真冬日が続く中2月に入り長野県の地方紙の一面を飾った記事があります。見出しは「淫行処罰条例制定の方針」、長野県知事は県の緊急部局長会議でその方針を表明したとのこと。
「県民運動後回しになる懸念」という解説付きでこの記事は書かれています。
処罰規定については、警察が恋愛など個人の内面に踏み込み、恣意的な捜査や冤罪を生む恐れを指摘する専門家がおり、県民からは「処罰に頼る社会には限界があり、実効性も疑問」とする意見もあった。
という話も書かれて、相当この条例制定については反対意見が多いようです。日常の生活の中で実際に聞かれるのは、立ち遅れる長野県の青少年育成条例や淫行処罰条例の話で、誰が一体その条例制定を拒むのかと話です。
恣意的な捜査や冤罪という話、実際ニュースで話題になり離接的偶然においてあなたもその被害者になりかねない懸念が醸成される現在、・・・しかし、私はそんな疑いをかけられるような行動はしない自信があり大半の県民はそうではないかと思うのです。
どうにもならない子が親になり、その親が子を作り、どうにもならない一群が世の中にいるのは確か、「三歳の子が自分にガンを飛ばした」と怒り重傷を負わせる大人。組抗争でけん銃を使い射殺する一群。とんでもない人間がいるのは確かさの限界を超えている。
何が後回しにされるのか、その懸念の出所が解らない。
言葉の持つ力。
「空っぽの器」である言葉は、使う人間の器の大きさで決まる。中にどんなものが時々にのせられるのか。それが食器ならばどのような環境で何を食してきたのか。食したものによって、身体は作られ、言葉も個々に彩られて明示される。
○○運動に参加しない人間はいることは平和運動を見れば確かな話。
後回しだろうが参加しない者はしない。あることも、することも知らない。
心の内にとどめないで人間らしく意思表示をしよう。と呼びかけても知ってか知らずか参加をしない。
悪事をするなどとは全く思わない私ですが、ある意味人間らしくないのか○○運動には一歩後退する自分がいます。
寒さに震えながらこんなことを吐露しています。昼間は寒い事務所に閉じこもり携帯カイロが頼り。
暖(あたた)かい。温(あたたか)かい。
ぬくもりは、温もりと書く。
こころが乾いているのか乾燥する冬、水分がほしくなる。熱いコーヒーでも飲もう。
熱いという漢字もありました。情熱の熱。
制限時間あと一時間。東に走り出す時間が迫る。