Sightsong

自縄自縛日記

比嘉豊光『光るナナムイの神々』『骨の戦世』

2010-08-21 10:42:21 | 沖縄

先日、神保町の「ボヘミアンズ・ギルド」で千円で見つけた、比嘉豊光『沖縄・宮古島~西原~ 光るナナムイの神々』(風土社、2001年)。宮古の祭祀を記録した写真群だ。国立近代美術館で2008年に開催された『沖縄・プリズム1872-2008』展でオリジナルプリントを観て以来、他の写真も観たかったのだ。

印刷媒体では、もちろんオリジナルプリントの持つ息を呑んでしまうようなアウラは希薄になるが、それでも、おそらくはかなりの広角レンズにより森の中の御嶽に入り込んだ視線は素晴らしい。やはり祭祀を撮った写真家・比嘉康雄の写真がややドライに感じられるのと比較して、共同体の中の会話ができそうな距離感があって、親密感を覚える。

今月の『世界』(2010年9月号、岩波書店)には、比嘉豊光による『骨の戦世(イクサユ)』が8点掲載されている。

那覇新都心において発掘されている、沖縄戦での死者の骨である。日本政府の遺骨収集がいかに杜撰で暴力的であったかという、北村毅による指摘は重要である。遺骨は土建業者により重機で掘り返され、暴力的に匿名化され、その一部はやはり匿名の死者となってどこかで埋立に使われている。掘り返されなくても、無数の遺骨はなお地下に眠り(やはり済州島のように)、経済そのものの象徴である新都心の下にこれだけの死者がいたことが、改めて意識にのぼってきたということになる。

また、仲里効「珊瑚のカケラをして糺しめよ」では、この遺骨に向けられる視線の彷徨を提示されている。

ガマや古墓を日本兵に追い出された住民たちは、死に追いやられ、遺骨さえ拾われることがなかった。珊瑚のカケラを骨代わりにした例は少なくないという。つまりこの骨は日本兵のものだという可能性が高く、だからこそ視線は彷徨う。

「つまり、あの石積みの堅牢な墓には住民が避難していたかもしれないし、完全な形で残されている骨は現し身にあっては住民を追い出したかもしれない戦争器官であった、という疑念はぬぐえない。
 あのイクサにおいては、死や骨さえ平等とはいえない、ということに思い至るとき、国籍や階級、軍人や民間人を問わず等しく沖縄戦の使者たちを弔う「平和の礎」で、強制連行された韓国・朝鮮人慰安婦とその遺族が刻名を拒否したことの意味を改めて考えさせられる。
 拒んだのは「慰安婦」であったことの絶望的な恥辱が理由だとされるが、そのような恥辱を与えた国家の軍人と同じ<礎>に名を連ねることへの強い拒絶があったからだといわれる。取り込みつつ排除した日本の植民地主義の<同化>の倫理への強い否の思想があった。」

●沖縄の写真
仲里効『フォトネシア』
『LP』の「写真家 平敷兼七 追悼」特集
「岡本太郎・東松照明 まなざしの向こう側」(沖縄県立博物館・美術館)
平敷兼七、東松照明+比嘉康雄、大友真志
沖縄・プリズム1872-2008
東松照明『長崎曼荼羅』
東松照明『南島ハテルマ』
石川真生『Laugh it off !』、山本英夫『沖縄・辺野古”この海と生きる”』
豊里友行『彫刻家 金城実の世界』、『ちゃーすが!? 沖縄』


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