Sightsong

自縄自縛日記

『狂気の正体 連合赤軍兵士41年目の証言』

2013-03-16 21:53:12 | 政治

NNNドキュメント'13」枠で放送された『狂気の正体 連合赤軍兵士41年目の証言』(2013/2/14放送)(>> リンク)を観る。

1972年、連合赤軍あさま山荘事件。その前に、彼らは「総括」と称し、ただ、武装闘争の純粋性を求めて、仲間12人を殺害した。

番組では、主犯のひとりとして逮捕され、懲役20年の刑を受けた植垣康博氏の現在の姿を、中心に据えている。氏は、ディレクターに誘われ、事件の現場となった群馬県沼田市の迦葉山(かしょうざん)を再訪する。もはや氏も64歳、汗だくになって雪のなかを歩き、「迦葉ベース」が設けられた場所まで辿りつく。いや、20代だったからといって、そのような場所で大勢が寝泊まりできる小屋を作り、特訓するなど、ただごとではなかっただろう。

パトリシア・スタインホフ死へのイデオロギー・日本赤軍派』において書かれたような、「間違ってはいたが、真摯に社会にぶつかった人々」への視線を棄ててはいけないのだろうと思う。勿論、まともではない。真摯に革命の実現を希求していたことなど、理由にはならない。いま表現するならカルトである。しかし、カルトという安易な言葉で片付けてしまうべきではない。

ところが、番組では、すべてを「狂気」という言葉で、この歴史や、生き残る人物を、曖昧なプールに沈めてしまっている。それどころか、ディレクター自ら、「酔った勢い」で、植垣氏に正直な疑問をぶつける場面を、入れてしまっている。本人の言葉遣いは呂律が回らないものだが、ドキュメンタリーそのものまで呂律が回らないものになっているのだ。

これでは駄目だろうと思う。せめて、曖昧なプールを言語化する懸命な努力をしなければならないのだと思う。

また、永田洋子への言及がわずかになされただけであり、永田とともに総括を主導した森恒夫に関する言及はまったくない。坂口弘『あさま山荘1972』では、本人の悔恨とともに、このふたりへの怒りが綴られている。それさえもなく、全体を居酒屋の浪花節にしてはならないのではないか。 

●参照
『田原総一朗の遺言2012』(『永田洋子 その愛 その革命 その・・・』)

●NNNドキュメント
『活断層と原発、そして廃炉 アメリカ、ドイツ、日本の選択』(2013年)
『沖縄からの手紙』(2012年)
『八ッ場 長すぎる翻弄』(2012年)
『鉄条網とアメとムチ』(2011年)、『基地の町に生きて』(2008年)
『風の民、練塀の町』(2010年)
『沖縄・43年目のクラス会』(2010年)
『シリーズ・戦争の記憶(1) 証言 集団自決 語り継ぐ沖縄戦』(2008年)
『音の記憶(2) ヤンバルの森と米軍基地』(2008年)
『ひめゆり戦史・いま問う、国家と教育』(1979年)、『空白の戦史・沖縄住民虐殺35年』(1980年)
『毒ガスは去ったが』(1971年)、『広場の戦争展・ある「在日沖縄人」の痛恨行脚』(1979年)
『沖縄の十八歳』(1966年)、『一幕一場・沖縄人類館』(1978年)、『戦世の六月・「沖縄の十八歳」は今』(1983年)


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