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自縄自縛日記

小田実、玄順恵『われ=われの旅 NY.ベルリン・神戸・済州島』

2018-06-16 06:46:29 | 思想・文学

小田実、玄順恵『われ=われの旅 NY.ベルリン・神戸・済州島』(岩波書店、1996年)を読む。

故・小田実と、パートナーの玄順恵との対話。それは第三者をまじえた私的なものであり、対話が実りあるために必要な緊張感はあまり感じられない。それでも、発言を追っていくとはっとさせられるところは少なくない。

たとえば。

●軍隊とは疑う余地なく悪いものなのか。結論がそうだとして、日本社会はそのことを思考するプロセスを経ないできたのではないか。ドイツのように、目をそむけることができないほど現実に戦争の痕がある社会とは異なったからではないか。また思考の逃げ場所として被害というものがあったのではないか。

●日本以外には、「政治」と「文学」との二元論・二元的対立の考え方はない。小田実が引用する誰かの言葉。「詩人はしょっちゅう詩を書いているわけじゃない。詩を書かないとき、詩人はただヒルネをしているのかね。デモ行進に行かないのかね。」

●被災の思想、共生、棄民。すべてが関連するものとして。軍事大国が侵略の歴史を経て生み出したものは、あまたの「難死」であり「棄民」であった。災害には何も手を差し伸べない国となった。一方で、得体の知れぬ人たちを含めた密度の濃い有機的な「共生」は、こちら側にある。

阪神淡路大震災の直後になされた対話である。当時、被災者たる在日コリアンの人々の脳裏には、関東大震災後のデマと虐殺がよぎったという(本書にもその指摘がある)。そして棄民化政策。たとえば東日本大震災でも同じことが繰り返され、日本社会は成熟どころか劣化を続けてきたのではないかとの思いにとらわれてしまう。

●小田実
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小田実『中流の復興』


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