ボルトン Bolton の町の中心から 少し離れた場所にある、中世/チューダー様式の邸宅、ホリィス・ウッド Hall i'th Wood Museum。
昨日の続きです。
前二回の記事のリンクです☟
入場無料の博物館、住宅街のど真ん中に残る本当に古い骨とう品がぎっしり詰まった本物の中世末期の邸宅!
イギリスと世界の歴史を大きく変えた薄幸の天才発明家の住んだ家・・・ボルトンの隠れた名所ホリィス・ウッド
中世の豪農の館として、もともとは15世紀に建てられた、貴重な古建築であることは、お伝えした通りです。
言い忘れていました。第一級保存指定建築・・・重要文化財並みの貴重さです。
ただし、1400年ごろのオリジナルな部分は台所だけだということ、15世紀末、16,17世紀に建て増しされたこと、5家族が住める、貸しアパートとして改築され、19世紀の終わりにリーヴァ卿に買い取られて、修復されたということもお伝えした通りです。
リーヴァ卿は、古いチューダー様式の建物が好きだったらしいです。
黒白のハデハデなチューダー式住宅は、ヴィクトリア時代に大人気でした。多くのニセ建築が各地に作られています。
ハデハデ、チューダー様式専門の建築家に依頼して、いかにもエリザベス朝時代に建てられました、という修復をさせたらしいのです。
2部屋にある、天井の豪奢な漆喰細工は、この館にもともとあったものではなく、取り壊される予定の古い館から買い取って、19世紀の漆喰壁職人に、ぴったり合うようサイズ直しをさせて取り付けさせたのだそうです。
ええっと、どっちがどっちだか忘れました・・・が、一つは地元のパブ、もう一つはどこか遠くの商館、いずれも16世紀に建てられ、取り壊しの決まった建物から丁寧にはずして持ち込んだということです。
下がっているのは鳥かご。
各部屋に、きちんとよそから持ってきた天井漆喰を取り付けた旨、真鍮板に刻み付けて明記されています。
それっぽく時代がかった階段も、19世紀の修復。
梁の色が違う部分があるんです。見分けられますね。
戦後、ボルトン市に博物館として壌渡された際、傷んだ木の梁を取り外して、新しいものと入れ替えたそうですが、その際、防水の黒いタール塗装をせず、生木の色を残した処理をして、修復のあとを残しておいたそうです。
木の梁のでたハーフ・チンバーを派手な黒に塗るチューダー様式を特に好んだのがヴィクトリア時代の復古趣味の人達。もともとは樫の木肌そのまま使っていたのが主流の、中世に建てられた古建築もぬりたくっちゃった例もあるそうです。
ガイドの男性が教えてくれた話です。
このホリィス・ウッドはもともと黒かったチューダー様式ですが、オリジナルのものと区別するために、わざわざ塗らなかったとのこと。
消防法を守って、火災報知器も消火器も備えつけられています。火災の際の避難通路も確保してあります。
いろんな古家具を、16世紀、17世紀の館の生活を再現すべく集めて展示している博物館ではありますが、なぜここに!?というへんてこりんなものも大事そうに展示してありました。
ダッキング・チェア ducking chair。
・・・とは何か。
17世紀ごろ、「モーゼの十誡」が禁じている「人のうわさ話」がやめられない ふとどきな人妻を座らせて 水に漬けるのに使った、お仕置き道具です。
ジョークのネタにもなっています。
話には聞いていたけど、本物を見たのは初めてです!
なぜここにあるのか、この家となんか関係があるのか、もちろんガイドの男性に聞きました。
答えは「知らない。何も関係ない!来館者はみな、見て喜ぶからいいんじゃないかな」でした。
ついでです。
Alfred Walter Bayes(1832-1909)という、ヴィクトリア時代の画家が描いた、Samuel Crompton Inventing the Spinning Mule ミュール紡績機を発明しているところのサミュエル・クロンプトンという2対の絵を見つけました。
いかにもヴィクトリア時代の作らしいセンチメンタルな画風です。
壁の漆喰飾りが、どんぴしゃり。
後はいいかげん。
Bolton Museum and Art Gallery の所有。作者、題名、所有者の名前と、ウェッブサイト名(出典) Art UK を明記さえすれば、非営利目的に限って、転載、印刷出版自由だそうです。
サミュエル・クロンプトンについては 上のリンクをクリックして 昨日の記事をよんでくださいね。
新興住宅街の奥にある、中世の館。
1960年代に建てられた家並みが途切れた空き地の奥に600年間たっています。
↓↓↓画像をクリックしてください。はい、ありがとう。
昨日の続きです。
前二回の記事のリンクです☟
入場無料の博物館、住宅街のど真ん中に残る本当に古い骨とう品がぎっしり詰まった本物の中世末期の邸宅!
イギリスと世界の歴史を大きく変えた薄幸の天才発明家の住んだ家・・・ボルトンの隠れた名所ホリィス・ウッド
中世の豪農の館として、もともとは15世紀に建てられた、貴重な古建築であることは、お伝えした通りです。
言い忘れていました。第一級保存指定建築・・・重要文化財並みの貴重さです。
ただし、1400年ごろのオリジナルな部分は台所だけだということ、15世紀末、16,17世紀に建て増しされたこと、5家族が住める、貸しアパートとして改築され、19世紀の終わりにリーヴァ卿に買い取られて、修復されたということもお伝えした通りです。
リーヴァ卿は、古いチューダー様式の建物が好きだったらしいです。
黒白のハデハデなチューダー式住宅は、ヴィクトリア時代に大人気でした。多くのニセ建築が各地に作られています。
ハデハデ、チューダー様式専門の建築家に依頼して、いかにもエリザベス朝時代に建てられました、という修復をさせたらしいのです。
2部屋にある、天井の豪奢な漆喰細工は、この館にもともとあったものではなく、取り壊される予定の古い館から買い取って、19世紀の漆喰壁職人に、ぴったり合うようサイズ直しをさせて取り付けさせたのだそうです。
ええっと、どっちがどっちだか忘れました・・・が、一つは地元のパブ、もう一つはどこか遠くの商館、いずれも16世紀に建てられ、取り壊しの決まった建物から丁寧にはずして持ち込んだということです。
下がっているのは鳥かご。
各部屋に、きちんとよそから持ってきた天井漆喰を取り付けた旨、真鍮板に刻み付けて明記されています。
それっぽく時代がかった階段も、19世紀の修復。
梁の色が違う部分があるんです。見分けられますね。
戦後、ボルトン市に博物館として壌渡された際、傷んだ木の梁を取り外して、新しいものと入れ替えたそうですが、その際、防水の黒いタール塗装をせず、生木の色を残した処理をして、修復のあとを残しておいたそうです。
木の梁のでたハーフ・チンバーを派手な黒に塗るチューダー様式を特に好んだのがヴィクトリア時代の復古趣味の人達。もともとは樫の木肌そのまま使っていたのが主流の、中世に建てられた古建築もぬりたくっちゃった例もあるそうです。
ガイドの男性が教えてくれた話です。
このホリィス・ウッドはもともと黒かったチューダー様式ですが、オリジナルのものと区別するために、わざわざ塗らなかったとのこと。
消防法を守って、火災報知器も消火器も備えつけられています。火災の際の避難通路も確保してあります。
いろんな古家具を、16世紀、17世紀の館の生活を再現すべく集めて展示している博物館ではありますが、なぜここに!?というへんてこりんなものも大事そうに展示してありました。
ダッキング・チェア ducking chair。
・・・とは何か。
17世紀ごろ、「モーゼの十誡」が禁じている「人のうわさ話」がやめられない ふとどきな人妻を座らせて 水に漬けるのに使った、お仕置き道具です。
ジョークのネタにもなっています。
話には聞いていたけど、本物を見たのは初めてです!
なぜここにあるのか、この家となんか関係があるのか、もちろんガイドの男性に聞きました。
答えは「知らない。何も関係ない!来館者はみな、見て喜ぶからいいんじゃないかな」でした。
ついでです。
Alfred Walter Bayes(1832-1909)という、ヴィクトリア時代の画家が描いた、Samuel Crompton Inventing the Spinning Mule ミュール紡績機を発明しているところのサミュエル・クロンプトンという2対の絵を見つけました。
いかにもヴィクトリア時代の作らしいセンチメンタルな画風です。
壁の漆喰飾りが、どんぴしゃり。
後はいいかげん。
Bolton Museum and Art Gallery の所有。作者、題名、所有者の名前と、ウェッブサイト名(出典) Art UK を明記さえすれば、非営利目的に限って、転載、印刷出版自由だそうです。
サミュエル・クロンプトンについては 上のリンクをクリックして 昨日の記事をよんでくださいね。
新興住宅街の奥にある、中世の館。
1960年代に建てられた家並みが途切れた空き地の奥に600年間たっています。
↓↓↓画像をクリックしてください。はい、ありがとう。
日本でも、一昔前の信州とかの観光地に真似て作ってあったりしてましたね。
1930年代にたった(?)国鉄の原宿駅舎もこんなですよね。あれは「なんちゃって建築」ではなく、「本場イギリス」の、戦前の建築様式「モック チューダー」のはずです。あ、イギリスでは モック チューダー自体が「なんちゃって」なんですが…。
信州あたりのペンションにもありました。あれは古いのか。それともメルヘンちっくな「なんちゃって」?