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自縄自縛日記

森本あんり『異端の時代』

2019-04-10 07:19:24 | 思想・文学

森本あんり『異端の時代―正統のかたちを求めて』(岩波新書、2018年)を読む。

著者がこの思考のもとにしたのはキリスト教の歴史だが、それは、より広い言説や発想の前提にあてはまる。

丸山眞男は「L正統」と「O正統」とを定義した。前者は権力継承の正閏を問うもの、後者は教義解釈の正邪を問うものである。そこで現れる言説が、西欧社会には「O正統」があり、日本社会は「L正統」に依拠してしまいがちだというものである。丸山の「であること」と「すること」にも重なってくる概念であり、それは、日本の近現代史や政治や社会のありようをみるなら的を射た捉え方のように思える。

だが、著者は、ことはそう簡単ではないと説く。なぜなら「正典」や原理的な「教義」ではなく、もっと広い「正統」が先にあり、それは矛盾やツッコミどころを抱え持つとはいえ、多くの者に共有され支持されてきたイデアだからだ、と。「正典」が「正統」を作るのではないというわけである。原理を持たず権力に依りかかるのは日本特有のことではない。逆に、「異端」を、ピンポイントでなにかに焦点を当てているからこそ「異端」なのだとする。

この思考に沿って、著者は、たとえば政権が「正統をつくる」として憲法改定を喧伝することを思い上がったものとみなす。その一方で、政権への反対(常に権力に反対する社会運動や万年野党)を、その「異端」と位置付けてもいる。後者の考え方はわたしには危険なものに思える。「正統」が理詰めに説明可能なものではないのだとして、それでは、伝統や社会性といった漠とした概念を「正統」とする間違った保守に安易に陥るのではないか。あるいは、ピンポイントの主張が全体性に劣後するということになってしまうのではないか。


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