Sightsong

自縄自縛日記

マノエル・ド・オリヴェイラ『The Strange Case of Angelica』

2011-10-22 14:13:22 | ヨーロッパ

マノエル・ド・オリヴェイラの最新作、『The Strange Case of Angelica』(2010年)をDVDで観る。(※リージョンコードが異なるので注意)

主役の男は前作『ブロンド少女は過激に美しく』(2009年)に引き続き、リカルド・トレパ。アンジェリカ役の女優ははじめて視る顔だが、他にも、レオノール・シルヴェイラルイス・ミゲル・シントラなどオリヴェイラ映画の常連が周りを固めている。

ユダヤ系の男・イサクは勤め人ながら自分で現像・焼き付けを行う写真好きで、ある日の深夜、さる金持ちの使いから撮影の依頼を受ける。その邸宅は敬虔なキリスト教の家で(そのため、イサクという名前について問いただされる)、亡くなったばかりの若い女性・アンジェリカのまだ美しい死に顔を撮ってほしいというのだった。イサクがファインダーを覗くと、突然、アンジェリカが眼を開けて微笑む。驚愕するイサク、しかしそれが視えたのは自分だけ。慌てて帰って焼き付けをしたばかりの写真を眺めると、またアンジェリカが笑った。それから毎日訪れるアンジェリカとの夢、彼はうなされ、憔悴し、奇行に走っていく。イサクが眠っていると、大家が飼っている小鳥が窓から入ってきて、ベッドの上にはイサクに手をさしのべるアンジェリカ、しかし手はお互いに手を伸ばしても届かない。イサクが起きてみると、小鳥が籠の中で死んでいた。イサクは狂ったように山のほうに走りだし、そして倒れる。

ファンタスティックな物語だが、それ以上に、「なにものか」の意思が世界に横溢しているようなアウラがある。背後でイサクを視る者たちだけではない。夜景にも、窓の下を走るトラックの風景にも、閉まる扉にも、石畳にも、彫像にも。考えてみれば、オリヴェイラ作品は常にそのようなアニミズム的なアウラを発散していた。『夜顔』におけるバーの鏡や風景。『メフィストの誘い』における森やパタンと閉じられるドア。『ブロンド少女は過激に美しく』の広角レンズを使った室内。『世界の始まりへの旅』における道路。この映画では、イサクもこちら側も、「なにものか」の視線と息遣いを感じさせられながら、ただ映画の世界に入るほかはない。

このときオリヴェイラは101歳。次第に、かつて心霊療法によるものとして体内から何かを取り出した映像のように、にわかには理解しかねる、あるいは「別のもの」を外部にまとった、映画なる奇怪な存在のコアを取り出す人になっているようだ。これは畏ろしい。

なお、イサクが使うカメラはライカM3、レンズはわからない。ファインダーを覗いたときの太く角が丸まったブライトフレームは確かにM3のものだが、二重像が真ん中だけでなくファインダー全体となっているのがヘンだ。白黒の焼き付け機に見える機械でカラー写真を焼いているのもヘンだ。イサクは露出計をまったく使わないが、それだけ「人間露出計」として習熟している割に、ピント合わせが素人っぽい。誰かチェックしてあげないとダメだろ。

DVDには、映画本編に重ね合わせる批評家・キュレイターのコメンタリーや、この映画に関するオリヴェイラへのインタビューも収録されている(実は、1931年のオリヴェイラ第1作『ドウロ河』も!)。しかし、それらのコメントに幻惑させられる前に一呼吸置こうと思った。まずは謎のまま受け止める映画であるから。

●参照
マノエル・ド・オリヴェイラ『ブロンド少女は過激に美しく』
マノエル・ド・オリヴェイラ『コロンブス 永遠の海』
『夜顔』と『昼顔』、オリヴェイラとブニュエル
マノエル・ド・オリヴェイラ『永遠の語らい』


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