Sightsong

自縄自縛日記

牧港篤三『沖縄自身との対話/徳田球一伝』

2012-01-11 01:13:08 | 沖縄

牧港篤三『沖縄自身との対話/徳田球一伝』(沖縄タイムス、1980年)を読む。それというのも、大島渚『儀式』において、主人公が共産党に入ったおじさんの話し方を「あれは、徳球の真似だということだった」と表現し、また、沖縄県名護市の「ひんぷんガジュマル」の横に生誕記念碑のある、その徳田球一について多少なりとも知りたかったからだ。

著者は、沖縄タイムス創立の参加メンバーであり、また、『鉄の暴風』執筆にも関わっている。本書前半(「沖縄自身との対話」)は、そのように沖縄での報道の中心にあった著者の時事コラムだが、常に中庸に身を置く言い回しがどうにも馴染めない。

後半が「徳田球一伝」である。一読して驚くことに、ここには徳田の思想が奇妙と言っていいほど描かれていない(中江兆民幸徳秋水を愛読して社会主義に目覚め、また、米国を解放者として評価したことなどは記されているが)。浅い評伝なのか、それともそのような存在であったのか。著者のメッセージは、明らかに後者である。例えば、徳田は、「すい星のごとく出現して、すい星のごとく没落した」と言われる福本和夫の理論を当初は支持し、モスクワでの酷評後には態度を急変させている。これを、思想的な欠陥として見るのではなく、「天衣無縫」とする。

むしろ本書で強調されている点は、徳田の行動力と意志の強さである。田中義一政権下での治安維持法による社会主義者・共産主義者の一斉検挙「三・一五事件」(1928年)において逮捕され、敗戦までの18年間、獄中で半生を過ごすことになる。この、「転向」しないことを最大の美徳とみなす考え方の評価についてはともかく、確かに、尋常ならぬことだ。何しろ、そのうち網走に7年間収監され、そこの囚人は1年間に4分の1が死んでいったという。寺島儀蔵『長い旅の記録―わがラーゲリの20年』にも匹敵する凄絶さだ。

「鼻など、しょっちゅう揉んでいないと腐ってしまう。夜は、つんつるてんの作業衣を寝巻きに着変えて寝る。着変えのまえには、かならず、張った氷を砕いて、全身を冷水摩擦をする。それを怠ると、たちまち風邪にやられ、肺炎をおこすからだ。」

革命家、社会運動家としての徳田球一を、思想によってではなく、時代とセットでの運動体として視るべきなのだろうか。