Sightsong

自縄自縛日記

石川文洋の徒歩日本縦断記2冊

2007-10-19 18:17:56 | 思想・文学
ヴェトナム戦争を長く取材した写真家、石川文洋氏は、2003年に北海道から沖縄までの徒歩の旅をしている。そのときは、ふぅん、位にしか思っていなかったが、『てくてくカメラ紀行』(えい文庫、2004年)と『日本列島 徒歩の旅』(岩波新書、2004年)の2冊で追体験をするととても面白い。

えい文庫のほうは、えい出版『ライカ通信』などにも使われたものであり、写真が中心だ。今回、岩波新書のほうをブックオフで105円で見つけ、改めて石川氏の旅をたどってみたわけである。

気になるカメラは、EOS7のほかに、ライカM6を2台に、エルマリート28mmF2.8、ズミルックス35mmF1.4、ズミクロン50mmF2、テレエルマリート90mmF2.8。

歩くことは思索をめぐらすこと。だから、平和のこと、カメラのこと、道路交通のこと、街づくりのこと、食べ物や酒のことなどの石川氏の考えを読んでいると、こちらも脳内で逍遥する。

石川氏はヴェトナム戦争から帰ってからしばらく、市川市の江戸川沿いに住んでいる。ほっとくと太りやすい、歩くことが好き、ということも含め、共通点があると親近感がわいてくる。

小松空港のF15を見ては嘉手納基地の爆音のことを思い、日本の戦争や沖縄戦のことと重ね合わせている。舞鶴の海上自衛隊の護衛艦を見ては異様さを覚えている。これこそが、戦争取材体験もさることながら、歩くことで眼と脳を洗い続けたからこそ新鮮になりうる印象なのだろう。

「舞鶴の海上自衛隊基地は国道に沿ったところにある。通る人は誰でも護衛艦を見ることができる。護衛艦は軍艦である。軍隊があるから戦争が起きる。そのたびに多くの民間人が犠牲となる。ベトナム、カンボジア、ボスニア、アフガニスタンで、戦争にまき込まれて死傷した民間人の痛ましい姿をたくさん見てきた。だから、軍隊、武器には拒絶反応がある。市民の目にはどう映っているのだろう。日本の戦争が終ってから五八年。憲法第九条の精神がだんだん人々から遠のいていくように感じた。」
『日本列島 徒歩の旅』(岩波新書、2004年)より

フェンスや軍艦を「風景」化しないための異化作用―――このテキストは「当たり前」のことではない。米国の民間人殺戮に加担しながら眼をそむけ続ける政治家、それに追随するだけのマスメディア。現状を当然のことのように訳知り顔で語る、私たちの近くに無数にいるミニ保守評論家。

福岡県では、故・伊藤ルイ(大杉栄と伊藤野枝の娘)のことを思い出している。佐賀県では、故・一ノ瀬泰造のお母さんと、ヴェトナム戦争当時の思いを共有している。沖縄本島最北端の辺戸岬では、「祖国復帰闘争碑」に書いてある、「1972年沖縄は復帰したが、基地は強化されている。辺戸岬で聞こえる風の音、波の音は戦争を拒み平和を願う大衆の雄叫だ」という碑文に共感している。

沖縄県北部で石川氏が泊まった宿、国頭村奥の「海山木」、東村の「島ぞうり」は私も好きな場所だ。大宜味村の芭蕉布会館では、平良敏子先生(人間国宝)のことを「素敵なおばあちゃん」と愛情を持って評している。私も以前、平良先生のお仕事を拝見し、会館の1階で芭蕉布のキーケースを買って大事に使っている。私も一緒に山原路を歩いた気になってくる(私は国頭村営バスや路線バスに乗ったが)。

初めて知ったこと。石川氏のお父さん、石川文一氏は小説家であり、『怪盗伝 運玉義留と油喰小僧』など面白そうな本を書いている。(石川氏は、本がまったく売れず貧乏だったと書いている。) これが高嶺剛の映画『ウンタマギルー』のもとにもなっているのだろうか。さっそく古本を探して注文した。

この2冊、無性にまた歩きたくなる本だ。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。