市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

映画祭 ゴダール

2006-06-16 | Weblog
 ゴダールの「アワーミュージック」はちんぷんかんぷんの映画だった。夕べ、終わった瞬間に「ナンセンス!」と、男が叫んだ。声は若者の声ではなかった。

 ぼくはナンセンスと断定できるほどすっきり否定はできないが、すくなくもと「ちんぷんかんぷんの映画」と遠慮なく言わせていただく。

 なんという暗い絶望的な映画であろう。人間を音符とすれば、奏でる音楽は世にも奇怪なるグロテスクな音楽だろうと、Touch the Soundで言ったが、まさにぼくらの音楽は、過去から現在、未来へとつづく破壊と暴力の世界を奏でていた。

 このミュージックに包まれて、ヒロインはゴダールに解を求めて近づく。しかし、ゴダールは、ちんぷんかんぷんの言語しか話さない。それは、ラカンやデリタ
ボードリァールなどのフランス現代思想家たちの理解不可能の言説と似ている。だからこそ、ここになにかあるとわかものたちは、凝縮したようにひきつけられるのだろう。

 登場するゴダール(これは本人なのか、役者なのか、まあどちらでもいいいのだが)彼は、だれともコミュニケートしてない。相手との感情の交換、流れはないのが、よくわかる。言語の鎧のなかに閉じこったフランス知識人の奇妙な人格が、いっそう目の前のボスニアの悲劇を浮き立たせていた。

 だれも救えない、後は死ぬしかないという声だけがした。男ハ「ナンセンス」と叫んだ日本はまだまだ恵まれているのだ!!
コメント
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