とんびの視点

まとはづれなことばかり

次男骨折

2010年12月16日 | 雑文
12月に入りちょっと落ち着いたと書いたら、次男が左肘を骨折し、猫が病院通いを始めた。なかなか落ち着かないものだ。風邪はほぼ治ったが、念のためもう一度診てもらおうと行った病院。冬の小児科の常で待合室には多くの人たち。元気な次男は外の塀に登って遊び、滑って転落。痛がって少し泣くが、すぐに泣きやむ。とれあえず小児科で風邪の診察をしてもらうと、念のためと整形外科を紹介され直行。見事に左肘を骨折していた。

次男は先日6歳になったばかり。もともと運動神経は良く集中力もあるのだが、ぎりぎりのところをチャレンジしないと気が済まないタイプである。こういう性向は生まれつきと言ってもよいくらい根深いもので、次男が歩き始めたころから「この子はいずれ何らかの形でケガをするだろうな」と相方と話していた。

予想通り、次男は1歳半頃に額を切って何針か縫うことになった。誰もいない部屋から突然、大きな泣き声がする。駆けつけると次男が倒れ、額がぱっくり割れている。側には大きめのボールが転がっている。玉乗りにチャレンジしてこけたのだ。病院では額を縫われながら大泣きをしていた。

「良いきこりには1つだけ傷がある。傷は1つだ。言いたいことは分かるね」というような言葉が村上春樹の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』にあるように(たぶん)、1つくらいのケガは仕方がないと思っていた。1回だけケガをして危ないポイントを自分でつかみ、その後を生き抜く教訓にするというのは悪いことではない。

玉乗りに失敗して額を切った時に気になったのが、それが「良いきこりの1つの傷」になるのだろうか、ということだった。正直、少しケガをするのが早過ぎると感じた。1歳半では、おそらく本人の記憶には残らないからだ。そして今回の骨折。すでに良いきこりの資格は失ってしまったかもしれない。でも本人にとっては1つ目の傷と言えなくもない。きちんと記憶して、今後はケガなく良いきこりを目指してもらいたい。(子どものケガや病気は精神的に結構こたえる)

そんな風にドタバタしながらも今月のランニングは悪くない。現時点で110km。とくに先週は1週間で80kmと走った。週単位での練習量としては今まででも最長の部類に属する。筋肉痛や関節痛に比例するように体がランニング仕様になっていくのを感じる。精神的にも焦点が合ってきて、レースがリアルに想像されるようになってきた。歩きながら本番を走っているイメージをいつの間にかしていたりする。

身心ともに良い状態になってきたが、正直、疲れもたまってくる。そんな時に雨が降る。走れないなという残念さと、走らなくてすむという安堵を同時に感じる。小粒の雨の中、接骨院に行くことで自分がランニングを意識していると思い込むことにする。木々の葉は落ち、茶色い枝に雨があたり黒っぽく染まっている。空は灰色だし、地面も雨で黒くなっている。全体的に重苦しいモノトーン、冬の色だ。そんな風に思っていたら、遠くの方の枝が緑色を帯びているが目に入った。

梅の木だ。近づいて見ると、枝の先の方20センチくらいが新芽のような緑色だ。雨があたり、緑の枝に水滴が溜まる。枝も水滴もみずみずしく、生命力が感じられる。冬と言ってもすべてのものが枯れていくわけではないのだ。冬にはいろいろなものが枯れていく、というのは自分でも気づかずにどこかで手に入れた観念だ。1度観念を手に入れると、観念に合ったものしか目に入らなくなる。自分の目で見るためには、走らずに傘をさしてゆっくり歩くこともたまには必要なのかもしれない。