絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

1Q84 読中感想

2011-11-23 | 読書
1Q84のBOOK1を3分の2くらいまで読んだ。

二つの話が、交互に語られている。
片方は、17歳の少女が小説を書いて新人賞に応募する話で、もう一つは、青豆という30歳くらいの女性が、悪い男を3人殺した話だ。この二つの話がどこでどのように繋がるのかなという興味を持ちながら読んでいる。
もしかすると、17歳の少女が書いた小説の内容が、この殺人の話なのかなと思った。
共通する点は、今のところ、月が二つあるという話だけだ。

ただ、殺人を犯した女性は、なんだか変だと感じている。だから、これは現実ではないのかもしれないと思いつつ、本当なら1984年なのに、仮の現実として1Q84年としてみたと書いてあったような気がする。

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読み終えた方は、結末を知っているので、上から目線で、余裕で私を見られるだろう。
しかし、私は読んでいる途中である。読書感想文というのは、誰もが読み終えてから書くが、私の場合は、読中感想である。
実は、読後では、忘れてしまうこともあるし、分かってしまうと途中で考えていたことなどは、取るに足らない物になってしまう事もあり得る。だから、敢えて読んでいる途中で感じた事を書いておくのも良いのではないかと思う。
私の日記は、そんなことが多い。

しかし、今、なんとなく予感している感想は、当たらない確率が高いような気がする。
そして、読み終わった人は、なんだそんな簡単なことじゃないよとおっしゃるかもしれない。
そう、そんな単純なことじゃないという方が私にとっても先への期待が高まる。

もしかすると、いろいろ考えさせて、最終的には、やっぱり良くわからないということで終わるのかななどとも思える。
なぜなら、1Q84の攻略本などという物も書店で見たような気がするからだ。
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それはさて置いて、読んでいて思うのは小説を書く場合、原作がこの少女で描き直しをスタッフがして発表したら、それはインチキだということが書いてあった。しかし、小説を書くのに、編集者が作家にアドバイスをして描き直しをさせるような話はよく聞く話である。どうなのだろうか。
私がピカソがライバルを書いた時も、ライティングスタッフを入れて書き直して、もっと売れる本に作り直したいと言われた。
私は、それを断ったので、その出版社から出さなかった。もちろん、小説などとは違って、コンクールに応募する訳ではないから、書き直しをしてもらっても良いのだが、私は自分の思うように作りたかったので、断った。

書きなおしが、本人でなければならないのは、小説だろうか?しかもコンクールなどに応募するからだろうか。

音楽の場合のように、チームで作る物もある。作詞、作曲、編曲が、それぞれ違うものである。
漫画でも、一人の漫画家の名前になっているが、実際に描いているのはチームという場合がある。
小説は、そういうことがあってはならないのだろうか。

そこで、絵の場合に当てはめてみた。
確かに、いくら構図やテーマがその人であっても、みんなで描けば共同制作である。
そうなると県展などには、本来は出せないことになる。共同制作として出せば良いが、果たして認められるだろうか?
あれ?よく考えてみると、共同制作はダメという注意書きはあったかな?
これは暗黙の常識として一人でなければならないとなっているはずだ。
だから、私は指導者として、描いてやってはならないという姿勢でやっている。

初心者で、全くわからないという人には、一部描いて示してやることはあるが、後はこれを参考にしてやってくださいということで、99パーセント本人に描かせる。しかも、完成の段階では触らないようにする。できるかぎりそれを貫く。
私と生徒との共同制作になってはならないからだ。
また、私は生徒に絵を通じて教育してきたので、教育とは育てることだから、本人が自分でできるようにさせてやらなければならない。だからこそ、いくら私がコントロールしていても、本人が自分でやったと思えないとダメなのである。

話が逸れたが、大きな目で見て、世の中に良い小説を残すと考えた場合、この小説の少女が書いた物を、文の言い回し、言葉使いなどをアドバイザーが書き直すということはあっても良いと思える。
それは、もちろん、書き直した物を原作者の少女が読んで、それで良いと答えた場合に限るが。
この小説では、少女は納得している。だから、そのままスタッフの意見も取り入れて、ある程度書き直した部分もありますと答えて良いのではないかと思った。

コンクールで賞を取るなどという低次元で考えないで、この世に良い作品を残すという観点から見たら、アドバイザーの存在はあっても良いのではないかと思った。小説にも、音楽の作詞・作曲のように、原作・アドバイザーなどと作ってやったらいいのではないかと思った。

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話は違うが、アイススケートの演技は、コーチの力がどのくらい左右するだろうか。
演技の内容、技の組み合わせ、表現の細かい動きなどを考えた時、コーチで決まってしまうのではないかという気がする。
もちろん、演技をするのは選手だけであるが、選手の力が100パーセントではない。このことは、多くの人が感じることだろう。もし、本人の力だけでやるなら、コーチは要らない。金メダルを取るには、このコーチではダメだという理由で、コーチを取り替えるということがあるような気がする。どうだろうか。



















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深夜食堂

2011-11-23 | ドラマ
火曜日の夜、いや、水曜の深夜に、「深夜食堂」というドラマをやっています。
0時55分から、30分の番組です。



東京の新宿かな?小さな食堂です。深夜0時から朝7時までかな?
そんな時間に結構お客さんが来るんです。
その人情噺ですが、とてもいい感じです。

私は、遅い時間なので、録画をして後で見ています。



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本のデッサン

2011-11-23 | 通信指導
札幌のMさんが、本のデッサンを描きました。



本が斜めにおいてあるので、二点透視が必要です。

左上に上がっていく平行な線が地平線の上で交わるように描く
右上に上がっていく平行線も地平線で交わるように描く

どちらも同じ高さの(地平線上の)点になるように。

このように右側と左側で2点交わるところができるので、二点透視と言います。

それをしっかり意識して描いてくれました。

このことは、本の中の文字も同じですから、注意してください。
また、文字は、印刷されない余白がありますが、その部分にも神経を使ってください。
せっかく本の形が透視図法に則っていても、文字が違うと台無しです。

明暗については、トイレットペーパーで学んだことが生かされています。
真っ白な物でも、明暗を見るとかなり暗く見えるものです。
本の膨らみ具合で、微妙に面が変わりますから、面の向きがちょっとでも違えば、明るさは変わります。そのことを意識してください。

やはり、真っ白という部分は、ほとんどなく、全てに鉛筆の墨が着くと考えてください。

以上が諸注意です。

その諸注意をすることなく、一発でこのデッサンを描いてくれました。
お見事でした。

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