Sightsong

自縄自縛日記

末木文美士『日本仏教の可能性』

2012-01-04 23:07:10 | 思想・文学

末木文美士『日本仏教の可能性 現代思想としての冒険』(新潮文庫、2011年)を読む。同じ著者による『日本仏教史 思想史としてのアプローチ』(新潮文庫、1996年)は良書で、再読に耐えるよう表紙をラミネートで覆ったほどだ。

本書は講演をもとにしており、さほど体系的にまとめられたものではない。それでも、門外漢ながら、現代において仏教の持ちうる価値とは何か、という課題に刺激される。

おそらくはこんなことだ。

仏教は、個の精神というクローズドな系のなかでの発展を重視したあり方(本覚思想、如来蔵思想)に偏るのではなく、むしろ、人と人との間をつなぐ、実社会のなかでのあり方(中国の人間仏教、東南アジアのエンゲイジド・ブッディズム)に注目していくべきである。その関係性においては、相手は生者だけでなく(倫理)、死者も含まれる(超・倫理)。かつまた、関係性は、「相手のことがわからない」ことが前提となる。そのような考えにたって、宗教と政治との関係、社会のなかの宗教、宗教と国家との関係、靖国についても、偏った思い込みやタブーなく、再考していくべきである。

ただ、エマニュエル・レヴィナスの言う他者とは死者のことを意味するのではないか、との指摘は、ピンとこない。自己は何者をも予見せず引き受けるのであろうから、他者に死者が含まれるのだと言うならそうかもしれないのだが。

●参照
仏になりたがる理由(義江彰夫『神仏習合』について)
エマニュエル・レヴィナス『倫理と無限』
エマニュエル・レヴィナス『存在の彼方へ』
ジャック・デリダ『アデュー エマニュエル・レヴィナスへ』
ジャック・デリダ『死を与える』 他者とは、応答とは
柄谷行人『探究Ⅰ』
柄谷行人『倫理21』 他者の認識、世界の認識、括弧、責任
高橋哲哉『戦後責任論』


鈴木清順『百万弗を叩き出せ』、阪本順治『どついたるねん』

2012-01-03 22:37:29 | アート・映画

拳闘映画(というジャンルがあるのかどうかわからないが)、鈴木清順『百万弗を叩き出せ』、阪本順治『どついたるねん』を続けて観る。

鈴木清順『百万弗を叩き出せ』(1961年)は、清順が日活で突っ走り始める前、多数の娯楽作品を手掛けていたうちの1本である。八丈島まら出てきたボクサー役に、和田浩治と野呂圭介。野呂はどれだけ多くの映画でチンピラ的な役回りを演じたのだろう、映画俳優であることを知らない時分は、『元祖どっきりカメラ』での赤ヘルのイメージだったのだが。貧乏ジムの会長を演じる金子信雄も味がある。

のちの清順スタイルは見ることができないが、ケタケタ笑うイカレ娘の登場や、野呂が話すときに電車の音をかぶせる場面など、制約のなかで面白い映画に仕立て上げようとする工夫は散りばめられている。何しろ短いプログラム・ピクチャーであるから、カットが潔いのだ。

ところで、街角の喫茶かバーかの入口横に貼ってあるメニューに、「ピンクレディー180円 コーヒー70円」とあった。カクテルのピンクレディーだろうか。

阪本順治『どついたるねん』(1989年)は、ろくなものではない。大阪という武器にこんなにもたれかかるのはダメだろう。

●参照
阪本順治『KT』 金大中事件の映画


鎌田慧『六ヶ所村の記録』

2012-01-03 11:20:25 | 環境・自然

鎌田慧『六ヶ所村の記録 核燃料サイクル基地の素顔』(上、下)(岩波現代文庫、原著1991年)を読む。岩波現代文庫としての再版(2011年)に際して、「3・11」を踏まえての補章「下北核半島化への拒絶」が追加されている。

「ロッカショ」と、まるで記号のように呼ばれるその地。「もんじゅ」と同様に、核燃料サイクルの代名詞であるかのように呼ばれる地。勿論、単なる記号ではなく、人間の住む地である。同じ青森出身の鎌田氏は、村に長年足を運び、農業や漁業で暮らす多くの人びとや為政者の声を聞き集め、ルポルタージュの大作としてまとめている。

はじまりは「核」ではなかった。1930年代以降、日本のアジア侵略過程において建国された満洲国に、日本政府は多くの移民(満蒙開拓移民)を送り込んだ。それは、実際には人柱であり、「匪賊」を追い出すための武装農民たることを期待されたものだった。やがて満洲国は解体、多くの人が帰国の際に悲劇をみた。そして、六ヶ所村には、二度目の開拓民として移り住んできた人が多かったという。農地としての状態は満洲より圧倒的に悪く、何よりも満洲は「朝鮮人や満洲人が働いてくれた」のだという声がある。著者は、その点に、人びとの意識の違いをみる。侵略者としての立ち位置を意識し、それを政治への眼として持ち得ているのかどうか、である。村は、満洲侵略の際と正反対の位置におかれてきたのであるから。

国や県の農業政策が軌道に乗りかけた矢先、やはり国、県、そして大資本による巨大な「むつ小川原開発」プロジェクトが立ち上げられる。広大な敷地を工業用地として整備し、地域が発展するというバラ色の夢。地価は倍々ゲームで上昇し、人びとはオカネと権力によって土地を追われた。しかし、二度の石油ショックがあり、計画は大幅な用地縮小と、広大な更地造成という形となった。その一部は、形を変えて石油備蓄基地となり、そして、核燃料サイクル基地構想に姿を変えた。すべては民主主義とは対極にある方法で進められた。

「放射能の危険が出現する前、すでに民主主義が侵食されている。それが県民にとっての二重の危険性である。」

著者は、結果として産業用地があったから核へと突き進んだのではない、もとより核半島構想があったのだと見抜く。1960年代のはじめ、この地の砂鉄を使った「むつ製鉄」計画があるもコスト高のため頓挫、それは1967年に原子力船「むつ」の母港に姿を変えた。著者がいう「下北核半島」のはじまりである。1969年には、政府の調査報告書に核開発の方針が明記されているという。従って、核燃サイクルの開始は、リーク記事により世の中に再浮上した1984年ではなく、それよりも15年遡る。

「たとえば、各地の原発を取材しながら、核廃棄物(使用済み核燃料)はどうするのですか、と聞くと、応対した担当者は得たりとばかりに、「心配ありません。全部、六ヶ所村へはこばれます」と答えるのがつねだった。全国の原発がつくられるとき、その廃棄物は六ヶ所村に持ち込まれる、と構想されていた、としたならば、それは巨大な陰謀ともいえるものだった。」

核燃料の再処理・最終処分そのもの危険性のみならず、「トイレのないマンション」という言葉が悪い冗談でなくなってきている。東日本大震災では、福島第一原発の使用済み核廃棄物が第二、第三の災禍をひきおこしている(もう六ヶ所村には持ち込めない)。六ヶ所村の貯蔵プールもあぶないところだったという。もはや核燃料サイクル構想は破綻していると言うべきだが、まだ亡霊は蠢いている。

『週刊金曜日』876号(2011/12/16)は、「核燃サイクルの魑魅魍魎」と題した特集を組んでいた。鎌田慧氏も、10年前に県がシリコンバレーの成功にならってIT企業の誘致策として構想した「クリスタルバレイ」の現状を報告している。県は「核基地」のイメージを払拭するため、巨額の予算をかけるも、いまのところ大失敗に終わっているという。次なる払拭プランは、風力をはじめとする再生可能エネルギー開発のようだが、核燃料サイクルそのものが止められることは、まだなされていない。

●参照(原子力)
『核分裂過程』、六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ)
『原発ゴミは「負の遺産」―最終処分場のゆくえ3』
使用済み核燃料
有馬哲夫『原発・正力・CIA』
『大江健三郎 大石又七 核をめぐる対話』、新藤兼人『第五福竜丸』
山本義隆『福島の原発事故をめぐって』
『これでいいのか福島原発事故報道』
開沼博『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』
黒木和雄『原子力戦争』
福島原発の宣伝映画『黎明』、『福島の原子力』
東海第一原発の宣伝映画『原子力発電の夜明け』
『伊方原発 問われる“安全神話”』
原科幸彦『環境アセスメントとは何か』
『科学』と『現代思想』の原発特集
石橋克彦『原発震災―破滅を避けるために』
今井一『「原発」国民投票』
長島と祝島
長島と祝島(2) 練塀の島、祝島
長島と祝島(3) 祝島の高台から原発予定地を視る
長島と祝島(4) 長島の山道を歩く
既視感のある暴力 山口県、上関町
眼を向けると待ち構えている写真集 『中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人の記録』
1996年の祝島の神舞 『いつか 心ひとつに』

●参照(鎌田慧)
『核分裂過程』、六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ)
金城実+鎌田慧+辛淑玉+石川文洋「差別の構造―沖縄という現場」
鎌田慧『沖縄 抵抗と希望の島』
鎌田慧『抵抗する自由』
鎌田慧『ルポ 戦後日本 50年の現場』
前田俊彦『ええじゃないかドブロク(鎌田慧『非国民!?』)


小林正樹『切腹』、『怪談』

2012-01-03 03:48:16 | アート・映画

小林正樹『切腹』『怪談』を観る。

『切腹』(1962年)はかねてから観たかった作品で、昨年末にNHKで放送されたのを録り忘れて嘆いていたところ、編集者のSさんが送ってくださった。

江戸時代初期、泰平の世にあってどこにも雇ってもらえない素浪人が続出する。そのひとり、津雲半四郎(仲代達矢)も井伊家を訪ねる。もはや生きていてもいいことはない、ならば腹をかっさばいて自死したいので庭先を貸してくれ、と。実は、妻子が病気ながらオカネもなく、思いつめた娘婿も同じ手口で井伊家を訪れており、応対した家老(三國連太郎)や家来(丹波哲郎)はそれを見越したうえで切腹をさせる。津雲の訪問は、その復讐であった。

時間がゆるやかに進む中での、仲代や三國の重々しい台詞と顔。丹波と仲代との対決(黒澤明『用心棒』があった)。仲代と井伊の家来大勢との長い殺陣。いや激しく面白い。

一連の騒動が終息したあと、井伊の家老は、すべてをなかったかのように片付ける。素浪人の扱いはもとより、死んだ何人かの家来でさえ、病死という形にせよとためらうことなく命令するのである。体制にとってはひとりひとりのイノチや想いなど何の価値もなく、すべては権力とオカネ。現代性も感じさせられる。

はじめに切腹させられる娘婿の素浪人に対し、丹波は、昨今切腹を簡単にしておいて介錯にゆだねる場合が多いが、ここでは横・縦と十文字に切れ、と脅す。そして、オカネに困ったため竹光しか持っていないことを知りながら、腹になんとか体重をかけて竹光を刺した素浪人に、まだだ、まだだ、と鬼のように怒鳴るのである。たとえ切腹するような事態になったとしても、こんな目には遭いたくないものだ。

千葉徳爾『切腹の話 日本人はなぜハラを切るか』(講談社現代新書、1972年)によれば、切腹にもいろいろな方法があったようで、必ずしも十文字切りが正式な作法とは言えないようだ。実際、難しいようである。(痛すぎていつまで経っても全部読めない本である。「はらわたの妨害」って何だ、筒井康隆を読んでいるみたいだ。)

「・・・まず横一文字に深く切り、次に傷口を拡大すべく十文字にとりかかると、一般に困った問題がおこる。それはみぞおちあたりに突立てて下に切りおろすと、その圧力が腹圧に加わる上に、横一文字の切口は開きやすいので、たいてい一文字の切口まで切り下げると腸がはみ出し、それがなめらかでやわらかいから容易に切断されず、結局切口の下半分を縦に切るのは大変困難である。何しろ血は出るし、痛いし、息ははずむし手はすべるしという具合だから、考えただけでもきれいな十文字腹を切るのはなまなかな気力、体力ではできないことといえる。その上に、たとえはらわたの妨害をのりこえたとしても、横一文字の下の切口はピンとはりつめているわけではなく、押えれば外側か下側にまくれるのだから、これに切り込んで十文字を完成するのは大した努力が必要である。」

続いて制作された『怪談』(1965年)も、音楽・武満徹、撮影・宮島義勇、美術・戸田重昌、題字・勅使河原蒼風という同じ豪華スタッフで制作されている。『切腹』と違いカラー作品であり、戸田・宮島の色が冴えわたっている。戸田重昌は、多くの大島渚作品や篠田正浩『処刑の島』においてと同様に、毒毒しい色のインスタレーション的なセットを展開し、名カメラマン・宮島義勇は人工的な色にこだわって、この独特な世界を完成させている。

ここでラフカディオ・ハーンの小説から選ばれたのは、「黒髪」、「雪女」、「耳無し芳一」、「茶碗の中」の4話である。それぞれ見所があり、とくに「耳無し抱一」における壇ノ浦での平家没落場面の迫力は凄まじい(安徳天皇が尼とともに入水するとき「草薙の剣」は見えなかったが)。しかし芸術至上主義というのか、大作至上主義というのか、感心はしても怖くはないのだった。


サム・リヴァースをしのんで ルーツ『Salute to the Saxophone』、『Porttait』

2012-01-01 17:57:15 | アヴァンギャルド・ジャズ

昨年末、2011年12月26日に、肺炎のため88歳で亡くなったサム・リヴァースをしのんで、ルーツ(ROOTS)というグループでのライヴヴィデオ『Salute to the Saxophone』(Brewhouse Jazz、1992年)を棚から出してきた。いまではDVD版もあるようだが、私のものはもう何年も前に入手したVHS版である。

Arthur Blythe (as)
Chico Freeman (ts, ss)
Sam Rivers (ts, ss)
Nathan Davis (as, ts, ss)
Don Pullen (p)
Santi Debriano (b)
Idris Muhammad (ds)

フロント、リズムともにオールスターと言うべき面々だが、実際の印象は「昔の名前で出ています」に近い。

「Never, Always」はチコ・フリーマンのオリジナルであり、デビュー盤『Morning Prayer』(1976年)では「Like the Kind of Peace It Is」という曲だった。これを何故だか腰砕けのスローテンポで演奏し、チコのソロは冴えない。チャーリー・パーカーの曲「Parker's Mood」では、アーサー・ブライスのアルトがフィーチャーされるが、ペラペラ感はいつもの通り(好きな向きもあろうが)。そしてスタンダード「Body and Soul」では、ようやくサム・リヴァースの長い異空間ソロを聴くことができる。ヴォン・フリーマンのブルース「After Dark」は、勿論息子のチコをフィーチャーしており、チコも背伸びしてシャギーな感じの汚れた音やシャウト音を提示するが、どうしても生真面目なチコとアナーキーな親父とはキャラ違いだとしか思えない。スタンダード「You Don't Know What Love Is」は、エリック・ドルフィーに捧げるものとして、ネイサン・デイヴィスが鈍く煙ったような音色とちょっと変わったソロを取る。最後に、チコがマイクを取り、「great, great, greatなサキソフォニスト、レスター・ヤングの曲」と紹介して、全員がソロを取る形で「Lester Leaps In」を演る。ここでは、晩年のドン・プーレンの掻き乱しピアノが飛びだすのが嬉しい。一方、リヴァースは慣れないスタンダードでの短いソロのためか、うまくいかず、手癖で誤魔化している。

面白い記録ではあるが、緊張感ははっきり言って皆無であり、ちょっとストレスがたまる。自分が聴きたいパフォーマンスはこんなお手盛りではない。そんなわけで、リヴァースを聴くという目的ならばと、完全ソロ作『Portrait』(FMP、1995年)を久しぶりに取りだした。FMPレーベルへの吹き込みは、これを除けば、アレキサンダー・フォン・シュリッペンバッハのグループへの客演1作のみだ(たぶん)。

本作は多重録音ではない。リヴァースがピアノ、テナーサックス、ソプラノサックス、フルート、それに声を駆使して、延々とおのれの世界を繰り広げたものだ。繰り出す音域は広く、逆に時には狭い音域で攻め続け、執拗にアウトする彼のソロは怖ろしい。やはりリヴァースは「おひとりさま」だった。マイルス・デイヴィスと相容れなかったのも納得できようというものだ。

●参照
サム・リヴァースのザ・チューバ・トリオ
マイルス・デイヴィスの1964年日本ライヴと魔人
セシル・テイラー『Dark to Themselves』、『Aの第2幕』(リヴァース参加)
チコ・フリーマン『The Essence of Silence』
チコ・フリーマンの16年
ヘンリー・スレッギル(4) チコ・フリーマンと
最近のチコ・フリーマン


田中絹代『流転の王妃』、『ラストエンペラーの妻 婉容』

2012-01-01 13:50:00 | 中国・台湾

大女優・田中絹代が監督をつとめた映画、『流転の王妃』(1960年)を観る。愛新覚羅溥儀の弟・溥傑の妻となった嵯峨浩の自伝をもとにした作品である。

関東軍司令官から皇族に近い嵯峨家に対して、溥傑(溥哲という役名)と浩(竜子という役名)との見合いの申し入れがある。最初は軍部への抵抗や外国人との結婚という点に渋っていた親族たちは、溥傑と会うや、その人柄を良しとして結婚を決める。満洲での寂しい生活、関東軍の横暴、溥儀との和解(当初、溥儀は浩のことを日本のスパイだと疑っている)、満洲国解体を経て、長い敗走の旅に出る。既に新京(いまの長春)からソ連参戦のため朝鮮国境に近い大栗子に逃れていたが、そこからの逃亡のうちに八路軍に捕えられ、吉林省延吉に投獄される。その後、溥儀の妻・婉容と生き別れ(彼女は間もなく死に至る)、そして、佐世保へと流れ着く。溥傑が遼寧省撫順の戦犯管理所から戻ってこないなか、娘の慧生(英生という役名)を育てるも、その娘は天城山で心中自殺をしてしまう。

嵯峨浩の京マチ子はいいとして、溥傑役に船越英二が据えられているのはひたすら違和感がある。そんなことよりも、映画としては凡庸、さして特筆すべき点はない。入江曜子『溥儀』(岩波新書、2006年)によれば、映画の原作となった嵯峨浩の回想録が出された時代(1959年)は、「不都合は軍に責任転嫁すれば世間が同情し納得する時代」であり、実際のところ、「皇帝の実弟との縁談は浩の側が熱心に望んだ縁談であった」と、自らの立ち位置を被害・受難の側に置いた浩に手厳しい。「涙のベストセラー」を翌年すぐに大映に映画化させられた田中絹代にとっても、いい面の皮、といったところだったかもしれない。

ついでに、昨年録画しておいた未見の番組『ラストエンペラーの妻 婉容』(NHK hi、2010/6/22)(>> リンク)を観る。ここでは『溥儀』だけでなく、溥儀の妻・婉容についての本『我が名はエリザベス』を書いた入江曜子氏がコメンテイターとして登場する。くだけた番組ではあるが、それなりに面白い。

天津で生まれ育ったハイカラ娘・婉容は、溥儀との結婚により、外界から隔離された空間である紫禁城でしばし暮らす。側室の文繍(13歳)がいて、性器を切り落とした無数の宦官がいて、相手の溥儀は同性愛かつ性的不能。いかにこれが異常な場であったか。1924年に紫禁城を追放され、日本の保護のもと逃れたのは懐かしの天津租界

ここで文繍が溥儀のもとを脱出し離婚訴訟を起こすのだが、実は、婉容と溥儀も離婚に合意していたのだという。しかしそれには日本軍が許可を与えず、やがてアヘンの吸いすぎにより、狂女と化す。ベルナルド・ベルトルッチ『ラストエンペラー』においても、パーティーの場で泣きながら花を食い続けるシーンなど、おぞましい描写がある。この婉容について、入江曜子氏は、憎い溥儀に刺さった<腐った棘>であろうとする強い意志があったのだ、とコメントしている。そして1946年8月、婉容は中朝国境付近でひとり死ぬ。ああ怖ろしい。

愛新覚羅浩『流転の王妃』や入江曜子『我が名はエリザベス』も読んでみたいところだ。

●参照
入江曜子『溥儀』
ベルナルド・ベルトルッチ『ラストエンペラー』
小林英夫『<満洲>の歴史』
満州の妖怪どもが悪夢のあと 島田俊彦『関東軍』、小林英夫『満鉄調査部』
菊池秀明『ラストエンペラーと近代中国』 
林真理子『RURIKO』
四方田犬彦・晏妮編『ポスト満洲映画論』