インフルエンザB型でひどい状態。タミフルをはじめて呑んだ。
知念ウシ・與儀秀武・後田多敦・桃原一彦『闘争する境界』(未来社、2012年)を読む。『未来』誌において連載されている「沖縄からの報告」を、2年分まとめたものである。
著者リレー式でのエッセイゆえ、各者各様だ。一篇ごとが短いとは言え、軽く読みとばすことはできない。
以下に、示唆的だと感じたこと。(敬称略、まとめは当方の解釈)
○沖縄が現状に対して批判的に対峙するときの立場は、①主権国家の中で調和的に発言権を獲得しようとする立場(「沖縄イニシアティヴ」など)、②近代国家の枠組みでの自決権をもとうとする立場、③主権国家とは別の理念に開こうとする立場(反復帰論など)(>> 参照:川満信一『沖縄発―復帰運動から40年』)、の3つに分けられる。特に③に関連して、名護市が1973年に掲げた「名護市総合計画・基本構想」(>> 参照:宮城康博『沖縄ラプソディ』)は、今なお注目に値する。(與儀)
○普天間問題から見えてくるのは②の限界であり、それを直視しなければならない。(與儀)
○台湾、済州島、沖縄は、大きなものに回収できない記憶や文化的要素をもち、相互に反響しあうように広がっている。危機的であると同時に新たな視座を生み出す可能性を持つ場であり、このことは、これまでにも「ヤポネシア」「群島」「エッジ」などの言葉で語られてきた。(與儀)
○1898年に沖縄で徴兵令が施行されたが(それでも、抵抗が続いたために見送られての実施)、徴兵忌避者が続出し、何人かは清国に亡命、ハワイや南米への渡航をしたという。このことが日本政府でも問題となり、1910年には軍による視察がなされ、検査場での暴行と抵抗という「本部事件」が起きた。これは単なる徴兵忌避ではなく、日本政治の忌避であった。(後田多)
○2011年、沖縄県立図書館に「山之口貘文庫」ができた。ここは、初代館長・伊波普猷、三代目館長・島袋全発など、沖縄にとっては重要な意味を持つ場である。図書館がある与儀公園には、山之口貘の詩碑(>> リンク)がある。(後田多)(そういえば、以前に詩碑を探しに足を運んだ時、腹痛を覚えて図書館に駆け込んだ記憶が・・・)
○かつて岡本恵徳は、「集団自決」について、幻想的に共生を求める共同体の力が働いたのではないかと指摘した。東日本大震災の後の「がんばろう日本」には同じ側面がある。救済されなければならないのは国家ではなく被災者である。(與儀)
○1972年の沖縄の施政権返還は、基地の全面撤去という民意を利用しながら、軍事構造の維持と日米共同管理を再確認するためのセレモニーであった。したがって、沖縄が「日本復帰」を主体的に選択したとは言えない。(與儀)
○ジャック・ランシエールは、「多様な言説が生産される高度情報社会の時代に発動するような、巧みな合意調達に基づく社会形態」を<ポスト民主主義>と名付けた。震災後、国家と軍隊への視線は巧みに固定され、同時に沖縄も視えない遠隔地に固定されてしまうのではないか。<ポスト民主主義>下の統治とは、テクストへの隷従を意味し、そこでは公式化されたテクスト(「3・11」のような)が、権力構造を形成してしまう。(桃原)
「あとがき」に、本書のタイトルについて知念ウシ氏が悩んだ顛末がある。『闘争する境界』と言われ、当初、氏は『逃走する境界』かと思ったという。考えてみるとこれは単なるギャグではない。本書において桃原一彦氏の指摘する、テキストによる囲い込み、権力構造の構築が常に沖縄になされ続ける策動なのだとすれば、ドゥルーズ的にそこからの絶えざる逃走を図ること、それを暗に意味しているのではないかと思ったのである。
盟友與儀秀武のクリティカルな現状認識を紹介していただいてありがとうございます。
というかお大事に!
たいへんご無沙汰しています。そうなんです、4月末には本屋に並んでました。とくに與儀さんと桃原さんの発言が刺激的でした。oamでも呼んだりしてましたか?
インフルエンザはたいへんです。ギャフン。