信州安曇野有明山麓の朝、昼間の猛暑とは一変、涼しさがあります。遠く松本市の東方の美ヶ原高原の山景色を見ていると、王ヶ鼻にあるテレビ塔に朝陽が当り、中継所のの建物の壁面が輝いています。
7月最後の1週間、今日は1日中松本市内にある会館で、哲学講習会ではありませんが私どもが主催する講習会があり、事務手続の仕事に追われます。
300人ほどが出席する予定ですがそれぞれにお忙しい中、決められた1年一回の講習会の受講義務をクリアーしなければならず大変な事です。
特殊なことでもありましょうが、そう決められているとなると一般的な当りまえの当然の事柄になります。
私にとっての特別・特殊が、誰もが行なわなくていけない、あたりまえのことだと自覚するならば普通の出来事になる。
自分を中心に考えると、どうも特殊概念に支配されわずらわしさが付きまといます。
人間の性(さが)でしょうねぇ。情意がそこにあるのですが、淡々と合理的に物事は行なわれているだけのこと、生(しょう)じることにどうしてもそこに意が入り込みます。
私にとっては、今日は機械的な一日、単純な手続きの中に私は身を投じることになります。
手続き上の失敗をせぬように配意し終わることに専心したい。