市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

この一週間

2006-06-26 | Weblog
 今日は、真夏の快晴。猛暑で、湿度も高いが、風が強く吹くのが爽快である。さて、先週日曜に佐賀医大を退院して、まるまる一週間が経った節子の右足は、左足の膝下部分よりも2倍くらい腫れてきた。松葉杖でやっと這うようにして歩く。しかし彼女は、可能な限り家事は手を抜かずにやるのだ。これは女の本能だろうか。こんなことを言うと女性差別といわれるかもしれないが、ぼくなら、毎晩外食して手を抜くけど。

 足が腫れるというのは、リハビリで傷をそっとしてないからだ。そっとしておけば手術跡の15センチの切り口をもつ内部の傷は納まるだろうが、膝が曲がらなくなる。だから、無理して曲げ続ける、したがって腫れる。心配はない。

 そこで、ぼくも節子の家事の手伝いを積極的にしているわけだが、手を抜く料理をやる。たとえば、味噌汁は、お湯をぐらぐら沸かし、味噌を溶かし、出汁の本を入れる。その味噌湯を、千本切りにした大根、にんじん、ピーマンにぶっかけ、ねぎを浮かべて終わる。これがおいしい。新鮮な野菜の香りとしゃきしゃきした歯ざわりがいい。なにより、正確に量がわかるので、一滴も残らない。節子の味噌汁は必ず、2回にわけられたが、後の味噌汁は、飲みたくない。それはない。

 料理の合間に包丁も鍋も釜も、皿もまな板もみんな洗い終わり、収納する。どうじに風呂を沸かす。食後は、風呂と選択を平行してやる。といった具合である。まだあと2,3るが、いずれ記してみたい。

 現実は複雑系だから、いろんな変化が予測できない。家事もどれだけ変化可能か
面白い。非線型である。女性の性格そのものでもある。
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