スミダマンのほのぼの奮戦記

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後白河法皇陵と法住寺

2022-09-21 06:16:44 | 旅 ~京都

最近では今年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で西田敏行が演じて話題になった

後白河法皇の御陵が三十三間堂裏側、

法住寺と養源院の間のひっそりと奥まったところにある。

正式には後白河天皇法住寺陵。

ここには他に5人の天皇の親王7人も祀られている。

この御陵(みささぎ)へのアプローチの間口は狭く細長い道となっていて

うっかりすると通り過ぎてしまうほど、目立たない。

御陵は昔は法住寺が守護してきた。

明治以降は宮内省(現・宮内庁)の管理する天皇陵となっていて、

土・日・祝日以外は拝所まで入ることができる。

後白河天皇は1127年10月18日(大治2年9月11日)誕生、

崩御は1192年4月26日(建久3年3月13日)65歳で崩御された。

日本の第77代天皇(在位・1155年8月23日~1158年9月5日)で

先代は近衛天皇、次代は二条天皇、平安時代である。

父親は鳥羽天皇で第4皇子として生まれ、異母弟の近衛天皇の急死により皇位を継ぎ、

譲位後は34年にわたり院政をを行った。

その治世は保元・平治の乱、治承・寿永の乱と戦乱が相次ぎ、

二条天皇・平清盛・木曾義仲との対立により、

幾度となく幽閉・院政停止に追い込まれるがそのたびに復権を果たした。

政治的には定見がなくその時々の情勢に翻弄された印象が強いが、

振興の鎌倉幕府とは多くの軋轢を抱えながらも協調して、

その後の公武関係の枠組みを構築した。

また、和歌は不得意だったが、今様を愛好して文化的に大きな足跡を残した。

源頼朝曰く「日本一の大天狗」と言わしめ、源平を翻弄する中世最大のトリックスター。

強大な権威と政治力を使い、武士たちと渡り合った型破りな巨星であった。

ここ法住寺は天台宗の寺で、永祚元年(989年)右大臣・藤原為光が、

その夫人と娘・怟子(花山天皇女御)の菩提を弔うため建てた。

当時は北は七条通、南は八条通、東は東山山麗、西は大和大路に及ぶ広大な地域を占めていた。

しかし、のちに火災し荒廃した。

保元3年(1158年)後白河天皇は法住寺の地を院の御所と定められ、上皇となって住まわれた。

その後、当寺の寺域内に蓮華王院(三十三間堂を本堂とする)や長講堂を造営された。

法住寺の本尊は不動明王。

後白河天皇ゆかりの寺である。

境内に入ると広さはあまりないが本堂、山門(竜宮造)は旧御陵の正門、

ミニ枯山水、庭園、阿弥陀堂、鎮守社、福寿観音、十三重石塔などがある。

ちなみに当寺は漫画・サザエさんの作者、長谷川町子の菩提寺でお墓がある。

法住寺正門の道路を隔てて向かい側には、あの有名な蓮華王院三十三間がある。

三十三間堂の南側に南大門(重要文化財)と言われる門がある。

この門は通常の道路として使われている。

単層切妻造の八脚門で桃山時代を代表する大規模な門の遺構で重要文化財であるのに、

タクシーや自動車、自転車など、観光や地元の人の通り道として利用されているのがすごすぎる。


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