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★局長でも年収200万=「北海タイムス物語」を読む(110)

2016年05月31日 | 新聞

(5月30日付の続きです。写真は、本文と関係ありません)

小説新潮に、増田俊也さん(50)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目——の第110回。

【小説の時代設定と、主な登場人物】
バブルど真ん中! 1990(平成2)年4月中旬@北海タイムス札幌本社ビル。
▼僕=北海タイムス新入社員・野々村巡洋(ののむら・じゅんよう)。東京出身23歳、早大卒
▼浦ユリ子(うら・ゆりこ)=野々村と同期。札幌南高→早大政経卒24歳。
道新を受けたが不合格。現在、道庁クラブ付き遊軍
▼河邑太郎(かわむら・たろう)=野々村と同期。東京出身23歳、早大二文露文科卒。
現在、道警担当

【 以下、小説新潮2016年1月号=連載④ 459ページから 】
部長や局長になってもそんな給料❶だって言うけど、じゃあ結婚してる人はどうしてるんだよ。
家族いる人たちはどうやって食べさせてるんだよ」
「食べさせてるんじゃない。食べさせてもらってるんだ、奥さんたちに。
こんな新聞社があるなんて俺も知らなかった。ほんと迂闊だった❷よ。ちきしょう」
河邑の頰は興奮で赤黒く発色していた。
「でも、マンション借りるとき、大家さんが『タイムスの記者なんですか。すごいですね』ってよくしてくれて『エリートですね。記者さんて給料すごくいいらしいですね』とか言われたぞ」
北海タイムスっていったら名門だからな。昔はよかったらしい❸から。
一般の道民はいまの状況知らないんだよ。知ってるのは新聞業界の人間だけだ。それも北海道の業界人しか知らない。知ってたら俺だってこんなとこ受けねえよ。
朝毎読が北海道に上陸する前は道新とタイムスの部数は今ほど大きく離れてなかったらしいんだ。
全国紙が上陸したときに道新は販売を徹底強化して迎撃態勢をとって逆に部数伸ばして、いま百二十万部だろ。
タイムスだけが朝毎読に部数を食われちまったらしい」
「いまタイムスは何万部?」
「二十万部くらいじゃないか」



❶部長や局長になってもそんな給料
ときは、イケイケドンドンの1990年。
そんなバブル期でも、北海タイムス42歳男性正社員の年収は 200万円いかず。
…………むむむむむむ。
そして、
「管理職になると超勤料つかないから、編集局長も編集局次長もおんなじくらいだってよ。みんな二百万前後だ」(河邑記者調べ)
…………むむむむむむむむむ。

❷迂闊だった
新聞社のルールブック「記者ハンドブック・新聞用字用語集 第13版」(株式会社共同通信社発行)では、

うかつ 迂闊)→うかつ。うっかり(△は漢字表にない字)

平仮名にするか、「うっかり」に書き換えましょうと言っているけど、小説を書き換えるわけにもいかないので、著作物なのでこのまま行ってください。
*どっこい書き換える校正者は、いる
作家の椎名誠さんや坪内祐三さんは、嘆きと怒りでそんな校正者を指弾していた。
➡︎2013年8月12日付「文章を書きなおす校正者、いるいるいる」みてね。
新聞社でも「二人三脚」「十人十色」を横組みにしたら、わざわざ「2人3脚」「10人10色」に赤字なおしした校閲マンもいたし……とほほほ。


❸北海タイムス……昔はよかったらしい
1990年当時から見た「昔」は、具体的にはいつごろなんだろう。
▼毎日新聞北海道版・発行開始=1959(昭和34)年4月~
▼読売新聞・同=1959(同)年5月~
▼朝日新聞・同=1959(同)年6月~
……1960年代以降、札幌などで北タイ紙が全国紙の草刈り場になったようだ。

————というわけで、続く。