降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★活版新聞編集は楽しかったよ(9)....いま思えば。

2013年07月31日 | 新聞

【7月26日付の続きです。写真は本文と関係ありません 】

【 前回までのあらすじ】
ときは、昭和。
とある新聞社の編集局整理部、23時45分。
立ち上げ早版(仮称=A版)を終え、ケズリも発生せず、地下の輪転は無事に印刷を終了、次版の印刷準備に入った。
だが、出稿の遅れで整理部各面担ともB版大組み開始時間にもかかわらず、製作局に行けずにいた。バイトくんたちフル回転で何とか見出し伝票などの出稿は終えたが、降版時間まで30分を切っている。
慌てる製作局デスクから、「時間だぞっ。大丈夫なのか?」とホットライン(整理部ー製作局大組み直通電話)がかかってきた。
ーー間に合うのか、読者が待ってるぞ整理部!(←おおっ、思わせぶりな書き方、笑)

▽ 23時47分。B版降版時間(24:10=仮)まで23分。
僕たち編集とは別階にある製作局【注・下段】から、ガコンガコンガコンと大きな靴音【注・下段】が聞こえ、数人が整理部に現れた。
今夜の製作大組みデスクの田島さん(←仮称、笑)ら、僕の大組み担当・池さん(←仮称、笑)もいる。
田島・大組みデスク
「おいっ、もう大組み開始時間だろっ。どうなっているんだっ整理部」
と整理メーンデスクに詰め寄った。

▽ 23時50分。B版降版時間(24:10=仮)まで20分。
池さん「△△ちゃん(←僕の名前)、なんか準備しておくのがあったら言ってくれ。つくっておくぞ」
僕「わりー、池さん。じゃあ、30行どりで左カタをつくっておいてくれる?
写真台2段18行かかえて3段7行見出し、記事は仮見・消費税1→2約85行を流し。中段ケイあり。おさえは全角カスミケイ2行どり7段。
アタマは上1段凸台、4段7行どり見出しで3段リードおき........右下に突き出し広告2段........
左下は33インテル雑報2つ折りメントおさえ........
あとは、すぐ行くからっ」
池さん「よし、分かった。つくっておく。すぐ来いよ」

これ、本当の話。
信じられないかもしれないけど、当時の活版大組み職人の方々は、何もメモしなくても、僕がさっき言った「口頭指示書」だけで左カタなどをつくりあげられたのだ。
活版編集時代、この大組み担当の方々の中には怖ーい人もいて、新人整理のころ僕は胃が痛くなったこともあったが(笑)、
そこは職人、いざとなると「がってん承知の介!」とスゴい仕事ぶりを見せてくれた( 僕は何回たすけられたか)。

................なんて感慨にふけっている場合じゃない。
降版時間だぞ、間に合うのか、走れ整理部。(続く)

【製作局=せいさくきょく】
鉛活字をつくる鋳植班、活字見出しづくりやゲラを整え赤字直しをする文選班、新聞1ページを組み上げる大組み班(社によっては製版部も含む)などで構成。
漢テレ・パンチセンターは編集局、紙型をつくる紙型班は印刷局に属していた。

【大きな靴音=おおきなくつおと】
製作局の大組み担当者らは、金属製組み台落下などから足を守るため「安全靴」を履いていた。
分厚いゴムに覆われ、底は金属製だった(ような記憶)ので、けっこうな音が出た。


(>_<)

★なぜ「訂正」連発なのだ。

2013年07月30日 | 新聞

【写真は本文と関係ありません】

「おっ、今日も出ている。今朝の朝刊は2ページで訂正掲載じゃん」
「訂正」を、ほぼ毎日バシバシ掲載している新聞がある。
『訂正=28日付△面「8番・中井、逆転3ラン」の写真説明で、「6回裏」とあるのは「6回表」の誤りでした。』(7月29日付)

「訂正とおわび」経験豊富な僕は、少なくても
『訂正わらうな、明日は我が身』
と他山の石にしているけど、ほぼ毎日掲載になると、どうなのかしらん。

知人に聞いた。
「読者からの指摘で発覚しようが、社内チェックで見つけようが、ミス・誤りはこちらから積極的に公表しよう!
結局は、読者からの信頼を得ることにつながる」
が、編集上層部の考え方だという。
「だから、他紙に比べて、毎日バシバシ積極的に『訂正』を出しちゃうのです。それも、版ごとに【注・下段】........」

なるほどぉ~。
ポジティブな「訂正」掲載方針。
読者・外部から指摘されても知らん顔&隠蔽閉鎖的体質よりはいいと思ったが、
ほぼ毎日訂正出して「読者の信頼を得る」はどうなのかしらん。
ーーでも、いいことは取り入れたいものです。

【版ごとに訂正=はんごとにていせい】
朝刊は地域ごとに3~5版製作していて、A版に入れた記事は必ずしもB版に入っているわけではなく、C版で再び掲載したーーとなると、
A版=訂正掲載
B版=訂正はずす
C版=訂正再掲載
D版=訂正掲載
E版=訂正掲載
ということになる。
整理部は、紙面左下の5~6行の訂正を取ったり入れたりしなくてはならないのです........これ、けっこう面倒くさいのです。


(>_<)

★セブンは「レッドマン」だった!(2)

2013年07月29日 | エンターテインメント


【7月28日付の続きです】
日本橋三越新館(東京・中央区)7階で開催中の「生誕45周年ウルトラセブン展」に行った(1967年テレビ放映だから45周年は去年2012年ではないかい?........まぁ、いいか)。
同会場に展示されていて、僕が立ち止まってしばし見入ってしまった当時の資料や映像があった(会場内は、一部を除きカメラ撮影禁止)。

▼ 企画時は「レッドマン」だった。
→ 茶色に退色した企画書があった。タイトルには「レッドマン(仮)」と書かれていた。
ウルトラマンが好評だったにもかかわらず、レッドマン!
作品コンセプトはセブン設定と同じようだから、ウルトラシリーズ化は考えていなかったのか。うーむ。

▼ ちゃぶ台の宇宙人は、メトロン星人だったのだね。
→ 語り草になっているし、僕も幼心に「衝撃」だったのは、モロボシ・ダン隊員=ウルトラセブンが、顔の長いピコピコ光る宇宙人と
ちゃぶ台を挟んで、地球平和について対話しているシーン。
荘厳な音楽をバックに、スーパーヒーローが、侵略者と「ちゃぶ台」越しに対話するとは、すごい設定! あらためて、当時の製作陣の異能ぶりに敬意。
........あの宇宙人がメトロン星人だった、と思い出した。

▼ 1967年、夕刊フジは15字55インテル活版印刷だったのだね。
→ 僕はいろいろな回顧展に行くと、必ず見入ってしまうのが「当時の新聞」。
ウルトラセブン展でも、奇跡的に残っていた赤茶けた「夕刊フジ」記事切り抜きが展示されていた。
「ひゃあ~、ずいぶん小さい活字だなぁ。縮小コピーかな?」
と思ったら、ウルトラセブンを紹介した1967年当時の企画もの記事。
▽1倍活字(天地88、左右110ミルス=1段15字組み時代の偏平鉛活字で、CTS移行後は8U・10U。現在でも、経済面人事に使われることが多い)
▽55インテル(行間)→CTSでは5U
▽ハコ組み(ボックス)だから段間1.5倍ほど。
同時期は、朝日新聞東京本社と、日経新聞東京本社が日本IBMの技術協力のもと、CTS(コンピューター編集)を開発中だったのだ。

ーーほかにも、驚きの資料が数点あったけど、つくづく惜しまれるのは、
円谷プロの経営難ゴタゴタ争議で、撮影に使われた特撮モデルや、貴重な資料が散逸してしまったこと。
当時のガリ版刷り台本もあったが、「個人所有」になっていた。
また、ウルトラ・シリーズのグッズ販売ブースには、当然
講談社現代新書『ウルトラマンが泣いている/円谷プロの失敗』(円谷英明さん著、777円)
は売っていなかった。


(>_<)

★ウルトラセブンを見た!(1)

2013年07月28日 | エンターテインメント

地域面を見ていたら、なんとなく「呼んでいる」記事があった。
「夏休みはウルトラセブン展」
これは行かなきゃならないっ!シュワッチ!と、日本橋三越新館(東京・中央区)に走った=写真。

ウルトラセブン生誕45周年の記念展。立派な中高年セブン(笑)。
でも、本来は宇宙軌道団観測員340号だから........いったい何歳なのだ。まあ、いいか。

増刷増刷で売れている講談社現代新書『ウルトラマンが泣いている』(円谷英明←円谷英二さんのお孫さん)を読むと、円谷イズムがあるのは、セブンまで。リアルさを求めた特撮が、円谷プロの経営を圧迫していった、という。
バンダイ傘下のウルトラシリーズは、男女合体やら、兄弟・従兄弟やら、親子やら、集団指導体制やら、チェンジモードやら、果ては古代地球人だったとか分かりにくくなった( 円谷特撮ファンは必読の現代新書です)。

♫セブン、セブン、セブーン、セブンセブンセブン(←あのテーマソングですね)と、グワッグワッの怪獣の咆哮が響く会場。
小学生とお父さんお母さんで結構込んでいた。CGっ子とはいえ、やはり怪獣は好きなんだなぁ。

ウルトラ警備隊の隊員服、地球防衛軍ウルトラホーク1・3号、カプセル怪獣ミクラスの展示があって目を瞠ったが、いずれも「再現物」。
当時の実物は、円谷プロのドタバタで流出・散逸してしまったらしい。残っていた美術担当の、怪獣や超兵器の手書き設計図を見ると、「尺」表記が一部あった。
テレビ放映は1967年だから、尺もあったのかしらん。

モロボシ・ダン(森次晃嗣さん)やアンヌ隊員(ひし実ゆり子さん)は、写真の中だったのが残念だけど、お元気なのでしょう(アンヌ隊員は実にチャーミングだったなぁ........)。

【生誕45周年記念「ウルトラセブン展」】8月5日(月)まで、日本橋三越新館7階ギャラリーで。大人700円、小学生以下無料。


(^○^)

★活版新聞編集は面白かった(8)....いま思えば。

2013年07月26日 | 新聞

【7月23日付の続きです。写真は本文と直接関係ありません 】

【 前回までのあらすじ】
ときは、昭和。
とある新聞社の編集局整理部、23時30分。
立ち上げ早版(仮称=A版)を終え、ケズリ【注・下段】も発生せず、地下の輪転は無事に印刷→配送に入った( と思う)。
ところがどっこい、最終版(同=C版)のベースとなるB版編集が「遅いサン」と呼ばれる出稿デスクのせいで大幅に遅れていた。
怒鳴る、われらが整理部メーンデスクとの一触即発危機を、報道部長の機転により回避し、ようやく出稿が始まった。
だが、B版降版時間まで40分を切っているーー間に合うのか、整理部!(←おおっ、思わせぶりな書き方、笑)

▼ 製作局が呼びに来たっ、こりゃ非常事態だ。
降版時間まで、35分。
われらが整理部メーンデスクは立ち上がり、全部員に言った。
「アタマだけ地紋と見出しをつけろ! 写真がつくなら2段ヨコPで出しておく! サイド・流し記事は3段6行見出しで、コッチ(デスク)で出稿する! 記事が足りなきゃ早版を使え! 降版時間が最優先だ! 分かったなっ 」
全部「!」アマダレ付き。いかに緊急事態かが分かる(笑)。

降版時間まで、30分。
「おーい、庶務さーん(←学生バイトくん)、これ出してぇ」
「おーい、こっちもだぁ」
「モニターくれぇ」
地紋、活字見出し、エトキ伝票が各面担から一斉に出され、庶務さんが走り回った。
同時に、A版社内刷り【注・下段】が数部ずつ各部に配られているが、誰も見る余裕はない。

降版時間まで、25分。
整理部メーンデスク上の、製作局とのホットライン(直通電話)が鳴った。
『製作の田島(仮名)だ。B版の大組み時間だけど、どうなってんだ? 時間分かってんのかっ』
さすがに製作局も焦ったのか、整理部へ大組み催促が来た。非常事態共有である(笑)。
どうなる整理部、製作局がお呼びだぞーー長くなったので、続く(かも )。

【ケズリ=削り】
降版後、紙型から鉛版にとり輪転に回ったら、もう赤字直しはできない。だが、誤字を見つけたら直さないと、読者に間違い紙面を出すことになる。こりゃ、まずい。
そこで、整理部の指示(上から何段目、右から何行目のナントカを3文字消せ、という伝票)に従い、印刷局スタッフが鉛版をゴシゴシ部分的に「削る」こと。
活版印刷時代の新聞で、ある部分が白くなっていたのは、読者に見られてはならない不都合があったところ(←オフセット印刷となった現在も同じ)。

【社内刷り=しゃないずり】
地下の輪転印刷工場で、インク調整用に数十部試し刷りしたもの。輪転機をガラーンと数回回すので「ガラ刷り」とも。
製作局は広告チェック、編集局は記事チェックする試し刷り新聞だが、実際は見ている時間も余裕はありません(笑)。ほとんど、早帰り製作局スタッフが持ち帰っていた。
ただし、スクープ記事組み込みのときは
「持ち禁( 持ち出し禁止)!」
の赤いハンコがドーンと大きく押され、社外持ち出しは禁じられた。
現在はサテライト印刷になり、バイク便で配達されている。


(^○^)

★適菜収さんが面白い。

2013年07月25日 | 新聞

いま、新聞のオピニオン欄にバンバン登場してほしい方は、哲学者・適菜収さんだと思う(朝日には登場しましたね)。
政治・社会事象を一刀両断で、おいしい言葉がたくさんあるので、整理部も見出しがつけやすいぞ(笑)←ありゃ、僕がB層か⁈

【適菜収=てきな・おさむ】1975年生まれ、哲学者、作家。
主な著書に『ニーチェの警鐘/日本を蝕むB層の有毒』『ゲーテの警告写真は日本を滅ぼすB層の正体』。ともに講談社+α新書=8刷。
『日本をダメにしたB層の研究』は5刷で、最新刊は『日本を救うC層の研究』。共に講談社刊=写真。
(僕はゲーテの警告以外は読みました)。

週刊文春(8月1日号)連載「今週のバカ」では、離党勧告までされちゃった菅直人元首相を俎上に載せている。
読んで、
「その通り! スッカラ菅(と鳩山元首相)を間違って首相にしてしまったことが、日本にとって痛恨の惨事だよな」
と思わず膝を叩いてしまった(←古い表現)。
のど元まで出ているんだけど、なかなか言い表せないことをスッキリさせてくれるのが、適菜さんの文。

「東京電力福島第一原発の吉田昌郎元所長が亡くなると、菅はブログで
『独断で海水注入を継続した。英断だ』
と書き込んだ。
死人に口なしといったところでしょうか。」
「基本的に菅は嘘つきです。」
「菅は基本的に本を読まず、語学もできない(菅伸子夫人著作から)。
気が短く、すぐに怒鳴り散らしたり、モノを投げたりする。
手がつけられないときには大福を与えると大人しくなるという。」(週刊文春記事から引用しました)
だはははははははははははははは。スッカラ菅に、大福!
(適菜さんの本は基本的に出典が出ているのだけど、大福データはどこかしらん、笑)

ちなみに、B層、C層ーーなんのことかは大体分かるはず。
僕はB層かぁ?とうろたえたけど、
「研究」シリーズ2冊が抜群に面白かったです。


(^○^)

★空を飛ぶのが宮崎アニメ。

2013年07月24日 | エンターテインメント

宮崎駿監督作品「風立ちぬ」(スタジオジブリ、126分)を観た=写真。
僕は、ジブリ作品の背景によく描かれる「青空にわく雲」が大好きなのだ。
「風立ちぬ」にもまるで書いたような青空(←アニメだからね)、高原の丘に盛り上がる入道雲、朝焼け雲、夕焼け雲、飛び回る飛行機に千切れる雲........実に、きれい。
温かみを持たせる蛍光色は、色彩設計の保田道世さんの仕事とみた。

ゼロ戦(三菱A6M1)設計者・堀越二郎の夢想シーンは、思いっきり自由に明るく官能的に描かれていて、宮崎監督ならでは。
イタリアの設計家カプローニ「君は何者だ?」
二郎少年「日本の少年です!」
冒頭の、時空を超えた二人の出会いシーンからワクワクする。

ラピュタ、千と千尋など宮崎アニメに一貫して描かれているのは、「空を飛ぶ」こと。
エンディングは、ユーミンの「ひこうき雲」(1973年発売だから、なんと40年前の作品!)だった。
(ちなみに、映画予告編が12月21日公開予定『永遠の0』というのも手が込んでいるような........)。


(^○^)

★活版新聞編集は面白かった(7).....いま思えば。

2013年07月23日 | 新聞


【7月20日付の続きです。写真は本文と直接関係ありません】
日本全体が自信に満ちあふれ、経済的にイケイケドンドンのバブルのころ、新聞社の整理部に入った僕は、現在は姿を消した「鉛活字組み活版」編集でスタートした。
貴重な体験である。社の設備投資計画の遅れに、今はとても感謝しているのである(笑)。
だから、後世に活版組み時代のことを書き残そうかなーー「時には昔の話を」第7回。

【 前回までのあらすじ、ってほど大げさなものではないけど】
ときは、昭和。
とある新聞社整理部、立ち上げ早版が終わり、次版へ急ピッチ編集中の23時15分。
だが、遅筆出稿デスクのモニター【注・下段】抱え込みに遭い、整理部は立ち往生していた。
鉛活字&活版組みの僕たち、降版時間に間に合うのかーー(←おおっ、思わせぶりな書き方じゃん、笑)。

▼ 「降版遅れの責任とれよな!」
23時15分ーー。
降版時間まで50分ほどしかないが、製作局に下りて組み版所要時間を引くと、
レイアウト・見出し・写真出稿など紙面編集は実質25分しかない。
だが、遅井サンと言われる出稿メーンデスクのせいで、記事入稿率は極めて悪い。
この版は乗り切れるが、最終版を見越すと、この版(←分かりにくいので、立ち上げ早版をA版、この版をB版、最終版をC版としますね)である程度かためないと、C版★【注・下段】もあり得る。

我らが整理部メーンデスク「時間を見ろっ。山積みになったモニターをこっちに寄越せ!」
遅井サンと言われる出稿デスク「ぎゃあぎゃあ言われると、作業できないんだよっ」
我らが整理部メーンデスク「あんだとぉ~。のろまがッ。今夜は降版遅れの責任とれよ!始末書かけよっ」
睨み合う出稿デスクと、我らが整理部メーンデスク。
いけっいけっ、我らが整理デスク。
共同ピーポが鳴り響く中、ついに動いたのは........................思いがけない人だった。
報道部長が近寄り、指示を出した。
「分かった。モニターはこちらがすぐ手分けして出稿する。整理部は遅れないでくれ」
「おーい、サブM、Yすぐ出稿してくれ」
ーー男・報道部長であった。
長くなったので、続く(かも)。

【モニター】
活版編集時代、共同通信記事や自社ものはホストで振り分けられて、出稿メーンデスクにある専用プリンターからファクス用紙のように出された。
この段階で自動的に「記事ID」が付けられており、出稿デスクが赤字手入れ→出稿指示をする。
指示出しされたモニターは整理部専用プリンターから出され、各面担に渡される。
同時に、赤字を処理して漢テレ室から製作局に「鋳植」データとなって活字ゲラ化される。

ーーいやぁ、いま思うと、活字組み時代って、スゴい手間がかかっていたのだなぁ。

【C版★=しーばんほし】
新聞社によって呼び方やマークは違うが、だいたい「版を取り直し=作り直し」た紙面欄外に付される。
同マークは最終版だけでなく、版・地域ごとにも出る。
この見分けマークがないと、輪転・印刷センターが
「どの版の紙型で印刷すりゃいいんだよぉ!」
となってしまう。「追っかけ」とも呼ばれる。


(≧∇≦)

★遊び人ですか?と言われたけど=祇園祭編(4)終

2013年07月21日 | 新聞

【7月19日付の続きです】
僕たち関東人には、ただの団扇だけど、京都の人には、ある意味を持つ記号のようらしい。
びっくりした、ほんま。

祇園祭の山鉾巡行観覧で疲れた僕は、団扇(写真)をパタパタ扇ぎながら、ある小料理屋に入った。
小料理屋のご主人(推定60代後半)「いらっしゃ........あ、あら、あら、お客さん、遊び人ですか?」
僕「はあ?」
ご主人「いや、その団扇、お持ちやから........」
僕「はあ? この団扇? あんまり暑いんで、そこの四条大宮のアンティークショップで買ったんです、さっき。300円ですよ、これ」
ご主人「........なんや、リサイクルでっか。びっくりさせんといてください」

よ~く話を聞いたら、びっくりしたのは僕の方だった。
同団扇は、祇園などのお茶屋さん遊びをしはる(←超ニセ京ことばおすえ。堪忍なぁ)、
芸妓さんに極めて近しいお客はんしか手に入れられないものだという。
それも、
「一見さんぐらいじゃあきまへんな。複数回お茶屋で遊び、金払いのきれいな旦那はんがようやく貰えるものですわ」(ご主人)
確かに、北野上七軒や祇園の老舗料理屋では店内白壁に誇示するように、芸妓はん名入り団扇が飾られていたっけ。

【お断り】この団扇の話、本当なのか未確認です。小料理屋のご主人の思い込み・針小棒大的勘違いなのかもしれません........ウチワの話ということで。だははははははははははははは。


(^○^)

★活版新聞編集は楽しかった(6)...いま思えばね。

2013年07月20日 | 新聞


【7月15日付の続きです。写真は本文と直接関係ありません】
日本全体が自信に満ちあふれ、経済的にイケイケドンドンのバブルのころ、新聞社の整理部に入った僕は、現在は姿を消した「鉛活字組み活版」編集でスタートした。
貴重な体験である。社の設備投資計画の遅れに、今はとても感謝しているのである(笑)。
だから、後世に活版組み時代のことを書き残そうーー「時には昔の話を」第6弾。

前回までのあらすじ。
ときは、昭和。とある新聞社の編集局整理部。22時50分。
立ち上げ早版を終え、最終版に直結する「中版」(仮称。新聞社ごとに版番が異なります)編集に入った僕はテンパっていた。

▼ 「なんでもいいから、モニターを出せ!」と温厚な僕も声を荒らげた。
23時00分。降版時間までおよそ60分。
割付用紙を新しくして【注・下段】
「さあ、来い! 原稿!だははははははははは」
と倍尺をペシペシ叩いて気合が入っているが、さっぱり原稿が来ない。
整理部メーンデスクは他の処理と作業で忙しそうだし、同サブデスクも5、6面の調整に走り回っている。

出稿部デスクを見ると、
「あちゃぁ~、今夜は遅井デスクさんだよ........」
共同通信記事や自社記事はバンバン入ってきているようだが、モニター手入れが遅く複数抱え込むので、要注意デスクなのだった。
仕方がないから、たばこをバンバン吸う僕(←今は信じられないけど、当時、新聞社には圧倒的に喫煙者が多かった。面担机にはアルミ製灰皿があり、山となった吸い殻をバイトくんが定期的に捨ててくれていた。いい時代だったと思う)。

23時15分ーー。
僕のところに入稿したのは写真付き80行と雑感。他面も同じように入稿率悪し。
キレましたね、僕と整理部メーンデスク。
「おいっ、抱え込むなよ、モニター早く出せっ。降版時間があるんだぞ!」
時間ばかり過ぎるなか、睨み合う出稿デスク遅井さんと整理部。
どうなる、降版。
ーーーー長くなったので、後日に続く(かも)。

【割付用紙・わりつけようし】
整理部独自に「組み寸」「刷り寸」の2種類、薄いブルーで行数が印字された15段分の割付用紙があった。
が、実際は、記事の流れが分かり、カット図版サイズも分かるので、自社の新聞に赤鉛筆で割り付けを書く整理が多かった。
僕も活版編集時代は(他の先輩整理に習って)自社新聞直接割り付け派だったけど、
CTS移行後は「組み寸割付用紙」に書くようにした。
製作局CTSオペレーターに組み指示を出すとき、
「左右・天地サイズと行数を書いてよ。俺たち製作もCTS慣れてないからさぁ」
と言われたので。


( ̄^ ̄)ゞ