた車で埋め尽くされている。応接室に入ると座っている者は誰もない。刺す怒声のなかで赤錆は耐える表情で「私にも分からないんです」と繰り返すだけである。
午前一時四十分ごろ夫人が赤錆を呼んだ。「電話が掛かってきたな」と思った。
この官舎の電話は切り替えによって応接室にある電話を殺し、台所にある電話だけごく静かに鳴るようにすることができるのを知っていた。
午前一時五十分ごろ赤錆が応接室に戻ってきた。記者たちから「何か分かったんですか」と絶叫が響き合ったが、赤錆は「いや、分かりません」と首を振るばかりである。
立ち尽くしている赤錆に「ちょっと水を飲ませてください」と声をかけ、台所に行った。異様な行動であった。記者は誰も続かない。
❶「社会部の張り番がさぁ、……奥さんの運転する車でね」
時間経過でみると、共同通信社会部より先に、高木侍医長を〈見た〉のは日本テレビ宮内庁班だった。
九月十九日の午後十一時少し前、日本テレビ天皇Xデーチームの根岸豊明記者(当時)
が、代々木の高木侍医長の自宅に夜回りをかけようと、代々木駅前のスクランブル交差点を曲がった。
そこで道路工事の現場にぶつかったのが、大スクープのきっかけとなった。
工事中を知らせる黄色いランプは、向こうからやってきたツートンカラーの日産ローレルの車内にいる高木の姿をはっきり照らし出していた。
「高木さんの奥さんがハンドルを握り、高木さんは助手席にいたそうです。
根岸記者はすぐ車をUターンさせて後を追うとともに、自動車電話で社の報道フロアにいた私(日本テレビ報道局宮内庁班キャップの石井修平さん=当時)
に緊急連絡してきた。私は別の記者にすぐ皇居に向かうよう指示した」
(文藝春秋2009年2月号「ドキュメント昭和天皇の最期」から)
青山さんがいた共同通信の社会部が皇居に入る侍医長の車を見たころ、すでに日本テレビ報道局は侍従や侍医らから情報確認をしていたようだ。
——この、日本テレビ「9.19吐血」速報もそうだけど、朝日新聞「腸のご病気」報道も、
〈たまたま見た〉
記者が異変を感知➡︎確認➡︎大スクープにつながっていることが分かる。
❷侍医長に続き侍従長……日赤のマークをつけたボックス型の車が入った
侍医長は高木顯(あきら)氏、侍従長は山本悟氏、女官長は北白川祥子(さちこ)氏。
ほかに、この年の6月に就任したばかりの藤森正一宮内庁長官も急を聞いて吹上御所に駆けつけている。
「日赤のマークをつけたボックス型の車」
は、天皇と同じAB型血液を運び込んだ血液運搬車両。
【同時刻@新聞社編集局では】
23時30分過ぎだから、都心に近いエリアの版を編集中。
編集局に設置された共同通信スピーカーからは次々、興奮した様子のアナウンスが
「ピーポ、ピーポ、ピーポ!——共同通信から編集参考です。侍医長に続き、藤森宮内庁長官も皇居に入りました。何らかの異変があったもようです」
「ピーポ、ピーポ、ピーポ!——日赤の輸血車両が到着、皇居に入りました」
編集局長、局次長、Xデーチームのキャップ、報道局部長・デスク、整理部デスク、写真部デスク、制作局デスクが集まり、
「この版からやる。1面差し替え」
「写真はとりあえずテレビ抜き」
「降ろせる面は、早め降版っ」
と騒然としていた(のを横目に、整理部ヒラが集まり、「ヤベェよなぁ、まだアレ全部できてないよなぁ」とアタフタしていた)。
*広告局デスクも現れた
23時25分過ぎ、共同通信速報を聞いたのか、上階の広告局デスクが編集局に降りてきた。
通常、夜の朝刊編集時にはいないのだけど、やはりXデー臨戦態勢だったと聞いた(やや赤い顔だったから、どこかで飲んでいたようだが www)
*テレビ抜き
現場からの写真が間に合わないとき、テレビ画像をキャプチャーにしてカラー写真にすること(画像が粗いけど、仕方ないじゃん)。
写真部デスクは「使用させていただきます、と許諾をテレビ局に必ず電話するんだけど、つかまらないんだよ、あっちがさぁ……」とコボしていた。
というわけで、続く。
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【1988=昭和63年】
▽1月2日=天皇、皇居長和殿で宮中一般参賀
▽2月10日=「ドラゴンクエストⅢ」発売。初日で100万本完売
▽3月17日=東京ドーム落成
▽5月19日=春の園遊会
▽6月2日=天皇、皇居内水田で「お田植え」
▽7月6日=リクルート江副浩正会長、未公開コスモス株譲渡で辞任
▽7月20日=天皇、夏季静養のため那須御用邸
▽8月15日=終戦記念日戦没者追悼式
▽9月8日=天皇、静養先の那須から帰京
▽9月18日=大相撲ご観戦を中止
▽9月19日=天皇が吐血・下血し容体急変
▽9月24日=ソウル五輪でベン・ジョンソンの金メダル剥奪。
鈴木大地さんが100m背泳ぎで金メダル
▽11月17日=東京外為1㌦121円52銭の戦後最高値更新
▽12月5日=天皇の最大血圧が40台まで落ち「極めて危険なご容体」に
【1989=昭和64=平成元年】
▽1月2日=天皇は体内出血があり、計1,400ccの輸血を受けた。
前年9月吐血以来の輸血総量は30,865ccに
▽1月4日=大発会で東証平均が 30,243円66銭の最高値更新。
米海軍機が地中海上空でリビア軍機2機撃墜。
▽1月5日=天皇、最大血圧が60に降下。
輸血を受けるも回復遅く、尿毒症の症状
▽1月7日=午前6時33分、十二指腸部の腺がんのため、昭和天皇87歳で崩御。
皇太子明仁親王が即位。
翌8日施行の新元号を「平成」と発表
▽1月8日=竹下首相を委員長に大喪の礼委員会設置
▽2月24日=大喪の礼。
164カ国の代表・使節参列
▽4月1日=消費税3%スタート
▽4月26日=民主化を求めて天安門広場に集結していた学生市民を、中国戒厳部隊が武力制圧
▽6月3日=歌手・美空ひばりさん死去。52歳
▽11月4日=横浜の坂本堤弁護士一家3人が行方不明に
▽11月9日=「ベルリンの壁」崩壊
▽12月29日=東証平均株価 38,915円の史上最高値