湘南新宿ライナーが浦和駅に停車するように成って
約2年経ったが、この便利さを体験しようと鎌倉への小さな旅に行って来た
乗り換えなしで約90分弱で北鎌倉駅についた。
ローカルで味わいのある北鎌倉駅を降りると、目の前が、もう円覚寺だ
ここには北条時宗公の御廟所がある
遠く見えるのが総門
総門を過ぎると山門に出る。この山門は
天明5年(1785年)に再建された
額字は伏見上皇の勅筆
円覚寺は臨済宗・円覚寺派の本山だ
円覚寺の本尊様である宝冠釈迦如来をおまつりしてある仏殿
関東大震災で倒壊したが昭和39年に再建された
円覚寺は弘安5年(1282年)に創建された鎌倉でも代表的な寺だ。
天井に描かれた龍。どこのお寺に行っても
必ず龍の絵が描かれている
こちらが、ご本尊様の宝冠釈迦如来坐像
大方丈、書院の裏にあるお庭
明治になると今北洪川、釈宗演のもとに多くの
雲水や居士が参禅して関東禅会の中心となり、今も各種の
坐禅会や夏期講座が行われ、多くの人々に親しまれている
円覚寺はそんなことから「心の寺」とも呼ばれている
源実朝が宋の能仁寺から請来した仏牙舎利を奉安する
堂宇で鎌倉時代に中国から伝えられた「唐様式」を
代表し、その最も美しい建造物として国宝に指定されている舎利殿
円覚寺の開基である北条時宗公をおまつりしてある開基廟
現在の建物は江戸時代文化8年(1811年)に改築されたもの。
円覚寺境内の参道。開山したのは元冠の真只中に
来朝した高層無学祖元(仏光国師)
創建の主な目的は蒙古襲来で戦没した多くの霊を
敵味方なく弔うことでした。
円覚寺から東慶寺に向かう途中、渡る踏切
踏切はなぜか時の流れがゆったりして「カンカンカン」
という音は旅愁を感じされる
なかなかいいものだ。
円覚寺から徒歩約3分の鎌倉街道を右に曲がると
東慶寺の山門に到着
山門を登ると左に鐘楼、茶室「寒雲亭」
右に書院につながる参道。散った紅梅、白梅の並木が続く
東慶寺はこじんまりとした尼寺で静かで本当に落ち着く
しだれ桜が満開で美しい本堂
東慶寺は弘安8年(1285年)、北条時宗夫人の
覚山志道尼が開創。女性の側から離婚できなかった封建時代
当寺に駆け込めば
離縁できる女人救済の寺として明治に至るまで
約600年間縁切り寺法を守ってきた
別名「縁切り寺」として有名だ
後醍醐天皇の皇女、用堂尼(~1396年)の王墓
皇女が5世住職になって以降、東慶寺は松が丘御所と称されるようになった
哲学者和辻哲郎の墓
境内奥には墓苑があり、哲学者、文学者、実業家
スポーツ関係者等著名な方々が多く眠っている。
金沢出身の仏教学者 鈴木大拙の墓地
(2014-4-25付ブログ参照)
哲学者 西田幾太郎の墓地
岩波書店創業者 岩波茂雄氏の墓
他にも、安倍能成(元学習院院長)、出光佐三(出光興産創業者)
小林秀雄(文芸評論家) 高見順(小説家)
野上弥生子(小説家) 前田青邨邨(日本画家)
織田幹雄(アムステルダムオリンピック三段跳金メダリスト)
大松博文(東京オリンピック女子バレー監督)等々
夜中には皆、集まって百家争鳴の議論、論争が
行われているかもしれない。
鎌倉五山第四位の臨済宗円覚寺派の浄智寺
創建は北条氏の勢力が極めて盛大で禅宗が
もっとも栄えた13世紀終わりころ
東慶寺からは徒歩3分位の所にある。
鎌倉を歩いて気が付いたことは外国人の人がすごく多かったこと。
聞いた所によると、フランス人、ドイツ人等のヨーロッパ人が多く
派手好きなアメリカ人は少ないとの事。
この日もフランス語を多く聞いた。
仏殿の曇華殿とそのお庭
戦国時代から江戸時代に入ると、鎌倉は農魚村になってさびれ
寺院の多くも次第にかつての繁栄ぶりを失う。
ここ浄智寺もかつての伽藍を火災、地震によって失い
現在は淋しいお寺となってしまった。
この女性は卒業記念で写真を撮っているのだろう。
カメラマンを引き連れて色々な寺で出会った。
鎌倉の地はすぐ近くまで山が迫っていて、このような洞窟が沢山あり
仏像を安置している。
行った日は神奈川県知事選の告示日
TVキャスターをしていた黒岩知事が2期目に挑戦している。
キャッチコピー「マグネット神奈川実現」とは
どんな政策なんだろう。
浄智寺から明月院に歩いて行く途中に洋館造りの
「葉祥明美術館」がある
和の世界がずーと続いて来ただけに新鮮だった
1991年に開館。葉祥明氏は熊本出身の
日本の絵本作家。美しい原画の数々が展示してある
誰でも我が家のようにくつろぐことができる
イメージで建てられた
疲れた心を癒し、安らぎのひと時が過ごせる。