興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

意味の作り変え

2006-09-26 | プチ臨床心理学

私たちは、過去に様々な経験をし、現在も何らかの 経験を現在進行中で、これから先もいろいろな 経験をしていくことになるけれど、その中には、 本当に楽しくて素晴らしいものもあれば、 思い出すのも不愉快だったり苦痛だったりする、 トラウマティックなものも多いと思う。

この、不愉快で苦痛な経験というのは、時に 精神に支障を来たすほどに深刻な体験だったり するけれど、トラウマとして記憶されている 自分の中でまだ未解決な出来事は その出来事における解釈とワンセットになって存在している。

ここで大切なのは、全ての物事には、 「起こったこと」そのものの意味での「現実」と、 個人によって捉えられた、解釈を含んだ「現実」とが 存在することだ。

もちろん、全ての経験された出来事には、 個人的な解釈が伴うわけで、それは、ポジティブな体験にもネガティブな体験にも言えることだけれど、 今回話題にしているのは、主にネガティブな 経験についての話である。

誰にでも、過去の出来事で、今でも思い出すたびに 嫌な気分になることってあると思う。また、 ここ最近を振り返ってみても、不快な体験の 一つや二つはあるのではないだろうか。

そうした出来事において、「なんでそれは 自分にとって不愉快なのかな」とか、 「その出来事の(具体的に)何が自分を これだけ嫌な気分にしているのだろう」とか、 「自分の気持ちを乱している本質はなんだろう」と 考えてみると、そこには必ず、その体験における なんらかの「意味」が見つかると思う。

たとえば、「とても愛していて、誠意を尽くしていた 恋人が、誰かと浮気をした挙句に、自分を捨てて その人の方に行ってしまった」、という体験。

この「体験」の描写は、割りと個人的なニュアンスが 含まれているけれど、もっと素のままの、 「一つの出来事」として捕らえてみると、 「カップルのうちの一人が、他の異性に興味をもって、 結局その新しい異性を選んだ」

というもっとシンプルな現実が出てくる。

この体験が、去られた人間にとって苦痛なのは 誰にでも分かることだと思うけれど、では なぜそれが苦痛なのかといえば、そこには、 「裏切り」、「見捨てられ感」、「拒絶」、 「幻滅」、「失望」、「尊厳の欠如」、 「一人の女/男としての敗北感」、「失敗」、 などの、「一方的で理不尽な形の失恋」という 意味や解釈が伴うからだったりする。

しかし、多くの人が体験するように、そうした 身を切られるような思いの失恋に伴う 辛い気持ちは、時を経て、忘れた頃に
癒されている。

どのようにして、失恋の傷は癒されたのだろうか。

そこには、時の経過や忘却のシステムなど様々な 要素が関与するけれど、それとは別に、私たちは、 時間をかけて、その体験から少し距離を持ちつつ、 その出来事に対する新しい意味を見出すようになる。

失恋の渦中にいるうちは、強烈な感情などで 見えなかったけれど、そのうちに、「そういえば、 自分は相手の気持ちに全然答えてなかったな」とか、 「もっと一緒にいる時間を作ればよかった」とか、 「もっとコミュニケーションを大切にすれば よかったかな」とか、「自分がそっけなくて、 相手は寂しかったのかな」・・・などと、いろいろ 新しいことを思いつくようになり、やがて、 失恋当時に感じていた解釈とは全く異なった 新しい意味が、その体験に見出されるようになる。 「裏切り」や、「敗北」とはまた違った意味が。

過去の経験で、今でもこころの中で未解決なもの というのは、ほとんどの場合、こうした、「新しい 意味」が見出せない状態だったりする。それは、 「新しい意味」など到底見出せないほどに複雑な 状況だったり、まだその出来事にたいしてこころの 距離が近すぎたりするわけだけれど、精神療法に よって、クライアントがトラウマから癒されて 進んでいける過程には、こうした深刻な体験の 意味の「分解」と、新しい形での、「再構築」が 伴うのだ。

「起こったこと」そのものの現実は一つなのだけれど、 そこには様々な概念や意味が存在する。

起こってしまったことは、もちろん元には戻らない。 しかし、人間は、それに伴って長いこと存在する 「ネガティブな意味」を、より建設的な意味へと 変えていくことができる。

なんだか大げさな話になってしまったけれど、 もっと小さな日常の嫌な出来事でも、それを、 「面倒なこと」「厄介なこと」「自分は被害者」と いうところから、なにかしら、自分を成長させる よい機会など、違った意味に置き換えることで、 ストレスは随分と軽減されたりする。

ある分析家は言った。

「私は、ストレスを感じるようになったとき、 なんでそれが自分にとってストレスになっちゃったのかな、それはいつからかな、と考えてみる」

「先進国の、私たちの日常生活で、ストレスの源のほとんどは、人間関係が絡んでいて、外部から来るように感じるストレスも、結局のところ、それをストレスにしているのは自分なんだよね」と。

今現在、何かあなたのこころを乱したり、嫌な 気分にしているものがあるかもしれない。その物事の 出来事としての現実は変わらないけれど、その意味だとか、捉え方というのは、変えていけるものだ。

しかも、そうした「意味の再構築」というのは、 「問題のすり替え」とは違って、本題に取り組みつつ体験していることの意味を作り変えているので、それはやがて、物事の本質的な 解決へと繋がっていく。



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