とんびの視点

まとはづれなことばかり

「思い違い」と「考え違い」の社会

2013年02月10日 | 雑文
2月8日の新聞に気になる記事が二つ載っていた。一つは「虚偽説明 東電、国会を愚弄」で、もう一つが「審議官が資料提供 原子力規制庁 無責任体質いまもなお」だ。どちらも原発絡みの記事だが、別に原発の問題として考えたいわけではない。

最初の記事は、昨年の2月に国会事故調査委員会が福島第一原発の1号機の建屋内を調べようとしたら、東京電力が「建屋内は真っ暗で危険」などと虚偽の説明をして調査を断念させた問題だ。調査目的は、1号機に設置されていた非常用冷却装置(IC)が壊れた原因を調べることだ。東電側は原因を津波としていたが、国会事故調は地震の可能性もあると疑っていた。当然のことだが、地震によりICが壊れたのであれば、原発の安全対策の基準に大きな影響を持つ。

東電側は「建屋内は真っ暗で危険」と調査を断念させたが、その後に公開された映像から建屋内はある程度明るかったことが判明した。東電広報部は、騙す意図はなく、「単なる思い違い」だ。現場が危ない状況だったのは間違いないと説明している。「単なる思い違い」というところがポイントだ。

もう一つの記事は、敦賀原発の断層調査をめぐり、原子力規制庁幹部が日本原電側に報告書の原案を渡していた問題だ。原電(日本原子力発電株式会社)は、茨城県那珂郡東海村と福井県敦賀市に原子力発電所を持つ卸電気事業者だ。原発が動いていないにも関わらず、2012年度上半期の純利益が209億円と過去最高だったことが少し前に報道された。

まったく発電しなくても利益が上がる電力料金システムや、原子力規制庁という組織の問題点など調べることはいろいろある。しかしここでは、規制庁のナンバー3が業者側とたびたび密会(?)し、公表前の資料を渡していたことに対して、原子力規制委員会の委員長が「個人の考え違い」と組織責任を否定したことに注目する。「考え違い」というのがポイントだ。

「思い違い」と「考え違い」が原因である。なるほど、人間は必ずしも完璧な存在ではない。思い違いをすることもあるだろうし、考え違いをすることもあるだろう。ただこれは、ほうれん草だと思って小松菜を買ってしまったとか、高速増殖炉と聞いて、電気が高速で増えていくんだと考えてしまうようなのんきな話しではない。福島原発を受け、今後の日本をきちんとしていくという大きな話しである。そういう話しを単純な「思い違い」や「考え違い」する人に任せていいのか。そのように、相手の能力の問題として組み立てることは簡単だ。

もちろん、東電にしろ規制庁にしろ、そんな簡単に「思い違い」や「考え違い」をするような人たちはではない。いずれもかなりの知的訓練を受けているはずだ。みな高学歴だろうし、それなりの業務遂行力もあるはずだ。そんな簡単な「思い違い」や「考え違い」をするような人たちではない。つまり彼らにとって「思い違い」や「考え違い」という言葉は、自らの欠点を明確にし、次に同様のミスを犯さないようにするための自戒には繋がらない。(「そうか、俺は建屋の明るさを思い違いしてしまう人間のか。よーし、次はきちんと電気がついていることを確認できるようになろう」とはならない)。

それならば、彼らはなぜ「思い違い」や「考え違い」という言葉を使うのか。当然、その言葉を受けとる相手に向けて、つまり、私たちに合わせて使うのである。不手際や失敗があった。それを問題視する相手がいる。相手が納得できるような説明をしなければならない。たぶん、そう考える。計算できる人間であるほど、自分の言いたいことではなく、相手に合わせて言葉を選ぶ。

だとすれば、「思い違い」「考え違い」という言葉は、私たちに合わせて選ばれた言葉なのだ。そう言っておけば、いずれ事態は収拾すると考えているわけだ。日本社会では何かあるたびに、こういう言い方がされる。(日本社会だけではないのだろう)。専門家の指摘が事前にあったにもかかわらず、社内にもそういう情報があったにもかかわらず、「津波は想定外だった」と言った。「想定外」というのも、「思い違い」「考え違い」と同じ言葉だ。そう言っておけば、あんな大きな問題でも、いずれはみんな忘れてしまい事態は収拾するだろう、と考えているのだと思う。

問われているのは、彼らの能力ではない。私たちの能力なのだ。「思い違い」「考え違い」という言葉を聞いて、「あいつら、どうしようもないな」と呆れていればすむことではない。それは結局、「思い違い」「考え違い」という言葉を許すことにしかならないからだ。それは相手の能力を低くする事に繋がる。私たちの能力も相手の能力も低いまま、「思い違い」や「考え違い」で動いていく社会になってしまう。どんなやり取りであれ、お互いの能力が高まるようなやり方をとり、社会そのものの質を上げていくしかない。そのためにはまず、自分の能力を高めて相手に臨むしかない。





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2月9日(土)のつぶやき

2013年02月10日 | 雑文

『彼女たちの売春(ワリキリ) 社会からの斥力、出会い系の引力』(荻上チキ著、扶桑社)を読了。荻上氏はPodcastでDigを聞いて知った。なかなか興味深い若手の評論家である。日本の社会に興味がある人にはお勧めできる。同様のジャンルで個人に焦点を当てるなら鈴木大介氏の本が良い。


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