思考の部屋

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内心のスケルトン問題

2019年04月09日 | 思考探究

 最近の考察課題はある意味、私の二重性ということに関して進んでいます。二重性と言っても一般的な自己と他者との関係、自己自身が他者をどう内に取り込むかという視点での考察ではありません。人の意識活動を能動、受動という視点から見ると、人は自ら能動的に社会に働き掛け、反対に社会から影響を受ける受動的な側面があります。人間は能動と受動により構築された存在とも言えます。

 私の考える二重性とは、能動・受動の一極化した自己ではなく、多極化した自己が共存する一身体である自己の二重性を考えています。

 普通意識ではそれぞれの自己は他の自己意識と乖離しているわけではなく常に統合的な統一意識を織りなし自己意識を持ち常に対自的存在として自らの自然的意志を実現しようとする在り方で存在しています。

 毎回同じようだ主題で思考の世界をさまよっていますが、今回は考察視点を変えて、人間存在そのものについて書きたいと思います。

 スケルトンいう言葉があります。中が丸見えの電化製品、構成する部品は見えますがボディーが透明なものを表現するときに使います。ちなみにサイトで、デジタル大辞泉を見ると、 スケルトン【skeleton】の意味 1 骸骨 (がいこつ) 。 2 建物や船などの骨組み。駆体 (くたい) 。「スケルトン賃貸住宅」 3 内部の構造が透けて見えること。「スケルトンタイプの腕時計」 4 ガスストーブの放熱用の燃焼筒。 5 鉄製のそりの一種。簡単な構造でハンドルやブレーキはなく、重心の移動によって操作する。また、これにうつぶせに乗って氷のコースを滑り降り、所要時間を競う競技。

などと解説されています。先ほど透明という言葉を使ったときに思い出したのですが、SF物語に登場する透明人間という言葉があります。これも同じ辞書で見ると、 とうめい‐にんげん【透明人間】の意味 《英国の作家ウエルズの小説から》姿形が目に見えない空想上の人間のこと。 と解説されています。やはり小説に登場したことから使われるようになったようです。作家ウェルズはすごい発想力ですね。「目に見えない人間がいたら」とこれまでだれも考えなかったのでしょうか。常識的に考えても霊的存在などは古(いにしえ)の時代からあるように思えるので、普通の人間が透けてしまい透明になった状態だから「透明人間」という言葉にしただけです。しかし、小説で表現したところに画期性が見られます。

 なぜ透明な話をし始めたかというと、最近、『自白の研究』で有名な浜田寿美男先生の本を読んでいたところ「心がスケルトン」だったらという発想が出てきたからです。こう書くと冷血人間の話を書くのだろうと思われるかもしれませんがそうではありません。

 仲間由紀恵(役名山田奈緒子)さんが、女性天才マジシャンで演じられた「トリック」という映画がありました。その中で山田が語る有名なセリフ「お前たちのしたことは、するっとまるっとお見通しだっ!」があります。

 「お前の悪事は、私にはわかっている」と啖呵を切るわけです。

 たくらみ(企み)、すなわち類語を書くと「策略・ 計略・ 作戦・ 謀略・ 陰謀」の胸の内のはかりごとは、100%わかっている、ということです。ここでスケルトンという言葉を「そのままわかる」という意味で使いたいと思います。  心の内がスケルトン、身体が透けて見えるわけではなく相手の内心が丸わかりということになります。相手の内心が言葉に変換されてこちら側に伝わるということではなく、思考から動作に至るまで手に取るように分かるという話です。

 ここで超能力の話をしようということではなく、なぜ人は他人の心が読めないのか。なぜ身体はあるのがわかるのに、心の内は読めないのか。という話です。当たり前すぎてばかばかしい話ですが、そもそも人間は他者の心を丸見え状態で知ることはできません。

 そこで思いついたのですが、もし相手の行動から考えなどがすべてわかったとしたらどうでしょう。隠し事はできませんし、赤裸々な思いも持てません。すべてがお見通し状態になるとそもそも人間関係はどうなるのでしょう。生まれながら心のスケルトン状態とでも言いましょうか。それが当たり前の存在として多様な人間存在がありえるのでしょうか。

 SFに登場する超能力者は限定的な能力で、今考えていること、今企んでいること、これからの動きなど、100%の全存在のスケルトンではないのです。  考えてみると人間以外の動物もそうですが、近寄ると吠え、噛みつくイヌなのかわかりません。人間のみに限定しますが、なぜ人間は交流しないと相手の思いなどがこちらに伝わらないのでしょう。そもそもそういう存在としてある、としかいえないわけですが、「わかろうとしないではいられない」という存在はなぜ存在するのか。

 人間存在の逆的思考とでも言いましょうか。内心のスケルトン問題とでも言いましょうか。

 今私はこのようなことを考えているのですが、何をわかろうとしているのでしょう。


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