思考の部屋

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三澤勝衛先生の転生

2009年09月13日 | 仏教

長野県人として知っていなければいけない人物に『三澤勝衛』がいる。
 哲学者内山節先生の講演会を2回聴講し大正期から昭和初期における「風土論」のなかで、三澤勝衛生先生が紹介されました。

 1回目は安曇野市主催の「里に暮らす意味」の中で、2回目は信濃教育会主催の「現代社会に生きる」の中で語られました。ブログでも内山先生の語られた内容について紹介しその際にも三澤先生のことについては若干紹介しました。

 聴講後に自宅に帰りネット検索などし、内山先生の「三澤勝衛評」を再確認をするとともに、信州人として知っておかなければならない重要人物と思ったわけです。

 大正期から昭和にかけての風土論というと和辻哲郎さんの『風土論』有名で、三澤先生の風土論については全く知られていないと言ったほうかもしれません。しかし、ネット検索でわかったのですが、長野県諏訪清陵高等学校のホームページには、「三沢先生記念文庫」のページがありしっかり紹介され、その他にも三沢先生を語るホームページやブログが多いということです。

 内山先生の三沢先生との出会いは、講演会で訪れた長野で、「信州にはこういう人物がいる」という紹介によるという話をされていました。
 
 内山先生の民族的な風土論を中心とした「日本人のアイディンティティー」の中で欠かせない部分を埋める人物となったわけです。

 竹内先生と三澤先生とはかなり重なる部分があるように思います。内山先生は群馬県の上野村に住むとともに、ヨーロッパにも拠点をおき研究課題に取り組んでいらっしゃいます。一方の一方三澤先生は、郷土という狭い地域を主眼におき研究課題に取り組んでいました。
 
 では全く異なるのではないかと思いがちですが、内山先生のヨーロッパにおける活動は、農村地帯の生活環境から都会との関係、その視点の動きは部分から全体、全体から部分という思考から進められており、一方の三澤先生の取り組み方は、当時の日本の国力とも密接に関係しますが、農山村の産業から都会の産業の現状を地域の地理学的要素も含め全体像へと展開するもので、地形地勢を見る目は、内山先生のフランスの農山村の森林を見つめる眼と全く同じなのです。
 
 三澤勝衛先生の著作集は、農文協から『三澤勝衛著作集 風土の発見と創造 全4巻
』となって出版されています。

 1巻 地域個性と地域力の探求
 2巻 地域からの教育創造
 3巻 風土産業
 4巻 暮らしと景観

となっており、4巻には

<三澤「風土学」私はこう読む>
 ○ 「風土」の思想・農の思想-内山節・鳥越皓之・宇根豊・山下裕作
 ○ 教育創造と教師像-中村和郎・里見實・岩崎正弥・勝野美江・藤本勇二・下育郎
 ○ 産業・暮らし・地域づくり-結城登美雄・吉本哲郎・井上弘司・池田玲子
 ○ 建築・土木と景観形成-藤森照信・藤井聡
 ○ 「風土産業」としての農業-楠本雅弘・栗原浩・津野幸人

が、掲載されています。

 この元になった本が、写真の『新地理教育論』という本です。
 昭和12年9月発行同月10日再版で古今書院から出版されていますが今は絶版となっています。
 
 三澤先生は昭和12年8月18日享年53歳で上諏訪町(現諏訪市)の自宅で亡くなられています。

    

序文には「昭和十年十一月八日。忘れもされない。・・・」から始まります。 この日に東京で胃の大手術を受けた日なのですが、その結果「死線を越えてと言ひたいが、實はさうではない。死の宣告を受けたわけであった。即ちその宣告を受けた日なのである。」と言葉が続いていますが、この手術で手の施しようのない事実を知らされたわけです。
 
 とに角、今度この病気をして見て、特に深く感じて居るその一つは「時間と仕事の貴い」といふ事である。

 勿論是も、何も今初めて聞いたわけでもない。又言ふ程の事でもないかもしれない。がしかし、私の今考へて居るその「時間並に仕事の尊重に對する考」は並々のものではない。早い話が、その一日は、今迄の一年にも、その一事は今迄の百事にも相當する程の貴さがあるやうにさへ思はれてならないのである。・・・・・・

この序文は昭和十二年三月信州諏訪湖畔に於て
 
 三澤先生の「風土」に対する考え方が、現在注目されています。国家というシステムの中で生きている現在、システムの不都合、欠陥は救いようのない現実をもたらします。内山先生も講演の中で語られていましたが、「社会保険制度」はその最も顕著に私たちに示しました。

 その欠陥の指摘は、国民一人一人の証明なくしては穴埋めができない状態になっています。システムの存在は否定できないものですが、基本的な国民のシステムに対する自覚、信頼に対する自覚そういうものに欠陥があったことも否めません。

 「共生」という考え方があるのですが、全体から個々に返るものではなく、個々、地域、県そして国というように、郷里・郷土と言葉のぬくもりの中から生まれていくべきものかなあと思います。

 さて三澤先生の話しに戻しますが、先生はこの自著『新地理教育論』の完成をみることなく亡くなっています。間もなく戦時下となり戦後教育は大きく変わります。どちらかというと「共生」の思想は、「個の自由」を中心にないがしろにしてきました。個が直接、郷里・郷土を離れ直接国家のシステムに組み込まれる結果になったのです。国民の国家(国民国家)の誕生です。この国民国家は明治維新後の国民国家よりもその統治性は増しています。戦前は、それでも郷里・郷土のぬくもりが残っていましたが現在は都会では全くなくなり、地方でもそのぬくもりが降下しています。

 現在三澤勝衛先生の『新地理教育論』が大きな警鐘に成りつつあることに長野県人として誇りに思います。

 『輪廻転生』については、以前にも書きましたがここで、またB・Rアンベードカルの「転生」を最後に紹介したいと思います。『ブッダとそのダンマ 山際素男訳 光文社新書から』
 
 第四 転生
 釈尊は再生を説いたが、転生というものはないとも説いた。転生がないのにどうして再生がありうるのかという批判に事欠かなかったが、ナーガセーナの思想が見事に表現されている。
ギリシャ人のミリンダ王が尋ねた。
「ブッダは再生を信じたのか?」ナーガセーナは然りと答えた。
「それは矛盾してはいないか?」否、とナーガセーナはいった。
「魂がなくとも再生があるのか?」
「もちろんです」
「どうしてあるうるのか?」
「たとえば王よ、灯火から灯火に火を移せば転生というでしょうか?」
「そんなことはもちろんいわない」
「霊魂のない再生とはそういうものです」
「もっとよく説明せよ、ナーガセーナよ」
「子供の頃教師から習った詩句を記憶していますか?」
「記憶しているとも」
「その詩句は教師から転生したものですか?」
「もちろんそうではない」
「転生のない再生とはそのようなものです、王よ」
「魂というようなものはあるのだろうか、ナーガセーナよ」
「究極においてはそんなものは存在しません、王よ」
「見事である。ナーガセーナ」

 三澤勝衛先生の啓示はこれから活用されていくものと思います。「三澤勝衛先生の転生」とはこういう意味です。610ページからなるこの原本重みがあります。
    


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