言葉について書く。言葉の機能はいろいろある。僕がちかごろ人に話すのは、言葉のおおきな働きは目の前にないできごとについて語れることだ、というものだ。目の前にないできごと、それは「いま・ここ」以外で起きているできごとだ。
たとえば、過去の戦争で何があったのか、それを話すことができる。あるいは、将来、この社会にどんな出来事が起こるか、それを約束することができる。あるいは、いま地球の裏側で起こっている出来事、それを語ることができる。言葉は「いま・ここ」にない出来事を、あたかも目の前にあるかのように語ることができる。(魔法使いの呪文も、言葉のこういう性質から出てきたものではないかと思う。)
プレゼンテーションとは言葉によってその場に何かを提示することだ。今後、達成されるもの、いずれ作り上げられるものについて、言葉を語ることで「いま・ここ」に現前させる。そもそも英語のpresenceには「現前、存在」という意味があるし、presentには「現在の」という意味がある。またpresentには「贈り物」という意味もある。思い掛けないものを相手の目の前に出し、それを与える。
いずれにせよ、言葉には「いま・ここ」にないものを、あたかも目の前にあるかのように提示する働きがある。しかし語られているものが「いま・ここ」にないならば、嘘をつくことも可能である。過去に起こっていない出来事を起こったかのように語ったり、将来に起こるはずのないことを約束したり、彼方で起こっていることを都合よく語ることもできる。
嘘をつくことで、言葉と現実がズレてくる。すると何が起こるか。言葉によって語られた、過去の悲劇、将来の約束、彼方の現実にリアリティーが感じられなくなる。過去や将来や彼方について語り合い、何かを共有することができなくなる。そして、人は「いま・ここ」のことしか語れず、考えられなくなる。つまりアホウになっていく。
政治家とは言葉で人々に働きかける人たちだ。そして選挙とは言葉によって、過去や将来や彼方について語り、それが目の前にあるかのように提示し、何らかの約束をすることだ。それに対して私たちは投票をする。
約束を破っておきながら、「いままでの皆さんとの約束とは異なる、新しい判断です」などという人間の言葉を信じてはダメだ。そう、この国の首相の言葉だ。僕が現政権に対して危機感を持つのは、言葉にたいする敬意のなさだ。耳障りのよいことを言うが、それらの言葉は守られない。そしてそのことに恥じ入る気配もない。
バカにしてるのだ。国民は「いま・ここ」のことしか考えていないから、すぐに言葉を忘れると思っているのだろう。(安保法を採決したときにも、連休が明ければ空気も落ち着いているだろう、みたいなことを言っていた。)嘘をつかれても国民は怒らない。いや、そもそも言葉を忘れているから怒れない。そう思っているのだろう。だから選挙前に耳障りのいいことを言い、選挙が終わればその言葉など守らない。バカにされているのだ。選挙で試されているのは、私たち主権者なのだ。
先日、東京新聞に安倍首相の言葉がのっていたのでいくつか引用する。
06年12月。原発の全電源喪失について「(日本で海外の事故事例同様の)事故が発生するとは考えられない」と発言。その後、彼が否定した出来事が実際に起こった。事故の発生を想定して対策を考えることもできたはずだ。
07年7月の参院選。消えた年金問題では、首相は「最後の一人まで記録をチェックして年金を支払う」と公約した。かっこいい言葉だ。だが、昨年9月時点で、消えた分の年金名簿は約六割が確認されたにとどまっている。つまり公約は守られていない。
12年12月衆院選の公約。TPPについて「聖域なき関税撤廃を前提にする限り、交渉参加に反対する」と掲げた。しかし、昨年10月の大筋合意の内容では「聖域」の米など重要5項目の594品目うち、約3割で関税が撤廃された。
それに対して「私自身はTPP断固反対と言ったことは1回もない」と言い放つ。「国益にかなう最善の結果を得ることができた。国民との約束は守ることができた」と言った。支離滅裂である。
13年9月、福島原発事故による高濃度汚染水問題について「状況はコントロールされている。」「汚染水の影響は福島第一原発の港湾内0.3平方キロメートルの範囲で完全にブロックされている」と言う。東電側は「いまの状態はコントロール出来ているとは思わない」と否定。
14年11月。「18ヶ月後さらに延期するのではないかといった声があります。再び延期することはない。ここでみなさんにはっきりとそう断言いたします。(中略)景気判断条項を付すことなく確実に実施します」。一度目の増税延期を決めたときの言葉だ。そして翌月の総選挙に臨み勝利し、安保法を強行採決した。そして「新しい判断」により、さらに消費増税をさらに延期した。
細かく拾えばもっとあるだろう。でもそんなことをやっている時間が惜しい。彼の言葉を信じられるか。彼の将来の約束を信じられるか。僕には不可能だ。では信じないだけでよいのか。いや、約束を守らないことにたいして怒らないといけない。なぜなら、過去や将来や彼方についての言葉が機能しない社会では、いま・ここしか考えられなくなるからだ。手元のことしか考えられない国民ばかりの国家。それはけっして幸せな社会ではないだろう。
約束がまもられる社会にするのか、約束がやぶられる社会にするのか、私たちはそのどちらを選ぶのか迫られている。私たちはどちらを選ぶこともできるのだ。みんな、彼の言葉を思い出せ。そしてその言葉と現実に起こったことの違いを考えよう。そして、選挙に行こうよ!
たとえば、過去の戦争で何があったのか、それを話すことができる。あるいは、将来、この社会にどんな出来事が起こるか、それを約束することができる。あるいは、いま地球の裏側で起こっている出来事、それを語ることができる。言葉は「いま・ここ」にない出来事を、あたかも目の前にあるかのように語ることができる。(魔法使いの呪文も、言葉のこういう性質から出てきたものではないかと思う。)
プレゼンテーションとは言葉によってその場に何かを提示することだ。今後、達成されるもの、いずれ作り上げられるものについて、言葉を語ることで「いま・ここ」に現前させる。そもそも英語のpresenceには「現前、存在」という意味があるし、presentには「現在の」という意味がある。またpresentには「贈り物」という意味もある。思い掛けないものを相手の目の前に出し、それを与える。
いずれにせよ、言葉には「いま・ここ」にないものを、あたかも目の前にあるかのように提示する働きがある。しかし語られているものが「いま・ここ」にないならば、嘘をつくことも可能である。過去に起こっていない出来事を起こったかのように語ったり、将来に起こるはずのないことを約束したり、彼方で起こっていることを都合よく語ることもできる。
嘘をつくことで、言葉と現実がズレてくる。すると何が起こるか。言葉によって語られた、過去の悲劇、将来の約束、彼方の現実にリアリティーが感じられなくなる。過去や将来や彼方について語り合い、何かを共有することができなくなる。そして、人は「いま・ここ」のことしか語れず、考えられなくなる。つまりアホウになっていく。
政治家とは言葉で人々に働きかける人たちだ。そして選挙とは言葉によって、過去や将来や彼方について語り、それが目の前にあるかのように提示し、何らかの約束をすることだ。それに対して私たちは投票をする。
約束を破っておきながら、「いままでの皆さんとの約束とは異なる、新しい判断です」などという人間の言葉を信じてはダメだ。そう、この国の首相の言葉だ。僕が現政権に対して危機感を持つのは、言葉にたいする敬意のなさだ。耳障りのよいことを言うが、それらの言葉は守られない。そしてそのことに恥じ入る気配もない。
バカにしてるのだ。国民は「いま・ここ」のことしか考えていないから、すぐに言葉を忘れると思っているのだろう。(安保法を採決したときにも、連休が明ければ空気も落ち着いているだろう、みたいなことを言っていた。)嘘をつかれても国民は怒らない。いや、そもそも言葉を忘れているから怒れない。そう思っているのだろう。だから選挙前に耳障りのいいことを言い、選挙が終わればその言葉など守らない。バカにされているのだ。選挙で試されているのは、私たち主権者なのだ。
先日、東京新聞に安倍首相の言葉がのっていたのでいくつか引用する。
06年12月。原発の全電源喪失について「(日本で海外の事故事例同様の)事故が発生するとは考えられない」と発言。その後、彼が否定した出来事が実際に起こった。事故の発生を想定して対策を考えることもできたはずだ。
07年7月の参院選。消えた年金問題では、首相は「最後の一人まで記録をチェックして年金を支払う」と公約した。かっこいい言葉だ。だが、昨年9月時点で、消えた分の年金名簿は約六割が確認されたにとどまっている。つまり公約は守られていない。
12年12月衆院選の公約。TPPについて「聖域なき関税撤廃を前提にする限り、交渉参加に反対する」と掲げた。しかし、昨年10月の大筋合意の内容では「聖域」の米など重要5項目の594品目うち、約3割で関税が撤廃された。
それに対して「私自身はTPP断固反対と言ったことは1回もない」と言い放つ。「国益にかなう最善の結果を得ることができた。国民との約束は守ることができた」と言った。支離滅裂である。
13年9月、福島原発事故による高濃度汚染水問題について「状況はコントロールされている。」「汚染水の影響は福島第一原発の港湾内0.3平方キロメートルの範囲で完全にブロックされている」と言う。東電側は「いまの状態はコントロール出来ているとは思わない」と否定。
14年11月。「18ヶ月後さらに延期するのではないかといった声があります。再び延期することはない。ここでみなさんにはっきりとそう断言いたします。(中略)景気判断条項を付すことなく確実に実施します」。一度目の増税延期を決めたときの言葉だ。そして翌月の総選挙に臨み勝利し、安保法を強行採決した。そして「新しい判断」により、さらに消費増税をさらに延期した。
細かく拾えばもっとあるだろう。でもそんなことをやっている時間が惜しい。彼の言葉を信じられるか。彼の将来の約束を信じられるか。僕には不可能だ。では信じないだけでよいのか。いや、約束を守らないことにたいして怒らないといけない。なぜなら、過去や将来や彼方についての言葉が機能しない社会では、いま・ここしか考えられなくなるからだ。手元のことしか考えられない国民ばかりの国家。それはけっして幸せな社会ではないだろう。
約束がまもられる社会にするのか、約束がやぶられる社会にするのか、私たちはそのどちらを選ぶのか迫られている。私たちはどちらを選ぶこともできるのだ。みんな、彼の言葉を思い出せ。そしてその言葉と現実に起こったことの違いを考えよう。そして、選挙に行こうよ!