ちょっと前になるが、携帯電話のNTTドコモが20周年ということで、特別番組としてドラマが放送された。そのドラマにはほとんど興味がなかったのだが、途中で放映されるCMが懐かしく、つい見入ってしまった。つまり、ドラマは適当に流しておいてCMだけ見ていたわけで、CMが待ち遠しいと思ったのは初めてだ。
ヒロスエのポケベル、島耕作デジタルムーバ(懐かしい響き)を使う、モバイルする織田裕二、DEENの「このまま君だけを奪い去りたい」などなど。どれも懐かしい。ケータイの歴史は現代社会やコミュニケーションの歴史だ。ちなみに、ドラマ本編でもドコモのケイタイがふんだんに使われていた。(歴代CMはドコモのサイトで見られます。)
振り返ると、初めて携帯電話を買ったのは、確か1996年ごろだろうか。三菱製のD201という機種だったと思う。電話をかけるにはフタを開けてアンテナを伸ばす必要があり、着信メロディも単音だった。電話番号は030からの10ケタ。真偽は怪しいが、電波が悪くなると、空中を振り回して電波を「つかんだ」ものだった。
ところで、携帯電話は飛躍的に進歩してきた。まずはケイタイでメールができるようになった。imodeという仕組みでいろんな情報も得ることができるようになった。そして、大画面になり、テレビが付き、音楽プレイヤーが付き、おサイフが付き、ついにはもう電話ではなくスマートフォンというものになった。
「しゃべってコンシェル」というアプリがある。スマホに話しかけると、コンシェルジュのように答えてくれるアプリだ。テレビのCMだと、発声を正確に認識し、人工知能のように的確に対応しており、まさに20世紀からの夢が実現したようだ。ところが、端末を借りて実際にやってみると、認識機能がイマイチで時間もかかる。端末でなくクラウドで処理しているので通信時間がかかるようだ。
うまく認識しても、たとえば「ここはどこですか?」と聞いても「ここはどこですか」という言葉自体をグーグルで検索した結果が示されるだけ。まだまだ発展途上だ。ちなみに、「ソフトバンクの方がいいと思います。」と言ったら、「そんなこと言ったらだめだと思います。」と返された。一応わかってるようだ。
そもそも、街角で携帯電話に話しかけて答えを求める必要があるのだろうか。ここにきてケイタイは買いたいニーズと売りたいニーズが大きくかけ離れているような気がする。電話とメールさえできればいいというニーズにはまったく応えていない。アプリなどほとんど使わない人がスマホを勧められ、端末の安さにだまされて月に7000円も払わされている。社会経済的な無駄である。
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