思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

時間は幻想であると語るとき

2015年07月12日 | 哲学

 時間は幻想にすぎないのか・・・。現前に展開すると世界が胡蝶の夢にすぎないと思いたくなる時もありますが、時間といいますか「時(とき)」という言葉は、考えさせられる言葉です。

 そのとき私にそのとき何が起きているのかと思考視点を転回させると私はいま私に起きている現実にしっかりと根を張り身動きできないところに置かれていることに気づきます。

 二進も三進も身動きできない静止画像のただ中におかれているように感じるのです。直覚といいますか直観といいますかそう思うからそう感じる・・・そのように感じる世界に置かれている自分を見ます。「見ます」とかくとあたかも視線的な感覚で解こうとしますが、「感じます」とかいて「見ます」と置き換えたような表現になると思います。

 感覚とはそう見えるものでもあるかもしれません。

 NHKのモーガン・フリーマンの「時空を超えて」という番組が時々放送されていて最近「時間」について語られていました。脳が時間を構築していることは、私が感覚の中で時間をつかもうとするかぎり確かなように思えます。

 時間は幻想か・・・番組の中で2500年前の古代ギリシャの哲学者のパルメニデスの時間についての話が紹介されていました。

 パルメニデスは「運動は不可能だ」と語る。モーガンの説明によるとパルメニデスは、

 「物体が移動するには無限に小さな工程を無限にくり返さなければならない。無限のくり返しなど誰にもできない、それゆえに運動は不可能であり変化も不可能でまた時間も幻想である。」

と言ったとの話、私もパルメニデスについて書いたことがあります。

「ゼノンの矢」のパラドクスの世界が有名です。パルメニデスは、ゼノンの静止する矢の同一律という考え方に何事かの解を求める。

 飛ぶ矢がなぜ静止しているのか。

 飛んではいるが静止もしている。

 時間と空間

間違いなく思考の世界は、時間と空間があってこその話しである。

 矛盾律とは矛盾を排斥する法則ではあるが、運動というものは、肯定と否定とが同時に成立しているからこそ、矢の飛んでる姿を見ることもでき、考えることもできる。

 そう考えてみると運動は幻想と思っても不思議ではない、肯定と否定が同時に成立する世界などありえないのに・・・運動がある世界なのは・・・幻想だ・・・と説いても不思議ではありません。

 番組では引き続いて、量子力学の世界に照らし合わせてこのパルメニデスの説を正しいとするイギリスの物理学者ジュリアン・バーバーの理論が解説されていました。

 バーバーは数学的な根拠をもとに宇宙に時間は存在しないと説きます。バーバーは私たちが眼にしているものは「すべて」遺跡の発掘現場のようなもので、物はまず存在し時間はあとから推測される。1000年前に建てられた教会も14世紀の壁画も時間が空間の中に存在する証拠だとバーバーは考える。

【バーバー】 過去は今とは別の物、別の世界です。万物の配置が異なる別の今なんです。・・・時間の中に瞬間があるのではなく、瞬間の中に時間があるんです。

【モーガン】 バーバーの時間に対する見解はアインシュタインの相対性理論と量子力学の融合を図るために考え出されたホイラー・ドウィット方程式に基づくもので、ホイラー・ドウィット方程式には時間をあらわす「T」の文字がなく、そのため多くの人はこの方程式を相対性理論のと量子力学が相容れない更なる証拠だと考えます。しかしバーバーは違います。

 

【バーバー】 量子力学とアインシュタインの一般相対性理論を融合するホイラー・ドウィット方程式から得られる解が正しいならば、時間は存在しません。

【モーガン】 存在するのはコマ止の静止画像のような空間だとバーバーは考えます。問題はそれがどう関連しているかということです。

【バーバー】 私が考える宇宙は、系統立った膨大なスナップ写真の集合のようなものです。それぞれが独立した世界を形作り他の世界とつながることは一切ありません。どの瞬間のどの世界も非常に豊かです。それが私たちの世界なんです。

【モーガン】 フィルム映画が1秒24コマで映像を動かすように私たちの頭の中では瞬間が再生されているとバーバーは言います。・・・つまり実際は何も動いていません。私たちが時間というものは幻想だということです。

【バーバー】 量子力学的に考えるとある意味、宇宙は静止しています。何も変化しません。

【モーガン】 バーバーによれば静止した瞬間、すべてが同時に存在します。

【バーバー】 例えば、機能はもう存在しないと言ったらそれはまるで数字の13が、「11は死んだ。」というようなもの・・・おかしな話でしょう。それぞれの瞬間は活力と生命に溢れています。数学的に表現するならある意味で「永遠」です。

【モーガン】 バーバーは更に過去の自分を同じ人間だと思うのも幻想だと言います。それぞれの瞬間で人は違う人物であり、無限の次元に散らばっているからです。

【バーバー】 無数のあなたが存在しています。今のあなたは子ども時代のあなたと同じではありません。違う人物です。由ならば多くの点で私は三歳の時の私よりも他人のあなたに似ています。客観的に考えれば大人と子どもよりも大人同士のほうが共通点がズート多くありますからね。もちろんDNAが同じだといった面はあります。

 しかし、経験や世の中に対する理解度を考えれば私は大人のあなたにより似ています。わたしから見れば、三歳の私は今の私とはまったく離れた存在です。私のいる部屋はタイムカプセルです。

 様々な時代の証(あかし)がそこらじゅうにあります。歴史の証拠はすべて現在に存在しているということです。歴史とは証拠によって再構築されたものです。あるいは現在から見た仮説ともいえます。

 地質学者が考える太古は現在から推測されたものに過(す)ぎません。自分の過去について私が信じていることも実はすべて、またはほとんどすべてが経験と一致するように推測されたものです。全てが首尾一貫しているので本当に過去があると信じてしまうんです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 番組からバーバーの時間に対する考え方を文立てで紹介しましたが、このバーバーの時間の考え方は物理学の世界では真剣に受け止められているとのことです。

 胡蝶の夢、時間は幻想である話から上記にバーバーの時間に対する考えを紹介しました。

 人生には生きる意味がある。

 人は人生から期待されている存在である。

 過去は宝である。

とV・E・フランクルは言います。ある意味、時間はその瞬間において個々が語るつまりそれぞれの人格、パーソンが語る「今ある」ことだけかもしれません。

 それが蝶が舞うように花から花への移動のようなもの。止まり木(花)は評価抜きで経験した感覚です。思いでの品々もあれば思い出の、経験の感覚残像が浮かびます。

 現実のリアルな今あるの中で時間を止める、こともできれば働きの中で過ぎ行く感覚も得られます。

 時間とは実に不可思議な・・・パーソンの語りです。