http://www.city.nakano.nagano.jp/tatsuyuki/index.htm
「故郷」「紅葉」「朧月夜」など、日本の心のふるさとを歌う
文部省唱歌を作詞、国語・国文学者として大きな功績を
残した高野辰之博士の記念館。この記念館はかつて高野辰之が学び、
教鞭を取った永江学校、永田尋常小の後身の永田小学校の
跡地(中野市内)にあり、平成3年4月にオープンした。
年間1万人の人が訪れているそうだ。
記念館の前に立つ高野辰之の銅像。記念館はふるさとの
温もりを感じさせる純日本の木造建築。
入口正面のふるさとホールを挟んで右側は商家風2階建てで、
生涯学習活動の場である。右側は平家、2棟の土蔵造りになっている。
高野辰之は明治9年この地に農家の長男として生まれた。
厳しい父の下で育てられ、農業の手伝いをするかたわら
土蔵に隠れて本をむさぼり読む少年だったそうだ。
26歳の時、上田万年文学博士(円地文子の父)を頼って上京。
国語国文学の研究に没頭し、やがて「文部省国語教科書遍纂委員」に
選ばれた。国が初めて発行した国定音楽教科書
「尋常小学唱歌」を遍纂する中で、「春が来た」「紅葉」「朧月夜」などの唱歌、
又全国100余校の校歌を作詞した。校歌の中には
専修大、松商学園、なぜか越谷高校(埼玉県)などがある。
大正14年に東京帝国大学文学博士の学位。昭和3年帝国学士院賞を受賞。
昭和22年没。号は斑山(はんざん)。
特筆しない限り、「故郷」など高野辰之と一緒に唱歌の作曲をした
岡野貞一。(明治10年~昭和16年 63才、鳥取出身)。
岡野も160校を超える校歌を作曲した。目に付いた学校として
今年夏の高校野球で準優勝した金足農高。
女子の有名私立校、女子学院、銀座近くの泰明小。
そしてなんとロータリーの歌「我等の生業」がある。
辰之は美しいふるさとの風景を綴り、書き上げた。唱歌「故郷」に
出てくる兎追いは自然豊かな山村の冬期間の子供達も
加わった村総出の行事だとの事。
高野辰之の実筆の原稿用紙。肉筆の字はやはり
私達に伝えてくる力を感じる。
この窓の左方向に「故郷」で歌われた「かの山」が見える。
辰之の少年の日に友人と野山を遊んだ情景を懐かしんで作った
唱歌が「故郷―ふるさと」だ。「故郷」は日本人の心、
日本人の原点になっている日本人の宝の歌だ
それがこの地で生まれたことは知らなった。
その曲を作詞された高野辰之氏の記念館は、いつか行こうと思っていたところ、このブログに記事が上がっていたのでじっくり読ませて頂きました。(-人-)