(『千年のまなざし』坂村真民著ばるす出版P37から)
裁判員裁判の制度が5月から始まり、8月から実際に裁判が行われ裁判員裁判の件数が100件を越えたそうです。
昨日は86歳の老婆が酒乱の息子を絞殺した事件の判決があり、懲役3年執行猶予5年の有罪判決が出されました。
酒乱で暴れ被告人の老婆に暴力をふるう姿を、身近に住む人たちは皆知っていたので、その人たちの軽い刑を望む嘆願書が裁判所に提出されたそうです。
酒乱で親兄弟に暴力を振ったリ、他人に障害を与える事件はどこにでもあります。今年に入って安曇野でも酒乱の無職の男が母親と妹に障碍を負わせ逮捕される事件がありましたが、この男は今回が初めてではなく以前にも同じことを行い刑務所に服役して間がないのに同じことを繰り返しています。
結局酒乱の本人が改心しない限り、家族にとってはこの世が地獄、身柄は今は拘束されていても何年後かには、また目の前に現われ同じ目にあうことは明らかです。
しかしその傾向、家族を地獄に落とす傾向があるからといって、永遠に改心するまで身柄を公の機関で拘束しておくことなだはできない世の中です。
精神的に問題があるからその専門機関にまかせたらという措置入院の制度も希望する結果は得られません。
そこには憲法とも密接に関係し、法治国家の基本原則の「基本的人権」が大きな壁として現われてきます。
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今回の老婆の判決については、涙を流しながらインタビューに答える裁判員のが何人かおられました。
よい話題なのか、悪い話題なのか分別の世界を越えた現実の姿があります。
「人を裁く」これは反面「自分を裁く」ように思います。自分の倫理観、全てを検証し評定していかなければなりません。
人を殺しいまだに反省することなく「生まれ変わっても繰り返す」などと公言している被告人もあるようです。
刑法第199条【殺人】には、殺人を犯したものは「死刑又は無期もしくは5年以上の懲役」と規定されています。
死刑を選択すると当然死刑、無期も当然無期、どうしても情状酌量の余地があり事件の場合は「5年以上の懲役」を選択するので、刑法第68条第3項の「有期の懲役又は禁固を軽減する時は長期及び短期の2分の1を減ずる」の規定が適用され殺人の場合は長期が30年ですので長期が15年で短期は懲役刑の短期規定が1ヶ月ですので15日となり、したがって「1月(げつ)以上15年以下」の範囲の懲役刑をかすることができ、その期間選択が3年ですので執行猶予が一番長い5年が科せられたことになります。
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法華経の世界では「即身成仏の思想と歴劫修行の思想とはいつでも伴っていかなければならない」と説かれますが、この「いつでも」が私の場合「永劫回帰・永遠回帰」の永劫・永遠につながります。
観念的でもなく、実感的でもない「永劫・永遠」、現在のわが身もその一点の中にあります。
人(他人)を裁くことは、自分を裁くこと、それが「いつでも」行われることで、永劫・永遠の回帰を自覚することだと思います。
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江戸時代初期の、曹洞宗の僧侶の説話に、次のようなものがあります。
或る僧が『正法眼蔵』を欲しくて仕方なかったそうです。当然、まだ印刷では伝わらない時代です。持っている人から書写させてもらうしかありません。しかし、多くの場合には「寺宝」になっており、手が出せませんでした。
その僧は一計を案じ、先輩の僧が持っている物を「読んで勉強するだけです」といって借り出しました。しかし、その後数ヶ月かけて全てを書写し、元のを返しました。返すとき、自分で書写した本を持参し、欺して申し訳なかったと、謝罪しました。
先輩の僧は、「私が許す許さないを決めることは出来ない。仏祖に謝罪してお許しを貰いなさい」といい、くじ引き(この方法は、通常のくじ引きではないです)をして許されたことを判断するようにいいました。そして、書写した本を預かってしまいます。
その僧は、その後『正法眼蔵』を想い熱心に修行して、数年後にくじ引きで許されたことを知り、先輩の僧の下にやってきました。先輩の僧は、これで心置きなく勉強できるだろうと言って、その僧が勝手に書写した本を返したということです。
ここからは、幾つもの「経験」を取り出すことが出来ますが、記事の内容に即して考えれば、結局「自他」の問題ではないということでしょうか。実世界では難しいのかもしれませんが、しかし、そういう発想、視点は絶対に忘れないようにしたいと、拙僧自身は想うのであります。
道というものはこの道にとどまればいいのですが、後方から前方へ遥か彼方にあるようです。
できるだけ集約したい、即の世界をつかみたいとつい人間ですので思っています。
どうにか歳をとり「働き」だけは時々分かるようになってきました。「時々」、あくまでもこれであるところが悲しいところです。
長文のコメントありがとうございます。勉強になります。