太田昌国『「拉致」異論 日朝関係をどう考えるか』(河出文庫、2008年)。拉致被害が国家犯罪であることは当然だとして、あまりにもアンバランスな1億総ヒステリーを考え直すこと。日本が過去に加害側となったことは、拉致被害と「相殺」されるべきものではないこと。北朝鮮という国家を「金正日」で代表させないこと。メディアによる肥大化した感性への扇動を見つめるための書である。
以下、変にまとめるよりは、太田節を引用するにとどめる。
「植民地化は、そこに生きる人びとの生活のあらゆる側面に変化を強いる、暴力的な過程である。歴史を偽造しようとする者たちは、たとえば「強制連行」の史実を否定し、朝鮮人は任意で日本へ来たなどと主張する。」
「在日朝鮮人に対して、「そんなに日本がいやなら、帰れ」という言葉が、いまなお、陰に陽に投げつけられることは、よく知られている。だが、日常生活の何たるかを知っている者なら誰だって思いつくだろう、いかに自己の意志とは関わりのない、不本意な形で、ある土地に住むことになったとしても、そこでの生活が長年にわたり、生活基盤が確立し、とりわけそこで配偶者を得た場合には、帰るべき故郷を失うことを。」
「(略)歴史をさかのぼって総括だ、謝罪だ、というのでは、世界は収拾のつかない混乱に陥ってしまう、と悲鳴をあげている。しかし、植民地化された地域の民衆は、その時点で「収拾のつかない」混乱に陥ってしまったのではなかったか。(中略) 他者の存在を意識さえすれば、即座に崩れ落ちるしかない自己中心的な論理を、この連中は恥じらいもなく弄んでいるのである。」
「もはや、家族会の人びとの痛切な心情を尊重し、慮って、私たちが言葉を慎むべき段階は終わったと思う。なぜなら、個人としては当然の怒りが、この社会の政治・外交・軍事政策総体を、向かうべきではない方向へと突き動かす運動へ、それは転換しつつあるからである。」
「歴史的な公正さを何ら考慮しようとせず、既得権を得た自国の国家犯罪には蓋をする、これらの悪意に満ちた扇動がこの社会には充満している。」
「日本にあって、「テロ国家=北朝鮮」と感情的に言いつのる者たちが、つい半世紀前までは自分の国こそが「テロ国家」であったことを忘れており(あるいは忘れたふりをしており)、その対外的な責任をいまだ果たしていないことによって、「過去」は「現在」であり続けていることに無自覚なことも、片腹痛いことだ。これは、金正日が拉致に対してとるべき責任と相殺する論理ではない。」