市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

ゴダールの映画

2006-06-17 | Weblog
 今朝は土曜、孫は来ないのでゆったり出来る。ご飯は今日はいらないとして、台所の床を拭き掃除にかかった。つい床クリーンを噴射してやりはじめたら、40分もかかってしまい、腹が減ったので、ジャガイモを蒸かし、もちを焼き、コーヒ豆を挽き、実験のため魔法瓶につめた。チップの散歩、食時としていたらまた無限刑罰機にかかってしまった。

 夕べ、誕生祝をしてくれると約束していた友人に食時に呼ばれた。くるんテープにしたら、そんなに安くていいのねといわれたが、食時よりも雰囲気だよと内心は思う。

 テーブルにつくなりウイングのママの様子を話し合い、こんごの支援活動をどうするかを話し、ある案には辿り着けた。常連のだれかれも心配しているということが、次第にわかってきたし、支援の具体的な集まりを開くことに話は落ち着いた。ママの人柄の良さが、そうさせるのだと、つくづく思う。
 
 この話が終わるやいなや、ゴダール的難解さは、不愉快きわまりないとなり、先年も日本映画で映画祭で公開された「明るい未来」という映画を二人とも思い出した。そのこき下ろしが、まだお互いに怒りがおさまらず始まった。あのとき、多くの映画批評家が賞賛した作品をなぜぼくが批判するのかと反論を書いたやつがいたが、おれの論点には触れず、日本のアホ批評家が良いから、おまえは間違いという論理に開いた口がふさがらなかったよなあと、そうよね、ばかだらねえと日本映画は大衆娯楽映画に限ると不遜な思いを共感しあえた。

 後、ビーフラッツで、閉店時間を忘れて30分も居候してしまった。コーヒーぼくが出すといったら、友がしはらった。そして友の天井の開く、新車で夜の道を疾走し、10じごろ、じゃと車を降りた。

 夜12時ごろ、ふと思いだした。あれの誕生日の話はまったく出なかったことだ。
そんなことを思いつきも、祝うほうも祝われるほうもしなかったのだ。ああ、これは良い誕生祝いであったな、おごってくれてありがとう。あんたも元気で。
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