思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

現代精神の趣味

2012年06月20日 | 思考探究

[思考] ブログ村キーワード

 戦後日本に本格的な民主主義思想が芽生えはじめ、一番忌避すべき思想、排斥されるべき思想は何かと言えば「自己犠牲の精神」ではないかとおもう。先週の土曜日にEテレで放送されたマイケル・サンデル教授の公共哲学の番組では核の廃棄部物質の処分場の受け入れ問題が話され、サンデル教授番組はこの犠牲的精神を醸成させるものではないかという視点で批判的に捉えられる人たちがいます。

 サンデル白熱教室でもこの自己犠牲が「オメラス」という都(コミュニティー)の「幸せな国」が維持されている深層にある児童の犠牲の物語として登場していたことから「オメラス」という言葉はその代名詞のように成っています。※この「オメラス」の話は後日書きたいと思います。

 今朝は犠牲的精神に関しての話です。今では宮沢賢治先生のお話は多くの人々の共感を得た者となっていますが、以前衣話した通り戦後間もなく、いや最近まで軍国主義を助長した悪しき文学てきに扱われ「宮沢賢治の暴力」と呼ぶ方もおられます。

 満州国では教育に使われた。その一点だけで悪しき文学にされているのです。その宮沢作品のなかに『グスコーブドリの伝記』があります。

 少々長い話でですが「青空文庫」

グスコーブドリの伝記
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1924_14254.html

で読むことができます。

 妹と父母の4人家族から始まり、冷害等により父母は子どもたちを守るため(子供たちに食料を残すため)家を出てしまいます。家を出て自分たちが助かろうという話ではなく、家を出ることは死ぬことを意味し、両親の自己犠牲によって子どもたちはしばらくの間助かるという話で、物語はそこから始まります。

 最終的にはこの物語の主人公グスコーブドリは地震・火山研究の専門家になり、自然災害の危機が目前に迫った街を救うために自己を犠牲にしてこの街の人々を救うという話でおわります。

 ハッピーエンドで本人も町の人々も幸せになりました、という話ではなく、

 今ある繁栄は多くの犠牲者の死によって「ある」。これは疑うべき事柄ではなく当然にしっかりと受け止めなければならない事実だと私は認識しています。

 この「ある」事実が、どうしても人間の自由を奪う「もの」に変換されるのです。なぜそうなるのかは当人にも分からない。そう創られてきてしまったのでしょうか。

 「今日最も深く攻撃されているもの、それは伝統の本能と意志とである。この本能にその起源を負うすべての制度は、現代精神の趣味に反するのである」

 これはニーチェの『権力への意志』の言葉のようです(『ニーチェの警鐘』適菜収著 講談社α新書から)。

 「現代精神の趣味」という言葉、深い言葉です。

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