Sightsong

自縄自縛日記

マーク・リボーとジョルジォ・ガスリーニのアルバート・アイラー集

2016-03-06 22:09:11 | アヴァンギャルド・ジャズ

アルバート・アイラー曲集を2枚。

マーク・リボー『Spiritual Unity』(Pi Recordings、2004年)

Roy Cambell (tp, pocket tp)
Henry Grimes (b)
Marc Ribot (g)
Chad Taylor (ds)

やはりヘンリー・グライムスのベースはあまりにも重く、トリケラトプスのように地響きを立てて猛進する。何の秘密があるのか、来日時に目の当たりにしたときにも、ステージの上でおもむろに弾き始めたときには、重いハンマーで杭を打つような姿を幻視した。アイラーと共演したのはかれだけだ。

一方、主役のリボーは、北斗琉拳のカイオウのように、太いギター音で空間をぐにゃりぐにゃりと歪めていく。シカゴ発、チャド・テイラーの瞬発力のあるドラムスにも耳を奪われる。

「Truth Is Marching In」において、ふと泣きそうになってしまう。

ジョルジォ・ガスリーニ『Ayler's Wings』(Soul Note、1990年)

ソロピアノによるアイラー。情とともに飛散する液体があるでもなし、濁りがあるでもなし、ブルースでもない。

それでも、ジャズ的なノリとは正反対のリズムと、すべてを公平に扱った音の配列と、それによる不協和音のなかから浮上してくるアイラーのメロディ。「Ghosts」が、ここまで美しい曲だったのかと思わせられる。

●参照
『Tribute to Albert Ayler / Live at the Dynamo』(2008年)(ロイ・キャンベル参加)
ウィリアム・パーカー『Fractured Dimensions』(2003年)(ロイ・キャンベル参加)
ウィリアム・フッカー『LIGHT. The Early Years 1975-1989』(ロイ・キャンベル参加)
「KAIBUTSU LIVEs!」をエルマリート90mmで撮る(2007年)(ヘンリー・グライムス参加)
US FREE 『Fish Stories』(2006年)(ヘンリー・グライムス参加)
スティーヴ・レイシー『School Days』(1960/63年)(ヘンリー・グライムス参加)
ブッチ・モリス『Possible Universe / Conduction 192』(2010年)(チャド・テイラー参加)
Sticks and Stonesの2枚(2002, 03年)(チャド・テイラー参加)
ジョルジォ・ガスリーニ『Gaslini Plays Monk』(1981年) 


陳偉江『油麻地』@Zen Foto Gallery

2016-03-06 01:34:38 | 香港

六本木のZen Foto Galleryに足を運び、香港の写真家・陳偉江の写真展『油麻地』を観る。最終日に何とか滑り込むことができてよかった。

何しろ『001-023』に吃驚して以来、プリントを観たかった作家である。そして、その待望のプリントは、印刷してある作品よりもはるかに迫力のあるものだった。

咄嗟のスナップも、ノーファインダーでのスナップもあるだろう。香港に棲息する人びと、なかには奇怪な人もいる。かれらと向き合い、すれ違った瞬間が焼き付けられている。そのスピード感もストリート感も、かつて日本で同じようなアプローチで名を成した作家の現在の作品群とは比べものにならないほど尖っている。

しかも、プリントが実に粗い(笑)。RCペーパーだそうだが、ものによっては印画紙に光がかぶっていて微妙にグレーになっている。周辺もエッジもなぜだか甘々。出来上がりは平面性もなくよれよれ。しかし、それがまた良いのだから面白いものだ。

この人が撮影する映像を観たことがあるが、アラーキーを敬愛しているという。であればなおさら、東京を撮った作品も観てみたい。

●参照
陳偉江『001-023』(2013年)


ゲルハルト・リヒターの「Strip」@ワコウ・ワークス・オブ・アート

2016-03-06 00:55:46 | アート・映画

六本木のワコウ・ワークス・オブ・アートは、ゲルハルト・リヒターを日本に紹介したメイン・プレイヤーだと思っている(昔、初台にあった)。去年(2015年)の個展には残念ながら足を運ぶことができなかったのだが、今、2点が展示してあって、それだけでも嬉しい。

最近の「Strip」というシリーズである。細い無数のストライプが描かれている。絵の前に立つと、どうやっても焦点が合わず眩暈がする。近寄って目の手がかりを見つけようとしても無理で、やはり眩暈がする。どうやら、自分の作品をデジタル処理してプリントしたもののようで、かつて、自分の描いた絵を写真に撮ってそれにさらに絵具を塗りつけたりもしたリヒターらしいと言えそうでもある。

それにしても、何を考えているのか。この後何をするつもりだろう。

●参照
ゲルハルト・リヒター『アブダラ』(2011年)
ゲルハルト・リヒター『New Overpainted Photographs』(2010年)
テート・モダンとソフィアのゲルハルト・リヒター(2010年)