今年も残すところあとわずか。とりあえず今日のランニングで走行距離が215kmとなり今月の目標は達成した。おまけに今日はハーフを1時間50分程度で走れた。かなり疲れはたまっているが悪くないペースで仕上がっている。
土手でテント暮らしをしていた人がいなくなった。強制的にテントを撤去されたのか、あるいは死んでしまったのか。土手でテント暮らしをしていた人が居なくなってしまった。
5年くらい前だろうか。荒川と隅田川が2つに分かれる岩淵水門からすこし下った隅田川のほとりにテントが張られ、1人の男が住み着いた。50代半ばくらいだろうか。体格はがっちりとしていて、不潔な感じもない。動きもきびきびしている。長いあいだ肉体労働をしてきたような日焼けした肌だ。街中ですれ違えば家族のいる普通の男性に見えそうだ。まさか土手でテント暮らしをしているとは誰も思わないだろう。あるいは普通の男性が何かの拍子に土手でテント暮らしをするような社会になったということだろうか。
コールマンの4、5人用のテントの横に、まもなく1人掛けの椅子が置かれた。川面を眺めるように置かれている。そして釣り竿が欄干に立て掛けられる。隅田川のウナギは江戸前として業者が1匹千円程度で買ってくれるという話しを聞いたことがある。収入源を確保したわけだ。洗濯物を乾かすロープが張られる。小さなテーブルが椅子の横に置かれる。自転車も手に入れた。家財道具が増えてきたので、一回り小さなテントを並べる。
そんな風にして時が過ぎる。春には枯れた土手が緑色に変わっていく生命力を目の当たりにする。夏は暑さと虫刺されに悩まされる。秋には夜空が澄んでいくのを実感する。冬には昼の短さと太陽のありがたさを実感する。暑さ寒さは体に応えるし、暴風雨の時などはテントに閉じこめられる。楽な生活ではないが、面倒な人間関係もなくそれはそれで悪くない。それでも独りでいることに耐えられなくなることもある。
そんなとき、土手に捨てられた子犬を見つけ、一緒に暮らすようになる。食べ物を分け与えると喜ぶ。楽しそうに吼えかけてくる。心地のよい夜には星空の下で昔の話をする。まだ自分に仕事と家庭があったころの話しだ。話しながらまるで他人の出来事のような気がする。
思えば、このころが土手での生活の1番よいときだったのかもしれない。時とともに少しずつ、いろんなことが上手くいかなくなっていく。まず大きなテントがほころび始める。フライシートが破れ、本体のシートが直接、雨風に曝されるようになる。ブルーシートを手に入れてテント全体をしっかりと覆うようにする。前もって小さなテントにもブルーシートをかぶせる。雨風はちゃんと防げるようになったが、見た目がただのホームレスのようになってしまった。
子犬もいつの間にか目にしなくなった。病気で死んだのか、逃げてしまったのか。いずれにせよ、また1人の日々になってしまった。夏の草刈りと冬の芝焼の時にやって来る職員や業者の人間たちの態度は好意的ではない。そこにテントがあることが明らかな作業の邪魔になっている。街の中で生活していたときも、土手で生活していても、安定した日々が永遠に続くことはない。
今月に入り本格的に土手でランニングをするようになって気づいた。テントの横に「ヤマカカシ注意」という立て札が建てられたのだ。テントから5メートルも離れていない。こんなところにヤマカカシがいるのだとちょっと驚き、テントの男性も夜などは危険だろうとちょっと心配し、あの立て札を建てること自体がテント生活に対するちょっとした嫌がらせだなとちょっと気分が暗くなった。
そうしたらわずか1ヶ月も経たないうちにテントも椅子もテーブルも自転車も釣り竿もすべてなくなっていた。もちろん男性もいない。何か人生の転機が訪れ再び社会に戻ったのか、ヤマカカシを恐れて移動したのか、強制的にテントを撤去されたのか、あるいは死んでしまったのか。いずれにせよ、すべてがなくなってしまった。
男性が暮らしていた痕跡として残っているのは、テントが撤去されたことで出てきた四角い黒土だ。長い間テントがあったせいで、テントの下だけ草が生えなくなっていたのだ。一面の枯れ草の土手に正方形と少し小さな長方形の黒土の土地。それを見れば、そこにテント暮らしの男性がいたことを思い出せる。でもそんな黒土も春には新たな草に覆われて、そんな男性が居たことも記憶の彼方へと消え去ってしまうのだろう。
土手でテント暮らしをしていた人がいなくなった。強制的にテントを撤去されたのか、あるいは死んでしまったのか。土手でテント暮らしをしていた人が居なくなってしまった。
5年くらい前だろうか。荒川と隅田川が2つに分かれる岩淵水門からすこし下った隅田川のほとりにテントが張られ、1人の男が住み着いた。50代半ばくらいだろうか。体格はがっちりとしていて、不潔な感じもない。動きもきびきびしている。長いあいだ肉体労働をしてきたような日焼けした肌だ。街中ですれ違えば家族のいる普通の男性に見えそうだ。まさか土手でテント暮らしをしているとは誰も思わないだろう。あるいは普通の男性が何かの拍子に土手でテント暮らしをするような社会になったということだろうか。
コールマンの4、5人用のテントの横に、まもなく1人掛けの椅子が置かれた。川面を眺めるように置かれている。そして釣り竿が欄干に立て掛けられる。隅田川のウナギは江戸前として業者が1匹千円程度で買ってくれるという話しを聞いたことがある。収入源を確保したわけだ。洗濯物を乾かすロープが張られる。小さなテーブルが椅子の横に置かれる。自転車も手に入れた。家財道具が増えてきたので、一回り小さなテントを並べる。
そんな風にして時が過ぎる。春には枯れた土手が緑色に変わっていく生命力を目の当たりにする。夏は暑さと虫刺されに悩まされる。秋には夜空が澄んでいくのを実感する。冬には昼の短さと太陽のありがたさを実感する。暑さ寒さは体に応えるし、暴風雨の時などはテントに閉じこめられる。楽な生活ではないが、面倒な人間関係もなくそれはそれで悪くない。それでも独りでいることに耐えられなくなることもある。
そんなとき、土手に捨てられた子犬を見つけ、一緒に暮らすようになる。食べ物を分け与えると喜ぶ。楽しそうに吼えかけてくる。心地のよい夜には星空の下で昔の話をする。まだ自分に仕事と家庭があったころの話しだ。話しながらまるで他人の出来事のような気がする。
思えば、このころが土手での生活の1番よいときだったのかもしれない。時とともに少しずつ、いろんなことが上手くいかなくなっていく。まず大きなテントがほころび始める。フライシートが破れ、本体のシートが直接、雨風に曝されるようになる。ブルーシートを手に入れてテント全体をしっかりと覆うようにする。前もって小さなテントにもブルーシートをかぶせる。雨風はちゃんと防げるようになったが、見た目がただのホームレスのようになってしまった。
子犬もいつの間にか目にしなくなった。病気で死んだのか、逃げてしまったのか。いずれにせよ、また1人の日々になってしまった。夏の草刈りと冬の芝焼の時にやって来る職員や業者の人間たちの態度は好意的ではない。そこにテントがあることが明らかな作業の邪魔になっている。街の中で生活していたときも、土手で生活していても、安定した日々が永遠に続くことはない。
今月に入り本格的に土手でランニングをするようになって気づいた。テントの横に「ヤマカカシ注意」という立て札が建てられたのだ。テントから5メートルも離れていない。こんなところにヤマカカシがいるのだとちょっと驚き、テントの男性も夜などは危険だろうとちょっと心配し、あの立て札を建てること自体がテント生活に対するちょっとした嫌がらせだなとちょっと気分が暗くなった。
そうしたらわずか1ヶ月も経たないうちにテントも椅子もテーブルも自転車も釣り竿もすべてなくなっていた。もちろん男性もいない。何か人生の転機が訪れ再び社会に戻ったのか、ヤマカカシを恐れて移動したのか、強制的にテントを撤去されたのか、あるいは死んでしまったのか。いずれにせよ、すべてがなくなってしまった。
男性が暮らしていた痕跡として残っているのは、テントが撤去されたことで出てきた四角い黒土だ。長い間テントがあったせいで、テントの下だけ草が生えなくなっていたのだ。一面の枯れ草の土手に正方形と少し小さな長方形の黒土の土地。それを見れば、そこにテント暮らしの男性がいたことを思い出せる。でもそんな黒土も春には新たな草に覆われて、そんな男性が居たことも記憶の彼方へと消え去ってしまうのだろう。