思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

人が左に並ぶ背景にあるもの

2015年07月08日 | つれづれ記

 数日前に長野市への出張でJRを使いました。長野駅に着きエスカレーターに乗り改札口のある階へと向かいました。エスカレーターは横に二人並ぶことができるほどの幅があるもので、利用する方々が一斉に左に並び整然と階上へと向かいます。関東関西の列の違いがあるとはいえ・・・誰が決めたのか不思議な光景です。

 エスカレータの左側部分は早足で登る人のためのスペースとしてある。そう決められているのが今の日本の日常の風景です。

 他人(ひと)の利便を考えて。

 「江戸しぐさ」という言葉が一時はやりましたが、まさに現代版の「江戸しぐさ」のように感じます。

 他者意識というものの背景には「おもいやり」と考える以前に本当に他者に対する意識がある・・・他者を意識する・・・他者を気づかう・・・他者を気にする・・・それが結局は他者を思う気持ちへと進むのでしょうが・・・気疲れにもならずなれの世界で整然と並ぶ姿・・・誇れる話などといいたいわけではありませんが、何があなたをそうさせる・・・エスカレーター利用の際のマナーに現代人もすたれたものではないと感じました。

 他者をあまりにも気にし過ぎると気が変になり病に陥りますが、その程好(ほどよ)さに落ちついた人の動さ、しぐさは不思議な心地よさがあり、それがまた当りまえ(当然)にあることが、日本だけのことなのかいいなぁと思う。

 当然(とうぜん)とは正(まさ)に当っている、的中している・・・適(かな)っていることを意味しますが、「おのずから」の的中行動とでもいいましょうか・・・日本人はできるのですねぇ。

 賛否両論の世界が主流である一方で、整然さの中で行われていること・・・誰もが当然として行っていること・・・在野のしぐさに倫理道徳などという一律世界に生きるべきだなどといったと決まりではない世界を見る。

 信仰の世界ならば教団化されていない、個々のもつ本来の「おのずから」の世界なのかもしれません。

 母が子の後ろ姿に今日も無事であれと祈るような感覚の世界

 神や仏の教えではない「おのずから」立ち現われる教えの世界があると実感します。