市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

柳川つづき

2006-06-06 | Weblog
 これから数週間は自炊生活に入る。今朝は20分遅刻した。てんやわんやの朝食であった。

 さて、柳川の舟遊びについてつづける。

 船べりから見る風景が、なぜかどうも落ち着けないのだった。後で思うと、沿線風景が原因だったと思う。ただ一箇所、戦前の風景を思わせる赤レンガの倉庫のならんだ川辺があった。これは観光写真にもよく登場する。この建物と川のみごとな調和が、今は、戦後の現代建築物で完全に破壊されているのである。行政の公共建築物、たとえば高等学校、古文書館、それに庁舎そのもの。

 風景は、ほかにもホテルや、建売住宅、アパート、割烹、新建材にお屋敷んどが川べりをうめつくしている。当然であろう。柳川市街を回遊しているのだから。

 
 都市景観づくりということが、不可能であることを、この柳川の回遊がいまさらながらかんじさせてくれた。
 
 まづは、なによりこういう現代生活そのものを、根本的に変えなければ、景観は変えられない。そんなことが可能なのだろうか。今は、秀も醜もいちいち目くじらたてなさんなと言いたい。まずは生きることではないか。

 景観でなく生活観が問題なのだ。北九州の各都市をぐるりと回ると どの都市も醜景だが、圧倒的なエネルギーに満ちていた。くらべると宮崎市はだれもいない公園である。
コメント
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