篠原哲雄『地下鉄に乗って』(2006年)を何の気なしに観たところ、存外にも引きこまれた。大会社社長(大沢たかお)の息子・真次(堤真一)は、父親に反発し、小さな下着のセールス会社で働いている。妻との関係は悪く、一方で同僚のみち子との関係を持っている。ある日、中学時代の教師(田中泯)と永田町駅で偶然再会、それを機にタイムスリップを繰り返す。その時代は、兄が家を飛び出して事故死した日であったり、父が満州から引き揚げてきて闇市で稼いでいた時だったり。さらには、父の出征、父が満州で開拓民を護って闘う場面にもジャンプする。そして、真次は、みち子が、同じ父を持つ腹違いの妹であると知る。みち子は、兄妹ゆえ許されない関係であると覚悟し、自分自身を身ごもっている母とともに石段を転がり落ち、自らの存在を消す。
はじめにタイムスリップする過去は、東京オリンピックが開催された1964年、新中野駅の鍋屋横丁だった。わたしの生まれる前であるものの、ディテールが面白い。実在した映画館・オデオン座では、『キューポラのある街』、『肉体の門』(鈴木清順版)、『上を向いて歩こう』を上映している(『肉体の門』以外は2年前の封切りであり、同時上映の名画座ということなのだろう)。赤電話。パチンコ屋の景品はピースの煙草。2年近く前に、『キューポラのある街』のシナリオ集を古本で買ったら、中にピースの空き箱が挟まっていたことも、偶然としては出来過ぎていて愉快なのだった(>> リンク)。
堤真一や田中泯という存在感のある役者を使っていることも嬉しい。堤真一に感情移入して、何だか身につまされてしまった。女性が、「愛する人の幸せ」のために自殺を選ぶことには、共感しかねるものがあるのだけれど。
忘れないうちにと、浅田次郎による原作小説(講談社文庫、原著1997年)も読んだ。 いつも機内誌のエッセイで馴染んでいる、簡潔な文章が良い。
上野駅、神田駅、銀座駅と東銀座駅とをつなぐ地下道など、歴史を感じさせるところを使って、時代の雰囲気を描いている。東銀座の日産自動車あたりは、一面の廃墟でそこが闇市になっていたのだな。この佳作を、うまく映画化したことも改めてわかる。
ただ、多少の設定の違いはある。煙草はピースではなくパールである。映画では堤真一はIWCの時計をつけていたが(これが、若き日の父の手に渡るという仕掛け)、原作では安物。父が闇市で稼ぐのは、米軍から横流しされた砂糖の売買によってではなく、PX(米軍の売店)で米兵と詐称して安く買ったライカとコンタックスの転売である。ライカであればM3登場前のバルナック型の時代、ぜひこれを映像にしてほしかったところだ。
●参照
○鈴木雅之『プリンセストヨトミ』(堤真一)
○横山秀夫『クライマーズ・ハイ』と原田眞人『クライマーズ・ハイ』(堤真一)
○『時をかける少女』 → 原田知世 → 『姑獲鳥の夏』(堤真一)
○姜泰煥・高橋悠治・田中泯
○姜泰煥・高橋悠治・田中泯(2)
○犬童一心『メゾン・ド・ヒミコ』、田中泯+デレク・ベイリー『Mountain Stage』
テレビでは「13歳のハローワーク」「オーパーズ」、映画ではちょっと古いけど「リアル鬼ごっこ 1・2」「リターナーズ」。洋画では「タイムマシーン」(旧版・新版)も面白い。
『地下鉄…』の時代は知っている人が多いだけに時代考証が難しいのですが、なかなかよくできていると感じました。見覚えのある風景が出てきたりして懐かしい。
ただ、地下鉄丸ノ内線はすでに車両がなくて、東西線を塗り直して使ったとか。たしかに行き先表示板などがちょっと違う。惜しい!
役者もいいですね。ただ、田中泯が地下鉄を誉める台詞にはしらけてしまいましたが(『ニライカナイからの手紙』で、突然、郵便局の素晴らしさを述べたときの脱力感と同様に)。
東西線での旧・丸の内線車両の撮影は、竹橋駅だったとか。