市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

映画祭つづき

2006-06-15 | Weblog
 今朝は、ヨーグルトにバナナ、茹でたジャガイモだけにした。雨は朝から烈しくチップの散歩に手間がかかると思えたので、料理は止めた。
 
 夕べは、映画祭の映画[Touch the Sound」をもう一回見た。内容をもっと理解しようと思ったのだ。しかし、これは失敗だった。理解、つまり理屈で解釈しようとして、かえってわけがわからなくなった。世界は音楽である。人は楽譜をつくる音符であると、ヒロインが言うところがあるが、多分、個性の存在、その全体の調和を比ゆ的に表わそうとしたのだろう。ところが、それを聞いて、人間音符の奏でる音楽は信じがたいほどグロテスクな音楽、奇怪な悪の賛歌、自然や他のいかなる生物とも異なる醜悪なるメロディーではないかと、いうように分析思考が発展して、全体の美しい比ゆが捉えられなくなった。

 テント劇「ど」の解釈をめぐって、実行委員長と意見をぶっつけあったが、彼女は明晰にもの表現しても魅力を感じない、暗示や、ある種のあいまいさの方が信頼できると言った。絵画は言葉でいいあらわせぬものを、表現しているから好きだと言ったのを、思いだした。

 音は言語や形を越えている。この映画でそのような音の存在を感じただけでよかったのだ。2回目の理解しようとした分析では、内容は蒸発してしまった。

 今夜はいよいよゴダールの「アワーミュージック」を見ることが出来る。
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