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スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

浦和エリア隠れた名店シリーズ ~その9~

2018-04-17 06:51:00 | 地元企業

豆いち(山田屋)

さいたま市浦和区岸町4-2-24

TEL 048-822-2829

定休日 金曜日

「豆いち」さんは浦和駅東口から南浦和駅方面へ線路沿いに

歩いて4分、最後に西口側にガードをくぐった所にある

豆腐関連の加工食品会社だ。主に作る方が中心で

小売はあまり積極的ではない。

創業は大正元年と当社と同じ年で100年企業だ。以前は

高砂小の西側交差点(懐かしいハラパン)のそばにあったが、

2003年7月24日、再開発の立ち退きでこちらに移転してきた。

これを期に店名も山田豆腐店から豆いちにネームチェンジをした。

この方が、現在社長の山田さん。突然お伺いしたが、

快く工場内を見学させてくれた。氏は今年の春まで2年間、

岸中学校のPTA会長を務めた。慣れない役職を

一生懸命務め上げてお疲れ様でした。

お伺いしたPM5:00頃はオバサンが「がんもどき」を揚げていた。

がんもどきは水気をしぼった豆腐にすったヤマイモ、

ニンジン、ゴボウ、シイタケ、コンブ、ギンナンなどを

混ぜ合わせて丸く成型し油で揚げたものだ。

おでんや煮物に用いられることが多く、江戸時代の終わりまでは

こんにゃくを油で炒めた料理をがんもどきと呼んでいた。

元々は精進料理(もどき料理)で肉の代用品として作られたものである。

豆腐は大豆の搾り汁(豆乳)を凝固剤(にがり、その他)によって

固めた加工食品だ。豆腐という文字が最初に現れたのは

中国で965年の「清異禄」陶穀である。中国から日本に伝わり

元禄時代に絹ごし豆腐を発明した豆富料理店「根ぎし笹乃雪」の

9代目当主が20世紀前半頃、食品に腐るという文字を

用いることを嫌って豆富と記すようになって豆富が日本中に広まった。

私の大好きな油揚げは薄切りにした豆腐を油で揚げたもので

厚揚げ(生揚げ)とは異なり、薄切りにした豆腐を使用するので

内部まで揚がっている。「あげ」「あおげ」と略されることもある。

作り方は薄い豆乳で作った硬い豆腐を薄く切り、

水切りをしたあと110℃から120℃の低温の油で揚げ

さらに180℃から200℃の高温の油で二度揚げ(もしくは三度揚げ)

して作る。揚げ油には菜種油がよく使われる。

この日はビニール袋に入ったボール揚が大量にあった。

これは大量に注文があった為、生産したと言っていた。

豆いちさんには病院や学校からの直の注文が多く、

一般市民にはあまり知られていない。

店頭で小売りしている各種メニュー。もめん豆腐、きぬ豆腐、豆乳230円。

寄せ豆腐、おから、納豆、ごまプリン150円。

ゆば450円、ゆば豆ふ600円、あぶらあげ一枚70円、

なまあげ230円、がんも200円。

消泡剤は使わず国産大豆と天然がりで造っているとの事。

豆いちさんの揚げものは搾り方の製法特許を持つ米澤製油所の

究極の圧搾一番搾りの菜種油を使用している。

佐賀県産大豆「フクユタカ」を契約栽培しているJAさんの

佐城北部大豆共乾施設からの感謝状。豆腐に関しての

知識はほとんど無いが、ここの豆腐は色々な所に拘りを感じる。

浦和エリアの旨い豆腐料理は豆いちさんの

ものを使ってい入ることを今迄何回も聞いたことがある。 


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