太平洋戦争の勝敗を決した空母艦隊の決戦はどのようなものだったのか。1942年6月のミッドウェー海戦で日本は米軍の3隻の空母やミッドウェー島航空隊と闘い4隻の主力空母を失なった。太平洋戦争のターニングポイントとなり日本は攻勢から守勢に変わった。米軍は南太平洋のガダルカナル島に上陸して反撃を始めた。残された2隻の日本の主力空母の翔鶴、瑞鶴と補助空母が米軍を攻撃するために南太平洋に何回も出撃した。ソロモン諸島での最後の決戦となった南太平洋海戦では、ミッドウェー海戦で偵察機が故障して敵艦隊発見が遅れて敗北したので、前衛部隊を出して偵察を重視した。米軍は空母2隻を中心とする艦隊で出撃してきた。両軍の空母から戦闘機、爆撃機、雷撃機が編隊を組んで攻撃に向かった。戦闘機の迎撃と対空弾幕を突き抜けて攻撃隊が突っ込んだ。日本は主力空母翔鶴が爆弾を受けて中破した。米国側では空母ホ―ネットが爆撃、雷撃を受けて大破して、追撃してきた日本艦隊に撃沈された。空母エンタープライズも中破した。これで南太平洋に米国の空母が1隻もいなくなった。米国は最悪の海軍記念日だといった。日本海軍最後の空母戦の勝利であった。
ラジオで日本の領土問題の話を聴いた。講師の話では日本の領土は1945年の第二次世界大戦で日本が敗北しポツダム宣言を受諾したところに起点があるという。ポツダム宣言では日本の領土は北海道、本州、九州、四国に限られ、その他は連合国の判断によるとしている。沖縄も日本ではなくなっていた。サンフランシスコ講和会議で日本は独立国として国際社会に復帰したが、戦前の領土を取り戻したわけではない。その後沖縄も日本になった。尖閣諸島について米国は日本の領土か中国の領土かは二国間で決めることだが、日米安保条約で米国が守る地域であるという立場だ。
人生の伴奏曲となっていた音楽を思い出してみた。小学校時代はキリスト教系の学校だったので、讃美歌やフランスの歌を歌った。熱中してテレビを見ていたので、鉄腕アトムや鉄人28号、SONYの提供するヘリコプター番組、西部劇のローハイド、ララミー牧場,戦争ドラマのコンバットのテーマ音楽を思い出す。中学校時代は夢で会いましょうという音楽番組や、ポップスベスト10を聴いた。学校の音楽の授業でクラシックも聴いた。高校時代はビートルズや、ローリングストーンズ、PPM、カーペンターズを聴いた。大学時代はラフマニノフやチャイコフスキーの協奏曲を聴いた。フォークミュージックや、エレキギターのベンチャーズも聴いた。会社に入って大阪に赴任し、オーディオブームで高級レコードプレーヤーを買い、リストのピアノ協奏曲やブラームスの交響曲、サンタナのブラックマジックウーマンを聴いた。イギリスに留学して、ワンダフルワールドやロッドスチュアートのセ―リング、エルガーの威風堂々を聴いた。東京に戻って、カラオケで長崎は今日も雨だった、青葉城恋歌などを歌うことが多かった。30代で結婚してからは家で音楽を聴かなくなった。CDの音がよくなかった。コンサートには行った。50代はパイプオルガンコンサートに行ってバッハを聴くことが多かった。定年後は音楽を聴いて楽しめるかと思ったが、膝が痛くなって電車のラッシュが大変でコンサートに行くのがおっくうになった。ラジオから流れる最近の音楽とは気分が合わないし、歌謡曲も重たいし、CDを聴くのも面倒になった。iPodでインターネットから音楽を買う時代になり、買うのも面倒になった。