とんびの視点

まとはづれなことばかり

足りない頭で、頑張れ自分。

2018年05月05日 | 雑文
ゴールデンウィークの後半3日目。今日は夕方、相方と土手をランニング。ランニングのつもりが土手をゆっくりと歩く。個人的には、土手を歩くのはとても贅沢なことだ。土手をランニングするたびに、ゆっくりと散歩している人、ベンチに座って本を読んでいる人、家族で遊んでいる人、そういう人たちを見てうらやましくなる。自分にとって土手は走る場所だからだ。でもゴールデンウィークだ。少しはゆっくりとしてもよいだろう。そう思いながら、土手をゆっくりと歩いた。

夕方の土手の雰囲気はとても心地よい。太陽の光が柔らかく、濃い色になる。少しだけ冷たい粒子を含んだ風がやさしく吹く。長く伸びた自分の影がどこまでもついてくる。緩んて少し疲れた笑顔の家族が自転車で家に帰る。汗を流しながら黙々と走る人の顔が少しオレンジ色に見える。川面は穏やかにキラキラと輝き、たっぷりと水気を含んだ緑が風に揺れる。何というのか、これでいいじゃないか、と思う。こんな感じでいいじゃないか、と。

前回は、現実が複数化していると書いた。それは1つの現実に対して多様な解釈が存在しているのではない。単一の解釈しか許さない現実が複数存在していることだ。なぜそのようなことが起っているか。それは、言葉によって現実を1つにつなぎ止めることを放棄しているからだ(と思う)と書いた。このことをもう少し考えてみる。

現実が複数化すること自体は珍しくないだろう。冷戦時代、おそらく資本主義陣営と共産主義陣営の現実は異なっていた。また異なる国家は、基本的に異なる現実に存在してるだろう。(だから国家間では、起ったことに対しての解釈の違いではなく、出来事の事実性そのものに対しての対立がおこる。)その意味では、現実の複数化はそれほど珍しいものではない。

では、なぜ日本社会で現実が複数化していることを危機に感じるのか。それは日本社会という1つの領域内で現実の複数化が起っているからだ。資本主義陣営と共産主義陣営、異なる領域国民国家のあいだには、空間的に明確な線引きが存在した。自分たちとは異なる現実が存在するかもしれないが、それは自分たちの領域の外に存在するので、基本的には現実が複数化することがなかった。つまり1つの領域は1つの現実につなぎ止められていた。もちろんそれは言葉によってだ。イデオロギーやナショナルアイデンティティーの言葉だ。

冷戦が終ったことでイデオロギーの言葉が現実を1つにつなぎ止めることは出来なくなった。また世界がグローバル化したことでネーションの言葉も以前のようには機能しなくなった。経済のグローバル化により国内格差が生じたことで、国民経済という言葉はリアリティーを失った。その反動のようにナショナリズムの言葉が強まっているが、これなどは社会の分断につながり、現実の複数化を引き起こしている。

このようにイデオロギーやナショナルなどの現実を1つにつなぎ止める言葉が機能しなくなった。誰もが自分の現実を言葉で語るだけだ。その言葉は自分の現実だけを唯一の存在とし、他者の言葉に現実を認めない。財務官僚のセクハラ疑惑のように。他者の言葉があまりに面倒くさい時は、その場を収める程度の対応はする。でも自分の現実を語る言葉は否定しない。

言葉のやり取りを通して、出来事の整合性を確保する。それが言葉を通して現実を1つにつなぎ止めることだ。しかしいま行われているのは、言葉の整合性の破壊だ。場当たり的な言葉で、その場を乗り切る。言葉と向き合うことで、自分の現実と相手の現実を1つにつなぎ止めるのではなく、相手の言葉をバカにすることで、相手の現実をバカにし、自分の現実、自分の言葉しか見ない。そのことを数の力を背景に強行する。

僕が発足当時から安倍政権に批判的だったのは、彼が言葉に対する謙虚さを欠いていたからだ。このままじゃ、言葉が機能しない社会になると思った。論理的整合性が説得力を持たず、長期的な計画や思考が簡単に反古にされる、場当たり的なパワーゲームの世界だ。それはここ数年の日本社会で現実に起っていることだ。

とにかく国会で言葉が機能しなくなった。脱原発依存と言いながら原発をベースロード電源に据えた。自分が何で起訴されたかわからないまま裁判される特定秘密保護法。これまで違憲とされた集団的自衛権を可能にした安保法。中間報告という異様な手続で通過させた共謀罪。そして裁量労働制のデータ改ざん。誰かが止めないとこのまま憲法改正とまで進む。(おそらく財政的にもかなりまずいことになる。)日本社会は底抜け感満載だ。

「あとは国民の判断」と安倍首相は言った。でも、人々は平気そうだ。僕の周りには日本社会の現状を危惧している人はほとんど見かけない。そのことに不安を感じる。映画監督の相田さんは現状に「とても危険だ。ここで止めないと本当に日本は底が抜ける」と言っていた。僕もそう思う。それは杞憂であって欲しいが、たぶん無理だろう。

どんな状況になっても人は生きていける。そして、日本人はあらゆる出来事を天災のように受け止める傾向がある。何が起っても「そうなっている」から「しかたない」と自分の現実として受け入れるのかもしれない。(それを自己責任というようだ。)

一人ひとりが自己責任でそうなっている現実を受け入れる。しかたない現実が人の数だけ複数化する。複数化した現実の間では、言葉がうまく届かない。届かない気がするから、無数の孤絶した現実は何を口にすべきかわからなくなる。私たちは何を言葉にしよう。

つなぎ止めるための言葉を口にすべきなのだ。複数の現実を1つにつなぎ止めるような言葉を。それがどんな言葉なのかはわからない。時代が大きく変わるというのは、それまでの言葉が現実をつなぎ止められなくなることなのだろう。現実をつなぎ止める新たな言葉が求められている。それが善い言葉であれば、きっと現実も善いものとなるだろう。考えるに値しそうだ。足りない頭で、頑張れ自分。
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雑記、ラーメン一杯食べ放題、残したら昼休みは遊べません。

2018年05月04日 | 雑文
早いもので5月、そしてゴールデンウィーク。ゆっくり過ごそうと思ったが、なんだか忙しい。気付いたら、先週はブログを書けずに終っていた。気になる出来事は山のようにあるが、時間がとれない。とりあえず、なんでもよいから書く。

ラーメン一杯食べ放題。残したら昼休みは遊べません。
日本社会での自由と責任を考えると出てくる言葉。みんな、そんな日本社会を縦に横切れ。

さて、4月のランニング。たった60km。140kmが目標だったので80kmも少ない。3月の末日に次男のバレー部卒業生追い出し試合に保護者チームのメンバーとして参加し、ぴょんぴょん飛び跳ねて腰を痛めたのだ。だいぶ良くなったが、まだ痛む。今年の目標は1500km。5月の目標は150km。最初の山場だ。

ちょっと前、ビデオニュースのマル激トークオンデマンドで、映画監督の相田和弘さんの話を聞く。彼は大学卒業後、二十数年アメリカに在住しているが、日本に住んでいるかのように、日本の政治や社会の課題に関してツイッターなどで発言をしている。しかし以前はちがった。アメリカに渡ってからそれほど日本に関心がなかったという。ひとつには社会は時間とともに良くなっていくものだと、無邪気に思っていたから、とくに気にならなかったそうだ。(これは僕も同じだ。)
その思い込みが、東日本大震災で崩れる。震災や原発事故への対応などを通して、日本がかなりまずい状態だと気付いた。だから、震災以後、日本のことをきちんと観察して、自分なりにできることをしているのだという。そのことを彼は次のように言っていた。「一億分の一の責任を果たす」と。出来る範囲で、誰もが当事者として考え、行動せざるを得ないのだろう。

だいぶ前から、言葉が変なことになっていると思っていた。「自分的にはAはBでいいと思う」とか「俺の中ではAはBということになっている」などの奇妙な言い方を、ある時期からよく耳にするようになった。そのたびに「世界はお前の中ではなく外にあるんだ。外側の世界ではどうなんだ」と思ったし、実際に口に出したこともある。

これ、自分の見たい世界と、実際の世界のズレを埋めることを最初から放棄した姿勢だ。世界は世界、自分は自分。なんかきな臭さは感じていたのだ。「本人はセクハラを認めていないのに、財務省は処分する」「記憶の限りでは面会したことはないが、面会したことを認める方向で調整する」「自衛隊の日報で使われている〈戦闘〉という言葉は、一般的な意味での〈戦闘〉とは意味が異なる」などなど。

かなりまずい事態だ。言葉によって現実を1つにつなぎ止めることを放棄している。1つの現実にさまざまな解釈があるのは当然だ。しかしいま行われているのは、言葉を蔑ろにすることで、現実を複数化することだ。過去と現在の現実が複数化しているから、整合性がとれなくても構わない。立場を異にする人たちとは現実が異なっているので、相手の言葉が自分に届かず、矛盾を引き起こさない。

論理的な整合性とか、出来事の一貫性とか、そういうものが重要視されない社会になりつつある。「いま・ここ」という狭い時処での自己利益を追求することが当たり前になる。このあたり、真剣に考えねばならないと思う。でもその考えは、複数化された現実においては、届けねばならない相手には届かない。やれやれ、それが現状だとすれば、そこから考えるしかない。足りない頭でがんばれ自分。


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あとは自分で判断

2018年04月21日 | 雑文
「あとは国民の判断」という安倍首相の言葉に、すでに何回か触れた。その後いろんなラジオ番組で、たとえば元文科相の前川喜平氏、経済学者の金子勝氏、自民党の石破茂氏などが、いまの政治状況(あるいは日本社会)をよくする方法を問われたとき、そろって「国民の次第」と答えていた。

「あとは国民の判断」という安倍首相の言葉は、案外、いまの日本の課題の核心を突いていそうだ。国民は何らかの判断をし、その態度表明をしなければならない。世界的にも今までのシステムが持たなくなりつつあるし、日本もここ数年、戦後システムを大きく変えようとしている。こういう時期、たしかに「国民の判断」は必要だろう。

選挙のときに投票所に行くことだけが政治参加で、あとは任せっぱなし、気に入らなければブーたれる。日本人の民度はその程度だ、とは社会学者の宮台真司氏の言葉だ。

その通りだと思う。自分のことを振り返っても、震災前はそんなもんだった。新聞などで政治状況は把握していたが、とくに何をすることもなく、選挙で投票に行くくらいだった。そしてそれを不自然と思っていなかった。

ひとつには、政治が日常生活と切り離されたものだったからだろう。政治とは、政治家が国会などで行うものであり、日常生活とのダイレクトな接点はない。(たんに個人的に知識がなかっただけとも言える。)また、そのころ政治家以外で政治に係わるのは、思想的な組織や宗教的な組織に属している人という印象だった。(あくまで勝手な印象だ。)

とくに接点をもつきっかけがない人にとって、政治は日常生活からちょっと離れたところにあった。政治に関心のある人は投票に行くが、無関心な人は投票すらしない。投票所に脚を運ぶかいなかが、政治的関心の基準にすらなっていた。

経済成長が維持され、大きな問題が起っていないなら、国民の政治関心はその程度でも問題ない。しかし冷戦が終結し、バブルが崩壊し、経済は停滞した。東日本大震災ではこの国のシステムがかなり脆弱であることが明らかになった。

まじめに働いていても貧乏から抜け出せなかったり、生まれ育った土地でふたたび暮らせないようなことが起る。そのフレームを作っているのが政治だ。政治が日常生活と大きく関わっていることを実感する人たちが、少しずつ増えてきた。

僕自身はそんな1人だ。本当なら政治のことであまり時間を取られたくない。政治関係の本を読むくらいなら、楽器のひとつでも習いに行きたい。でも、自分の日常生活に関わるのであれば、政治ことも考えねばならない。結局は自分のことだからだ。
そんなふうに安倍首相の「あとは国民の判断」という言葉を考えていると、「自分のことを自分で考え判断したらどうですか?」という問いに思えてくる。それはとても大切な問いだ。真剣に考えるに値する。

安倍首相の支持率が落ちてきた。調査によっては25%くらいだそうだ。その理由で一番多いのが「人柄が信頼できない」だそうだ。

人柄ってそんな簡単に変わるだろうか?変わらないと思う。状況が異なればちがった人柄のように見えることもあるだろう。しかしそれは人柄が変わったということではない。多様な状況でどう振る舞うか、それら総体の構造と振る舞いの傾向性が人柄だろう。

子どもならいざ知らず、それなりの年齢の人間の人柄は簡単には変わらない。第二次安倍政権発足時と現在で人柄が変わったとは思えない。

だとすれば、問題は安倍首相の人柄ではない(それは本人が問題視すればよい)。信頼できない人柄の人を信頼してしまった私たちの問題だ。実際には信頼できない人柄の人がいる。それを信頼した私は裏切られた気がする。それは端的に、私の思い違いである。

相手は最初から信頼できない人だったのだ。それを私が思い違いをして信頼していたのだ。そこにはおそらく不安があったのだろう。冷戦が終結し、バブルがはじけた。経済的に停滞し、この先よくなる感じがしない。自民党はぼろぼろになり、民主党政権となるが、空回り。そこに東日本大震災。どうしていいかわからない不安から、誰かに任せたくなったのだろう。そこにアベノミクスを掲げて安倍さんが出てきた。多くの人がおもわず飛びついた。そして日本はいまのような状況になっている。
人は見たくない現実よりも、欲する幻を見る。そして、幻を欲する自分を反省するのではなく、幻を見せてくれなかった相手を責める。

「あとは国民の判断」と安倍首相は言った。一方では、実際に彼がこの数年、どのような言葉を口にし、どのようなことを行ってきたかを知り、きちんと評価することが必要だ。その一方、この数年間の自分たちの判断を振り返ることも必要だ。

起ったことは、善いことも、悪いことも、すべて受け入れるしかない。次回に活かすためだ。次の世代によいものを残すためだ。べつに強い政治的な関心を持つ必要はない。過剰に期待したり、あきらめたりせず、自分の日常のさまざまな場面で判断すればよい。日常と政治がすでに繋がっている状況だからこそ、日常での判断が大切になる。詰まる所、それは自分を大切にすることでもある。
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さまざまな鉄柵を乗り越えて(国会前抗議行動4.14)

2018年04月15日 | 雑文
まだ腰痛はよくならないが、3km程度のジョギングを再開した。(ランニングとはとても言えない。)ほぼ2週間ぶりだ。走ってみると、太陽の光や気温や風の感じが変わっている。木々の葉がだいぶ茂りだし、街がだいぶ緑色になっていた。あっという間に、汗ばむような暑さが来て、夏のようだとか言いながら、もっと暑い本当の夏を迎え・・というように、繰り返すように月日は流れていくのだろう。

繰り返さない出来事もある。昨日は国会前の抗議行動に行ってきた。強風と雨が予報されていたが、風もそれほど強くなく、雨もほとんど降らずにすんだ。(雨のことを考え、国会前にいく前にモンベルに寄りポンチョを買った。ポンチョは以前から欲しかったので、今回のことに「かこつけて」という感じだ。)

抗議行動の始る14時少し前に国会前に着いた。霞が関駅から多くの人が国会を目指していたので、人数はそこそこ集まると思った。着いてみれば、すでに人も多く、大音量で音楽がかかりラップ調のコールが起っていた。(国会前はけっこうな広さなので、それぞれの場所でいろんな形の抗議が行われている。足を止めたのは一番ノリのよいところだった。)

かなりの人出だが安保法の時ほどではない。国会前に来ることだけが意思表示だとは思わないが、疑問を持っている人たちは何らかの形で自分の意志を表示してるのだろうか。かなり心配だ。

心の中では反対している。声には出さないが怒っている。それでは人に伝わらない。言わずに理解して欲しいと思う心が「忖度」の社会を作り出す。異なる意見を、目くじらを立てずに、みんなが言えるのがいい。社会にはそのくらいの余裕があったほうがよい。

国会前に着いたときに、今日は確実に車道に人があふれると思った。車道に機動隊の車両がなかったからだ。機動隊が本気で人々を押さえ込むなら、歩道の脇にカマボコと呼ばれるバスのような車両をずらっと並べる。(そしてアイドリングをし続けるといういやがらせをする。)その車両がない。もちろん、歩道と車道の境目には鉄柵がずらっと並べられている。しかし、その鉄柵は安保法の時に破られている。だから、鉄柵ぐらいでは防げないことは機動隊もわかっている。

抗議する人たちに「はいどうぞ」と簡単に車道を開放するつもりはないが、絶対に「破らせまい」ともしていない。そんな印象を受ける。国民が本気で乗り越えようとすれば、勝ち取ることはできる。多少意味は違うが、安倍首相が「後は国民の判断」と言ったことと通じる。

国家の中枢に権力が集中することは避けられない。しかし集中した権力がどのように機能するかは、国民と権力の関係によって決まる。国民が権力に無関心になり、何の関与もしなければ、権力は自らの欲望にしたがって動く。その意味で、権力の姿は国民の姿そのものだ。(私は選んでいないが、)私たちが選んだ政権なのだ。時の政権を批判することは大切だが、糾弾するだけではダメだ。(抗議の口調はそうならざるを得ないけど。)

安倍政権になって日本もだいぶひどいことになった。(もっともひどいのは言葉の劣化だ。言葉が機能しない社会になってきた。)それでも日本はまだ民主主義国家だと思った。国民が本気で乗り越えようとすれば、乗り越えられる鉄柵を設けているからだ。(誰かが意図しているのか、たんなる僥倖なのか。)

戦後、憲法がアメリカから与えられたように、民主主義もアメリカから与えられた。日本人は自分たちで民主主義を勝ち取っていない。戦争の悲惨さを覚えていた人たち、何らかのきっかけで民主主義を考えることになった人たち以外は、民主主義はとくに意識する対象ではなかったのだろう。

だから、民主主義が攻め込まれていても気付かない。だから、民主主義をどこかで勝ち取らなければならない。安倍首相の「後は国民の判断」という言葉は、そういう意味を持っていると思う。「民主主義を勝ち取りますか」と。(安倍首相って能力的なスペックは高くないと思うが、けっこう恐ろしい存在だと思う。真剣に向き合っておいたほうがよいと思う。)だから、国民はきちんと自らの判断を示したほうがよい。問いかけられたら、答えるのが礼儀というものだ。

そういうわけで5万人の人が国会前に集まり、鉄柵を破って車道で声を上げた。何というのか、こういうのも自分たちで民主主義を勝ちとることだと思う。すごく小さな勝ち取りだけど。独裁国家ならこんな簡単に鉄柵は破れないだろう。放水もされない、警棒で打たれることもない、ゴム弾を撃たれることもない。声をあげれば、けっこう簡単にいろいろな鉄柵を乗り越えることはできる。乗り越えられるうちに、乗り越えておくべきなのだ。そうしないと、いずれたくさんの血を流さないと乗り越えられないような鉄柵が目の前に立ちはだかることになる。

すでにさまざまな鉄柵が日本社会にはある。(どの社会にもある。)それぞれの鉄柵に対して、いろんな乗り越え方があるだろう。さまざまな鉄柵を乗り越える私たちの作法のひとつひとつが、この社会を成り立たせるひとつひとつとなる。個々人が気楽に異なる意見を表せるのがよいように、鉄柵の乗り越え方もさまざまであってよい。

昨日の国会前でも、いろんな形の抗議の仕方があった。正しい抗議仕方があって、みんながその通りに抗議するなど、堅苦しくて気持ち悪い。社会を変えていくには時間がかかる。いや、時間をかけねばならない。いろんな形でそれぞれが鉄柵を乗り越えている時に社会は多様に生成している。

昨日、たぶん、日本の社会でいままでにない抗議の形が生まれた。こういうのもありだし、とてもよいと思った。
80過ぎのおばあちゃんが気持ちよさそうに踊ってた。おかしいものはおかしいと声を上げながら。もちろん僕も。
言葉で説明するよりも映像で。
https://www.youtube.com/watch?v=wFy8U5gmbsc&app=desktop
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腰痛悪化

2018年04月06日 | 雑文
この1週間、ランニングができていない。腰を痛めたせいだ。先週の土曜日(3月31日)、次男のバレー部で3年生の追い出し試合があった。保護者もチームを作り参加することになり、いい気になってぴょんぴょん飛び跳ねた。そしたら腰に負担がかかったようで、家に帰ったときにはひどい腰痛になっていた。参ったものだ。

年頭に決めたことが2つあった。ひとつはランニング。もうひとつがブログだ。震災以前はけっこう定期的に書いていたのだが、震災で自分の言葉の軽さを実感し、書けなくなっていた。書こうと思っても考え込み、手が止まってしまう。深く考えるのは悪くないが、書くことを止めると漠然とした思いを言葉に変える力が落ちる。また言葉にすることで物事に始末をつけることができなくなり、結局、もやもやしたものが残る。けっこう悪循環が起っていた。

そこで、内容はともかく定期的に書こうと決めた。あまり無理しちゃいけないと週に1回と決めた。そしてここまで、週に1回は書いてきた。しかし、週に1回というのはちょっと失敗だった。書くたびに妙にきついのだ。

ランニングに喩えるなら、走ることを習慣化させために、毎週日曜日に15キロ走るようなものだ。走る前には気が重くなるし、走っているときはきついし、走り終ったら疲れが残る。それなら、1回5キロを週3回走ったほうがよい。

週に1回だから週末にきちんと書こう。そう思うことでかえってやりにくくなっていたのかも知れない。平日に毎朝15分ジョギングをするように、平日にも軽く書いていこう。ジョギングが週末の長距離を楽にするように、軽く書くことが、週末に長く書くことをきっと楽にするだろう。

というわけで、年が明けて3ヵ月が過ぎ、ランニングとブログの続け方に調整が必要になってきたわけだ。(これも続けていたからわかること。何であれ続けることは大切だ。)

今回はここで軽めに終える。明日、明後日の土日は1泊で合気道の合宿がある。九十九里の海岸の近くだ。まあ、腰を痛めないようにしながら、うまく稽古をしてこよう。
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