鈴木清という写真家への興味が高まっているこのタイミングで、「パリ・フォト報告会」があるというので、関内まで足を運んだ。
報告者は、娘さんの鈴木光さん。今年、タカ・イシイギャラリーは「パリ・フォト」に出展するにあたり、鈴木清のヴィンテージプリントを主役に据えた。そのようなわけで、パリに同行してきたのだという、そのご報告。
会場は、グラン・パレ(1900年パリ万博の会場)。何でも福岡ドームほどの大きさだそうだ。わたしも2010年に、クリスチャン・ボルタンスキーのインスタレーションを観たことがあるが、確かに広い(>> リンク)。この広い会場が多くのギャラリーに割り振られており、上からは直射日光が降りそそぐ、そんな場所である。
どうやら、鈴木清という人は、プリントの管理に無頓着だったそうで、ヴィンテージプリントもオリジナルプリント(本人が焼いたものでも、それが一定期間後であればヴィンテージではない)も一緒くた。それどころか、画鋲の穴があいていたり、裏にとっさのメモが書かれていたり。ただ、ヨーロッパの愛好家はそのようなことに鷹揚であり、むしろ手の跡があるというので好むことさえあるという。
日本でさえなかなか観る機会がない写真家だけに、ヨーロッパではなおさらである。今回、鈴木清の作品に接する機会があって、かなり好意的に受けとめられたらしい。そもそも、鈴木清の「再発見」だって、オランダにおいてである(2008年)。報告会の会場には、そのときのポスターも貼られていた。
それでは日本においてはどうなのか。「聞き手」の方が言うには、鈴木清ファンは多いが、その誰もが理由をうまく説明できない。写真集が高騰してなかなか目にすることができないという理由もあるかもしれないが、それよりもやはり、写真世界のカオス性によるところが大きいに違いない。
興味深いことに、鈴木清はロバート・フランクとの深い交友があった。写真に対する身の置き所に、共通するところがあるのかもしれないと漠然と思う。鈴木清はコラージュを作品ではなく遊びのように作っていたというが、ロバート・フランクにもそのような手仕事がある。
会場には、『流れの歌』新旧版、『ブラーマンの光』、『天幕の街』、『夢の走り』、『愚者の船』、『天地戯場』、『修羅の圏』、『デュラスの領土』という写真集がずらりと並べられた。確かに、これらを古本で揃えるといくらになるのか、考えるだけで恐ろしい。ひとつひとつを観ることができて、貴重な体験をさせてもらった。
特に、インドを撮った『ブラーマンの光』が、あまりにも魅力的だった。ハンピとかカジュラーホとか、大変なところにまで足を運んでいる。果たしてどれだけの時間をかけたのだろう。
●参照
○鈴木清