今、日本列島はサッカーW杯日本代表の活躍で熱い。
サッカーのまち浦和も浦和レッズ一色の浦和の街が
一時日本代表の応援で表情を変えた。
浦和駅周辺の電柱は「サッカーのまち浦和 We are REDS!」の赤い旗から
「夢を力に2018 さいたま市は日本代表を応援しています。」の
青い旗に変わった。
特に浦和駅の改札口近辺は日本代表チームの
選手達の旗が沢山たなびいている。
この中から浦和に縁のある監督はじめ選手達の旗をアップしてみた。
W杯開催前と後で全く評価が変わった。
西野明監督は浦和の出身だ。
西野氏は、旧浦和市立原山中学校卒業後、その当時のサッカーの名門進学校
の埼玉県立浦和西高校でMFとして、全校高校選手権でベスト8の成績を残している。
その後早稲田大学、日立製作所、U-20、U-23日本代表監督、
柏レイソル、ガンバ大阪、ヴィッセル神戸、名古屋グランパスの
監督を経て、2016年3月から日本サッカー協会技術委員長に就任した。
今世論、特にマスコミは「西ちゃんごめんなさい。」と手のひら返し。
この日本人特有のエモーショナルな心理構造に昔から大いなる疑問を持っていた。

現在も日本代表のキャプテンを務めている長谷部誠。
2010年の南アメリカW杯岡田ジャパンから、8年間キャプテンを続けている人格者。
静岡県の藤枝東高校から2002年浦和レッズに入団。
5年間浦和レッズに在籍し、J1優勝やAFCチャンピオンリーグ優勝など、
レッズの黄金期を築いた。
その後ドイツブンデスリーガのV+Lヴォルクスブルグ、
ニュルンベルグからフランクフルトへ、
今年ブンデスリーガ100試合出場を達成した。
東北大震災のあった年に自己啓発書「心を整える」を出版。
印税金額を日本ユニセフに寄付している。
売上は140万部を超え、寄付額も180万ユーロに達している。
性格は生真面目で優等生的だが、それが良い面に出ている素晴らしい選手だ。
原口元気は、埼玉県熊谷市の出身。中学進学と共に浦和レッズジュニアユース、
その後飛び級でユースに昇格した天才選手。
2009年1月30日に浦和レッズとプロ契約を締結。
これは日本人でクラブ史上最年少だ。
2011年は開幕からレギュラーに定着し、ナビスコカップニューヒーロー賞を受賞。
レッズで中心的選手に成長した。
2014年ドイツブンデスリーガのヘルタ・ベルリンに完全移籍。
フォルトゥナ・デュッセルドルフ、そして先月6月12日にハノーファ96へ3年契約完全移籍した。
日本代表としてはW杯最終予選として史上初となる4試合連続得点を記録した。
原口はレッズユースからは最も成長、活躍した選手に成った。
ゴールキーパーの川島永嗣は、さいたま市中央区(旧与野市)の出身。
与野西中時代に本格的にキーパーのポジションを始め、埼玉県選抜に選ばれ、
ドイツとオランダへ遠征に行った経験のある。
県立浦和東高校へ進学し、3年の間に高校サッカー3大大会すべてに出場した。
学生時代は成績は優秀で、周囲からは大学進学を勧められたが、プロ行きを決断。
地元浦和レッズのセレクションは不合格となり、大宮アルディージャへ入団した。
その時、獲得を決めたのが強化部長の佐々木則夫(後に日本女子代表監督)であった。
その後名古屋グランパスエイト、川崎フロンターレへ移籍。そして海外へ活躍の場を移した。
2010年7月ベルギー・ジュピラーリーグ(1部)のリールセSK、
スタンダール・リェージュ、ダンディー・ユナイテッドFC(スコットランド)、
そして現在リーグ・アン(フランスリーグ)のFCメスに在籍している。
又、英語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、オランダ語、
フランス語など語学力が優れていることで有名だ。
尚、父親はロータリアンで度度お会いしている。

浦和レッズ所属のディフェンダー牧野智章は、広島市の出身。
サッカーファンであった父とサッカーをやっていた2人の兄の影響で
小学校1年生からサッカーを始めた。
2000年にサンフレッチェ広島ジュニアユースに入団。
ユースに昇格し、同期に現在レッズの柏木陽介と一緒に、2006年にトップチームに昇格。
2007年8月にレギュラーに定着した。その後Jリーグベストイレブンに選出され、
又、全試合に出場しながら警告、退場が1枚もなく、フェアプレー個人賞も受賞した。
2010年12月レッズの監督も務めたフォルカー・フィンケの誘いで、
ドイツ・ブンデスリーガのIFCケルンに入団したが、出場はわずかで終わった。
その後、広島時代の恩師ミハイロ・ペトロビッチ浦和レッズ監督就任に伴いレッズに入団。
持ち前の明るいキャラクターでレッズサポーターと
「We are Daiamonds」を一緒に歌うなど、
チームとサポーターの距離を縮める施策を実行した。
正に浦和レッズのムードメーカーだ。

将来、日本代表のエースを嘱望されている浦和レッズの若きエース遠藤航。
横浜市出身の25歳で、中学3年の時に湘南U-18からオファーを受け、
2010年湘南ベルマーレでJリーグデビュー。
その当時の反町監督から「ボールは動かせるし、身長(178cm)は低いけれど、
ヘッディングも強い。」と評価された。
チームのJ1昇格に貢献し、その後2015年12月、浦和レッズに完全移籍した。
2016年リオデジャネイルオリンピックのメンバーに選出され、キャプテンも務めた。
最近のエピソードとして、湘南ベルマーレの本拠地平塚から選出された
現外務大臣の河野太郎氏(湘南の社長も務めていた)が
浦和に講演に来て、遠藤を湘南に返してほしいと言って、
会場を笑わせたことが、個人的には印象深い。
私もずっと観察してきたが、ポジション取りが素晴らしく、
とてもクレバーな選手だと感じている。



URAWA SOCCER STREET(2018-3-24付ブログ参照)
の中にあるレッズオフィシャルショップを入った所に,
浦和レッズから日本代表選手に呼ばれた
槙野智章選手と遠藤航選手の等身大パネルがサムライブルーの
ユニフォムとマフラーをまとって展示してあった。



浦和サッカーストリートのタッチディスプレパネルのデジタル・インフォメーションウォールも
W杯バージョンが加えられていた。

度々メディアで露出している浦和レッズの夜の聖地「やき鳥 力」にも「がんばれ日本!」
の横断幕が登場。店内の大型TVモニターもロシア杯の中継で大盛り上がりだろう。



これが普段の浦和の街の姿。
裏門通りとさくら草通りの光景です。
「ガンバレ ニッポン!」