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スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

両国の見どころを歩く(その1)

2018-04-21 05:23:05 | 旅 ~東京

両国は相撲の街。駅名の書体も番付表の江戸文字を使う徹底さ。

今両国の街は相撲以外にも江戸時代の旧跡を多く残し、

街作りに生かしている興味深い街に成っている。

その両国の見どころを3回に渡ってアップしてみます。

両国は隅田川の東側、墨田区にある。ビックな見どころは

国技館、江戸東京博物館、東京都慰霊堂(関東大震災

関連施設)そして先日アップした新名所すみだ北斎美術館などがある。

そのいくつかは既にブログアップしてあるので

今回は意外に知られていない見どころを紹介します。

両国駅を降りて改札口に向かう途中に他の駅では

真似することのできない大きな大きな横綱の額と

歴代横綱の手形が飾られている。その横には横綱と

背比べと称して203㎝の曙太郎から昔懐かしい172㎝の

鏡里喜代治まで4人の横綱の身長が表示されてある。

それにしても鉄骨むき出しの天井はかえって風情を感じるものだ。

改札口の手前天井には国技館で吊りされている満員御礼の

垂れ幕が上手に飾られてた。やはり両国駅は相撲一色の個性的な駅だ。

両国駅の3番線臨時ホームへと続く通路のステーションギャラリー。

写真パネルが多数設置されており、両国駅の歴史を

たどることができる。両国というのは武蔵国と

下総国の二つの国。江戸防衛の観点から橋を制限していたので

振袖火事(明暦の大火)の際には死人が沢山出てしまったのだとか

興味深い話もたくさん紹介されている。

このギャラリーは2015年4月5日にオープンした。

2016年11月25日に開業した注目の両国江戸NOREN

http://www.jrtk.jp/edonoren/

「粋な江戸の食文化を楽しむ」をコンセプトに、魅力ある

和食店が両国駅に集結。歴史ある両国駅の旧駅舎を

建設当時の面影や懐かしい雰囲気を生かした外観に変貌した。

両国はかつて江戸最大級の庶民で賑わっていた街。

町人の活気あふれる両国はせっかちな江戸っ子ならではの発想で

手早く食べられる江戸前の握り寿司が広まった

原点でもある。活気や粋・遊び心があり、様々な食文化が

成熟した江戸・両国に想いを馳せ、館内は江戸の

町屋を意識した吹抜け空間が広がっている。

江戸時代からここ両国で興業が行なわれていた相撲。

相撲が神事として、土俵は神聖な場所とされている。

土俵とは土を盛って作る相撲の競技場のことで、

俵に土を詰めた袋(土俵)を使っているため土俵場(どひょうば)と

呼んでいたが、縮まって「土俵」と呼ばれるようになった。

入口側の床に描かれた二重の円は江戸時代のひとつを

再現したものだ。尚この土俵は呼出さんが作った原寸大の大きさのものだ。

和食の魅力に触れ、江戸の伝統や文化を学びながら

楽しめる様、12の和食系テナントが入っており、

「ごちそうのまち。江戸へ」誘っている。その業態を紹介してみると

酒・角打ち、月島もんじゃ、海鮮料理、ちゃんこ、甘味処、

寿司、軍鶏料理、天ぷら、深川めし、そばなどだ。

本当に楽しい施設を作ったものだ。

いよいよ、歩いてすみだ北斎美術館に向かう道中、

江戸東京博物館の所で亀に乗った徳川家康と遭遇。

15代続いた江戸幕府に因み、 贔屓の甲羅の上には

15段の台座が積まれている。台座の上には鷹狩装束に

身を包んだ家康公、東京の礎を築いた家康公を

都内で仰ぐ銅像は意外にもこの一体のみだ。

さらに北斎通りを進んでいくと和モダンの門構えの

両国湯屋「江戸遊」がある。(http://www.edoyu.com/ryougoku/

一般の銭湯の湯舟の壁にはよく富士山の絵が描かれているが、

ここの絵は葛飾北斎の富士が描かれている。

宝暦10年(1760年)9月23日、葛飾北斎は

この地(本所南割下水―墨田区亀沢)付近に生まれた。

北斎は浮世絵の役者絵を出発点として、狩野派、光琳派、やまと絵など

さまざまな流派の技法を学び、新しい画風をどんどん確立させて

多くの名作を残した。なんと亡くなる90才まで

創作意欲は衰えなかったという。

両国―江戸NORENの中には両国観光案内所があった。

ここで偶然、江戸の歴史が息づくまちすみだの両国を

専門ガイドが案内する「両国まち歩きガイドツアー」の

紹介を受けた。そこで大人気3大ツアーのうち

両国歴史コースをお願いした。

 

この方がコースガイドのNさん。90分コースで1人500円と

本当に良心的なCPだ。しかもイヤホンガイド付きだ。

参加人数は4名とまるで街角セミナーのようであった。

それでは出発!最初に回向院に向かう。


ディープな街 赤羽

2018-04-05 05:40:05 | 旅 ~東京

東京都北区北部北端部に位置する赤羽。北で荒川を

挟んで対岸に埼玉県と隣接し、ほぼ同一の経済圏を

形成していて、非常に密接な経済的かつ生活上の関係がある。

かつて明治4年に赤羽が浦和県から東京都に編入されたことを

皆さん知っていましたか。この写真は赤羽駅東口、

平成23年に北口コンコースのリニューアルが完成した。

赤羽駅は「ABN」のスリーレターコードが付与されている。

北口を出て左に行くと、薄暮の一番街のアーチゲートが目に入った。

ここが見知らぬ人同士がふとしたきっかけで打ち解け合う

雰囲気を持ったディープなエリアだ。

2015年1月から深夜帯で放送されたドラマ

「山田孝之の東京都北区赤羽」(テレビ東京ほか)で

すっかりメジャーになった感のある街、赤羽。かつては朝から

飲んでいる人がいた。オヤジの街という印象が強かったが、

最近は女性や20~30代が意外と多くなったという。

「すっぴんで歩けそうな街ランキング」1位

「生活費が抑えられそうな街ランキング」3位

「昼から飲んでも怒られない街ランキング」5位に

ランキングされている赤羽。こんなに近いのに意外に

街の奥の顔は知らなかったおもしろい街だ。

一番街周辺に広がるOK横丁、明店街、シルクロード・

闇市由来の路地が残る飲食店街、しばしばマスコミに取り上げられている。

こんな中、私でも知っている立ち飲みおでん屋の「丸健水産」。

せんべろ界(1000円でべろべろに酔える店という意味)で

必ず紹介される場所が、大衆居酒屋の聖地赤羽の

中でも最も人気で雰囲気を味わえるのが、ここ「丸健水産」です。

無造作にテーブルに置かれ、皆ワンカップを片手に

立ち飲みをしている。なんとも昭和レトロを感じさせる店だ。

アーケードの商店街の雰囲気ともあいまって「これぞ下町!」

という空気を醸し出している。赤羽の醍醐味はこの飾らない下町の風景だ。

丸健水産は他店と違い常連さんたちと楽しく話しながら

飲むという渋くて小粋な大人の休日が過ごせる。

「おごりおごられ禁止」「酒類持ち込み禁止」インパクトありますネー。

因みに朝10:00から店はやっているそうだ。

朝9:00から飲める、鯉とうなぎの「まるます家」。プロの酒呑み場と

名が売れ、名物女将のいるお店らしい。ここに貼ってある

注意書きもすごい。「飲食しての入店はできません。」

「アルコールを飲みながら並ばないで下さい。」正に飲んべいの街らしい内容だ。

ここにもシラスウナギ大不漁による値上げのお知らせが出ていた。

うなぎは庶民からどんどん離れていってしまう。

まだ夕方の為、人通りが少なく飲み屋街の雰囲気が

出ていないのが残念だ。それにしても、どこも建物が古く、狭くて

戦後の闇市の名残の雰囲気が、昭和の郷愁を誘う街だ。

こちらは一番街より、現代的なスズラン通り(LaLaガーデン)商店街。

アーケードは安心安全をモットーに設計されており

歩道もゆったりとしていて植栽もされている。

12:00から20:00までは歩行者優先道路となり、

なぜか自転車の数が多い。アーケードのドームは

ポリカーポネート製で陽の光を取り入れていい感じだ。

赤羽は一般的には庶民的で住みやすい街と見られている。

スズラン通りの一番奥には北区赤羽岩淵中学校があった。

アーケードの商店街にある学校は記憶が無く

逆にユニークな空間に感じた。なんと創立は平成21年との事。

なんと新しい学校なんだろう。校歌の作詞作曲はあの小椋佳だ。

最近スッカリ見なくなった靴磨きのおじさん。ディープな街

赤羽にはこのおじさんが良く似合っていた。

 


乃木神社

2016-06-06 06:25:13 | 旅 ~東京

乃木神社は、大正元年9月、明治天皇のあとを追い

夫人静子とともに、大喪の日、自邸にて殉死を遂げた

乃木希典を祀った神社

そしてこの鳥居の前の坂が幽霊坂を改名した乃木坂

乃木神社の案内図。都心にあるとは思えない

こんもりした森の中にあり、その一画に旧乃木邸、乃木公園がある

現在の耐震工事中の旧乃木邸の裏門

陸軍大将乃木希典は嘉永2年11月11日(1849年)に生まれ

日露戦争における旅順攻囲戦の指揮を執った

第10代学習院長にも任じられ、昭和天皇の教育係も務めた

自宅は明治12年にこの地を購入、明治35年に新築した。

拝殿と本殿。ちょうどその時、厳粛に神事が

執り行われていた

乃木神社と同じ様な神社として海軍元帥東郷平八郎

を祀った東郷神社(渋谷区)

児玉源太郎陸軍大将を祀った児玉神社(藤沢市)等がある

明治記念館(2015-6-26付ブログ)にもあった

さざれ石。国歌君が代に歌われている

明治に因んだ所にあるのは偶然か必然か

乃木神社の境内にある正松神社。

萩の松陰神社より二柱の御分霊を祀ってある。

旧乃木邸の隣りにある乃木公園の真ん中にズドーンと建っている

近代的モニュメント。東京ミッドタウンを背景に存在感がある彫刻だ。

その横には真逆の崩れ朽ちたレンガが悲しそうに残っていた。

一体これはなんなのか?何かのメモリアルなのか?

 


小さな旅PARTⅢ(浅草風景)

2016-05-24 06:33:21 | 旅 ~東京

浅草雷門前に平成24年4月にリニューアルオープンした

浅草文化観光センター

「探せる 見せる 支える」をコンセプトに年中無休で

AM9:00~PM8:00まで観光案内所として

オープンしている

ここは英語、中国語、韓国語にも

対応でき、8階の展望テラスからは浅草の街を

一望することができる

又、この建物は新国立競技場の設計で

有名な隈研吾氏(昭和29年生)が設計した

氏の設計は木材を使うなど和をイメージした

デザインが特徴的で和の大家とも称されている

代表作品にM2(現東京メモリードホール)

根津美術館 新歌舞伎座などがある。

雷門に向かって左角地にある東京みやげの代表の

一つ雷おこしで有名な常盤堂雷おこし本舗

ここは創業250年余りの老舗だ

雷おこしは雷門を由来としており、「家を起こす」

「名を起こす」をかけた縁起物で、江戸時代後期の

1795年(寛政7年)焼失した雷門の

再建を機に露天商が縁起物として売り始めたのが

発祥と言われている。

インバウンドの外国人が必ずと言っていいくらい

来る浅草雷門前

ここは超有名なフォトスポットで皆

カメラ、スマホを持って記念写真を撮っている

この人混みだけで大変な混雑なエリアだ

日本で最も古い商店街の1つ浅草仲見世商店街の裏側

私の好きな弁柄色に塗られていて

裏側も風情がある

仲見世の始まりは元禄、享保の頃と言われている。

(2011-10-28付ブログ参照)

 


亀戸天神社

2016-05-21 06:29:47 | 旅 ~東京

2016-5-9付ブログの「藤の花」に書いた様に

東京一の藤の名所といわれている亀戸天神社に行って来た

亀戸駅から歩いて約10分程、商店街を歩いて行くと

ずーっと「亀戸天神藤まつり」の旗が下がっていた

東宰府天満宮、花の天神様

創建は1661年(寛文元年)で九州大宰府天満宮に

対して東の宰府と称されている

通称亀戸天満宮、亀戸天神とも言われている

大鳥居から本殿までには2つの太鼓橋を渡って行く

大鳥居から最初の橋は男橋。大宰府天満宮を

模して造られ「三世一念の理」に基づき、過去を表す

次の女橋は希望の未来を表す

江戸下町の風情と近代的なスカイツリーの

新しい東京の新風景の一枚

太鼓橋の上から見渡す藤棚が亀戸天神の

特徴、売り。神社中が一面藤色に染まるそうだ

この本殿は学問の神様、菅原道真公を祀っている

当社は下町の天神さまとして多くの方々に

親しまれ、この日も藤まつりということで

大変な賑わいだった

「藤の花」のブログでは今から遅くない

気に成る藤の名所に行ってみようと書いてしまったが

亀戸天神社に行った日(5月3日)は

もう藤の見頃は終わっていた

今年は全般的に花の見頃は早いようだ

境内に貼り出してあった藤の花開花状況を見ると

10日間位行くのが遅かったようだ

花を見に行く時は、新ためて

行き当たりばったりでは駄目だ

事前によく調べておかなくては

この写真に亀が何匹写っていると思いますか?

答えは11匹です

亀戸という地名や池があることから、カメが多数棲息している

受験生が合格祈願に訪れ合格のお礼に

池にカメを放流する為、ドンドン増えているらしい。

池の周りの参道には藤まつりとあって多くの屋台が出ていた

この屋台ではこの男の子が大きな話で

「〇〇いかがですか」と一生懸命、売子をやっているのが

とてもかわいかったのでパチリ

亀戸天神参道入り口のすぐ近くに

くず餅で有名な元祖船橋屋本店を発見。本店がここだとは知らなかった

文化2年(1805)創業の老舗店で初代の

出身地の地名を屋号にしたとか

「おいしいものは人間を幸せにする」が店のコンセプト

全くその通りだ。

 


寒の戻りの上野の山

2016-03-29 07:50:44 | 旅 ~東京

今年の都内の桜の開花日は3月21日(月)だったが、その後の

寒の戻りで、上野公園に行った3月26日(土)は

まだ3分咲き程度だった。

今年も上野の山に多くの外国人が来ていた

いつまでも写真を撮っていた彼女もそうだ

夕方(PM5:30頃)にフジTVのクルーがたぶん

実況放送をするのだろう、カメラのセットをしていた

花より団子の若い人達は肌寒い中、宴会で盛り上がっていた

こんなコスプレの集団もいたのでパチリ

上野恩賜公園の案内図

昨年の今頃もブログに上野の山をアップしたが

今まで載せていない上野の名所をアップしました

上野の山と言えば西郷さん。あまりにも

有名な西郷隆盛の銅像の由来を書いてみます

幕末、そして明治維新の英雄、西郷の晩年(享年51才)は

悲劇的なものであった

明治10年9月24日、西南の役で敗れ故郷の

鹿児島城山の地で自刃した

その為、一時逆賊とされたが、明治22年

明治天皇によって名誉を回復された

この銅像はこれに感謝した隆盛の旧友

吉井友美が偉大な功績を銅像を建立してその由を

後世に残すために明治31年に立てられた

この像は彫刻界の巨匠高村光雲の作

彰義隊の墓、徳川慶喜の側近達は慶喜の助命を求め

慶応4年2月に同盟を結成、のちに彰義隊と称し

上野山にたてこもった

慶応4年5月15日朝、大村益次郎指揮の官軍が

総攻撃、同夕刻敗走した。いわゆる上野戦争だ

遺体は、南千住円通寺の住職らによって当地で茶毘に付された

重要文化財の寛永寺清水観音堂

江戸時代寛永8年の建立だ

歌川広重の名所江戸百景で描かれている

「月の松」

上野の山に大仏とパゴタがあったとは知らなかった

寛永8年(1631年)堀円後守直寄公が

釈迦如来尊像を当山に建立せられ

1660年頃青銅の大仏に改鋳された

大正12年の関東大震災で破損のため撤去した

パゴタは昭和42年、大成建設が寄進した。

 


西新井大師

2015-10-07 07:42:04 | 旅 ~東京

西新井大師は関東三大師の1つ、他に川崎大師等

正式には真言宗豊山派 五智山総持寺という。

この山門は江戸時代後期の建立

山門にある金剛力士像。山門の天井には

ご覧の通り御礼(?)がびっちり貼ってある。

これは一種のアートだ

弘法大師御降誕1200年の記念として建立された

延命水洗地蔵尊

因みに、地蔵菩薩は釈尊の滅後、仏がいなくなったこの

世界の衆生を弥勒佛が出現するまでの間

教化する菩薩のこと。

西新井大師は弘法大師(空海)が関東巡錫錫の途中

西新井を通った際に本尊である観音菩薩の霊託を

聞き、天長3年(826年)に寺院を建立したことに始まる

江戸時代中期に建立されたこの本堂は

昭和41年に火災で焼失

昭和46年に再建された

ここは関東八十八ヶ所の霊場でもある

又、東国花の寺百ヶ寺とも書かれている。

本堂には秘伝の十一面観音と阿弥陀三尊像が安置されている

稚児大師尊像

弘法大師は宝亀5年(774年)6月15日、讃岐国

多度郡、現在の香川県善通寺市に出生

幼名を真魚と云い、幼にして智恵深くして、神童の

誉れ高くすべてに秀でていらしたという。

弘法大師修行蔵。この男性は本当に信心深い人だ

境内にあるあらゆる箇所で深々と永く手を

合わせていたのが印象的だった。

四国八十八箇所霊場

お大師様のご利益と観音慈悲の功徳を一時に

与えて下さる礼拝所

基壇の周囲、石坂の下には四国霊場と高野山の

霊砂が順に敷かれている。

水桶を抱える四人の童子のアップ写真

なかなかいい感じだ

1日6回法要を行っている水子供養清規

ここの地蔵尊は、三途の川の賽の河原に在っても

子供達の迷いを除き能く救うとされる。

明治17年建立の「三匝堂」都内に残る

唯一の栄螺堂だ

この地蔵菩薩は、塩地蔵と呼ばれ、江戸時代より

特にいぼ取りその他に霊験がありと伝えられ

御堂内の塩をいただきその功徳ある時、倍の塩をお返しする。

お大師様の山門 入口の商店街

ここは下町の為、庶民的な匂いがする

商店街に飾ってあった御輿

「お大師だんご」。草だんごはなぜか下町の

風情によく似合う。

古いおせんべい屋さん。丸いガラスの容器を

久し振りに見て、昭和の時代が懐かしい。

こちらはダルマ屋さん。

お大師様と言えばダルマだ。

大師前駅周辺地域案内図

最寄の駅、東武大師線「大師駅前」

西新井大師は今でも庶民の信仰を深く集めている

感を強く持った。小さなお堂、地蔵菩薩が

境内に沢山あり、多くの人の悩みを受け入れている。


吉祥寺の街(小さな旅ー11)

2015-07-22 07:49:42 | 旅 ~東京

井の頭公園への最寄駅JR吉祥寺駅南口(公園口)

吉祥寺とは明治22年~昭和37年まであった大字名で

吉祥寺駅を中心とする広域地名

吉祥寺は有数の高級住宅街で著名人が多数居住している

住みたい街ランキングで絶えずNO1を獲得

これは商業地域と住宅街の近接性

新宿、渋谷など主要駅に一本でアクセスできる利便性

井の頭恩賜公園、三鷹の森ジブリ美術館など

行楽地への至近性などが人気のある理由といわれている。

居住している著名人の一人、漫画家の楳図かずお邸を発見

赤白のストライプの個性的な意匠で一時話題になった。

駅から井の頭公園までのこの通りは一種おみあげ屋さん通りみたいだ

吉祥寺の街の特色の一つにサブカルチャーの発信地要素があげられている

1937年から根を下ろしている前進座を代表とする演劇の街

ジャズ喫茶、ライブハウス、などの音楽の街

漫画家が多く住み、アニメーション制作会社、ゲームソフトメーカーも多い。

そして成蹊大、東京女子大ほか多くの大学があり

下北沢、お茶の水と並んで東京有数の学生の街と言われている。

こちらはJR吉祥寺駅北口

この街はハッキリしたコンセプトで造られている

東西南北、十字線上に四つの大型商業施設を置き

回遊性の高い街づくりをしている

これは、高山英章研究室(東大工学部都市工学科)

が策定した駅周辺都市計画案がベースになっている

北口駅前にある「ハーモニカ横丁」

戦後の闇市の名残で、入り組んだ細い路地の中に

小じんまりとした商店が混沌と建ち並ぶ様は

古き良き武蔵野の面影を残している

この横丁の命名者は武蔵野市に在住していた作家

亀井勝一郎。小さな店舗が立ち並ぶ様を

楽器のハーモニカの吹き口に例えたことから由来している。

全98店舗(2010年)の地図

歩いてみると本当に狭い道が交差している

飲み屋街としても有名で、夜になると仕事帰りの客らが集い

昼とは違った賑わいを見せる

又、吉祥寺を舞台とした、小説、映画、アニメ作品等にも

ハーモニカ横丁はよく登場する

最近は入居している店舗の経営者が高齢化し

閉店する店舗も増えているそうだが、この様な

お洒落な店もできてきた

ハーモニカ横丁に接しているこのアート街には、吉祥寺の

代表的商店街のダイヤ街。すごい人混みだ。

高級住宅街を見てみようと、かなりの距離を歩いた

のども渇き、足も疲れて来たので一服休憩に入った

Sweet & CafeBarの「lafrutta」さん

自家製ジェラードが腹にしみて生き返った

ここは吉祥寺の代表的商店街の一つ「サンロード」

この人混みを見てください。すごい人、人、人です。

吉祥寺 発展の歴史に関東大震災を契機に多くの人達が移り住んだという。

なにか一日この街を歩いて色々な所に浦和と

似ているものを感じた。

これからの浦和の街づくりにサジェスチョンを与えてくるのが住みたい街

NO.1の吉祥寺だ。

 


井の頭恩賜公園(小さな旅-10)

2015-07-18 07:42:49 | 旅 ~東京

朝起きたら天気が良かったので、小さな旅「井の頭公園」に行ってみた。

こんな気楽な思い付きも湘南新宿ラインが開通したおかげだ。

吉祥寺駅からたった徒歩5分の所に都内のオアシス

井の頭公園がある。そこの入口の右側が昼食に行った

「いせやさん」

井の頭公園は武蔵野市と三鷹市にまたがる都立公園

大正6年5月1日開園され、石神井公園、善福寺と並ぶ

武蔵野三大湧水池と言われている。

細長い形の井の頭池(約1万3000坪)のほぼ真ん中に架かっている七井橋

やはり都会の公園だ。美しい噴水の向こうには大きな

マンションが建っている

住民にとっては最高の住まいかもしれないが

景観は壊している。

橋を渡るとボート乗り場がある

スワン型のボートにはカップル、ファミリーが都会の休日を楽しんでいた

ボート乗り場の向かい側には、鳥や水生物を中心とした

井の頭自然文化園がある

井の頭公園を歩いているとどこか見覚えある風景を思い出す

そうだ!

ここは浦和の別所沼の大規模版だ!

しかし、駅から歩いて約5分

幾軒の洒落たレストランそして動物園などやはり

別所沼と比べては悪いかなとも思う。

別所沼では釣りをしている人がいるが、ここは釣りは禁止だ。

公園内の小高い所にある素敵なレストランも長い列

ここではランチできる。

雰囲気があってさすが吉祥寺

最近はペットブームでいい感じのカップルそして

ここは多くの外国人が犬の散歩をしていた

昭和20年代、三鷹市に居を構えていた作曲家

中田喜直(1923~2000)の歌碑

代表曲としてこの碑の「ちいさい秋みつけた」(1955年)

「めだかの学校」「夏の思い出」などがある

七井橋を渡って右にしばらく歩いた所にあった道案内標示

公園全体は約12万5000坪あり、ここから

約10分歩くと三鷹の森ジブリ美術館、約5分で動物園がある。

少子高齢化とはこうゆうことなのか。

昔はピクニックといったら子供達の世界だったが

今や高齢者が男女で楽しそうにピクニックをしていた

これは新鮮な一枚だ。

このグループの周りにきれいに咲いていたあじさい(紫陽花)のアップを

一枚UP

この井の頭弁財天(別当寺は天台宗大盛寺)の歴史は遠く

平安時代にさかのぼり、鎌倉時代の元弘の乱で

焼失したが徳川家光により再建された

湧水の池だから当然、周囲は高台になっている

この木階段を登るとそこは閑静な高級住宅街だった。

ちょっと派手な一団に遭遇。声を良く聞くと中国語だ

この御一行はたぶん香港人か台湾人だと思う。

最近の外国人ツアーはこんな所まで来るのか

井頭の池の湧水

その昔、当地方へ狩りに来た徳川家康がこの湧水の良質さを

愛してよく茶をたてた所からこの水を「お茶の水」と呼んでいる。

1人黙々と絵を画いている男性。こんな風景も

画家の街浦和別所沼でも見かける

平成19年より(全国的にも画期的な試みとして)登録制度

(井の頭公園アートマーケッツ)を作った

これが、その出店許可証

公園の中をバイオリンの音色が心地よかった。

こちらは長風船を使った手品師

年配者のカントリーミュージック演奏。目の前で

おじいちゃんと孫が楽しそうにダンスをしていた

それにしてもこの老人はカッコよかったナー

物販の人も多勢、ハンドメイドの商品を並べてノンビリ過ごしていた

ここは正にアート発信の場所だ

意外と知られていないと思うが、ここが神田川の源流だ

川としては短い川だが、このチョロチョロした流れが

あの神田川になるのだから・・・・

井の頭池はかつてはゆたかな湧水が神田上水に流れていたが

湧水がなくなり、現在は地下水を組み上げて放流している

アオコなどの植物プランクトンが増え、水質が悪化している

2017年井の頭公園開園100周年に向けて

井の頭恩賜公園100年実行委員会は

「よみがえれ!!井の頭池!」

の下、市民・地域の方々とかいぼり等水と緑の

保全について一緒に取り組んでいる

なぜか自転車置き場で3人のカメラマンの撮影会が

行われていたので、それを盗み撮り。

外国人女性モデルがポーズをとってそれを3名が

追いかけていく。

特にこの黒人は恐ろしい程モデルに接写して

撮っていたのにはビックリだ。

井の頭池のぐるり周りには多くのベンチが設備されている

よく見ると各ベンチには金属プレートが貼ってあった

このベンチは2003、12月付の思い出ベンチ

「淳一 従順に 礼儀正しく 体を鍛え

世界の全てを学び 尚蹻らぬ人にー」

祖父母 人それぞれの人生へのメッセージが綴られている。

自分なりに納得の写真3枚をアップしました

約1時間半の散歩を終え、吉祥寺の街へ移動しました。

 


上野東照宮

2015-04-23 07:48:39 | 旅 ~東京

毎年恒例の得意先観桜会に招待され、今年(4月2日)も上野の山に行って来た

丁度、桜が満開になり、最高の花見になった。

人出もご覧の用にものすごい人。今年はニュースでも

報道していたが、外国人が多かったような気がした。

良く見えずらいが、桜の花吹雪

「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」

この心は外国人はどう理解するのか。

毎度、お馴染みの「花より団子」の宴会風景

この日は天気も最高だった。

小松官彰仁親王銅像

親王は鳥羽・伏見の戦に征東大将軍として参戦

ついで戊辰戦争にも従軍した。

日本赤十字社の前身、博愛社の総裁として

赤十字活動の発展に貢献した。58歳で没

上野恩賜公園内にある神社「上野東照宮」

の赤い水舎門。ここは寛永4年(1627年)

藤堂虎が虎の敷地内に創建した。

他の東照宮との区別のために鎮座地名をつけている。

参道は桜の花見客で大変な混みよう。

沢山の屋台が出ていてまるで縁日のようだ。

ここにもYOU(外国人)が大勢いた。

最近、色々な観光地へ行くと外国人が増えたのを肌で感じる

高さ36Mの旧寛永寺の五重塔

寛永16年(1639年)に再建され、重要文化財に指定されている。

上野東照宮の社伝によると、元和2年(1616年)

危篤の家康から自分の魂が末永く鎮まる所を

作ってほしいと藤堂虎と天海に遺言された

現在の社殿は家光が改築し、平成21年~平成25年まで

修復工事が行われた。

平成26年から公開されている。拝観料は500円

本殿の前の唐門。周りを囲んでいる透塀は有名だ

ここ上野東照宮は、家康、吉宗、慶喜を祀っている。

そして意外なことに、広島市内に落とされた原爆により

家々が炎に包まれたその火種を境内に

大事に保存してあるとの事。

重要文化財の50基の銅燈籠

諸国の大名が奉納。特に紀伊、水戸、尾張の

御三家は2基ずつ寄進した。

戊辰戦争、関東大震災でも焼失せず、第二次世界大戦でも

不発弾のみで今日まで残った

尚、この銅燈籠は、神事、法会を執行するときの

浄火を目的とするもので照明用具ではない。

上野の山の夜桜。人混みは夜まで続き

大変な人出だった。

桜の種類は沢山あるが、やはり染井吉野が

一番だと思う。