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Sightsong

自縄自縛日記

太田昌国『「拉致」異論』

2010-04-25 23:23:11 | 韓国・朝鮮

太田昌国『「拉致」異論 日朝関係をどう考えるか』(河出文庫、2008年)。拉致被害が国家犯罪であることは当然だとして、あまりにもアンバランスな1億総ヒステリーを考え直すこと。日本が過去に加害側となったことは、拉致被害と「相殺」されるべきものではないこと。北朝鮮という国家を「金正日」で代表させないこと。メディアによる肥大化した感性への扇動を見つめるための書である。

以下、変にまとめるよりは、太田節を引用するにとどめる。

「植民地化は、そこに生きる人びとの生活のあらゆる側面に変化を強いる、暴力的な過程である。歴史を偽造しようとする者たちは、たとえば「強制連行」の史実を否定し、朝鮮人は任意で日本へ来たなどと主張する。」

「在日朝鮮人に対して、「そんなに日本がいやなら、帰れ」という言葉が、いまなお、陰に陽に投げつけられることは、よく知られている。だが、日常生活の何たるかを知っている者なら誰だって思いつくだろう、いかに自己の意志とは関わりのない、不本意な形で、ある土地に住むことになったとしても、そこでの生活が長年にわたり、生活基盤が確立し、とりわけそこで配偶者を得た場合には、帰るべき故郷を失うことを。」

「(略)歴史をさかのぼって総括だ、謝罪だ、というのでは、世界は収拾のつかない混乱に陥ってしまう、と悲鳴をあげている。しかし、植民地化された地域の民衆は、その時点で「収拾のつかない」混乱に陥ってしまったのではなかったか。(中略) 他者の存在を意識さえすれば、即座に崩れ落ちるしかない自己中心的な論理を、この連中は恥じらいもなく弄んでいるのである。」

「もはや、家族会の人びとの痛切な心情を尊重し、慮って、私たちが言葉を慎むべき段階は終わったと思う。なぜなら、個人としては当然の怒りが、この社会の政治・外交・軍事政策総体を、向かうべきではない方向へと突き動かす運動へ、それは転換しつつあるからである。」

「歴史的な公正さを何ら考慮しようとせず、既得権を得た自国の国家犯罪には蓋をする、これらの悪意に満ちた扇動がこの社会には充満している。」

「日本にあって、「テロ国家=北朝鮮」と感情的に言いつのる者たちが、つい半世紀前までは自分の国こそが「テロ国家」であったことを忘れており(あるいは忘れたふりをしており)、その対外的な責任をいまだ果たしていないことによって、「過去」は「現在」であり続けていることに無自覚なことも、片腹痛いことだ。これは、金正日が拉致に対してとるべき責任と相殺する論理ではない。」

●参照
『情況』の、「中南米の現在」特集
太田昌国『暴力批判論』を読む


『けーし風』読者の集い(10) 名護市民の選択、県民大会

2010-04-25 15:18:02 | 沖縄

『けーし風』第66号(2010.3、新沖縄フォーラム刊行会議)の特集は「名護市民の選択」と題されている。その勉強会に参加した(4/24)。

一夜明けて今日、沖縄の読谷村で「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と、県内移設に反対し国外・県外移設を求める県民大会」が開かれた。その様子はFMよみたんにより、USTREAMを使って実況中継された(>> リンク)。勿論後でも観ることができる。

参加者は9万人余りだったそうだが、ツイッターの書き込みを読むと、会場に向かう車で渋滞となり、間に合わなかった人も多かったようだ。このあたりも、教科書検定の際の県民大会と似ているのかな。

なお、海外でも積極的に報道されたようだ。
○オーストラリア:主要紙
○イラン国営テレビ:「沖縄の基地問題は、日本で最重要の政策課題で、米国との関係悪化をもたらしている」と報道(cafebaghdadさんによる)
イラン国営通信:「沖縄住民は、米軍駐留に疲弊している」と報道(cafebaghdadさんによる)
○アルジャジーラ:「島民の多くは米軍の存在に不満を持っている。日本の二次世界大戦の敗北の遺産 、環境汚染、米軍との摩擦」(Arataさんによる)(>> リンク)   など

それにしても、USTREAMやツイッターなど、インターネットによって情報の形が確実に変貌してきていることは確かだ。

◇ ◇ ◇

『けーし風』読者会については、やはり参加された編集者のSさんがブログに書いている(>> リンク)。同じようなことを書くのは避けるとして、他にいくつか。

■汚れたカネを使わない

安次富浩氏(ヘリ基地反対協)がこのように書いている。名護市の前島袋市政では、ドクターヘリの運営や汚水処理場建設を米軍再編交付金でまかなうとしたが、地域住民の生活や命に関わるものを、「命を奪う米軍再編交付金」で援助することは間違っている、と。

2010年3月20日に法政大学で行われた「シンポジウム 普天間―いま日本の選択を考える」においても、川瀬光義・京都府立大学教授が同様の主張を行っている。そして、2月に選出された稲嶺・名護市長は、来年度予算にその種の予算を計上しないと決定、隣の宜野座市も追随したことを画期的なことだと評価している。金額規模で言えば、名護市は10億円程度、宜野座市は4億円程度だ。名護市の一般会計予算規模は200億円程度ということで、5%もの金額ということになる。

■強迫的な対米追従

米国の意向を至上のものとするのは、除け者にされたくない、一人だけ違うことを言いたくないという面と共通する日本文化なのかという指摘。平岡前広島市長が「核の傘をなくす」という発言をしたところ、橋本元首相に、「あなたは米国の本当の恐ろしさを知らないのだ」と言われたという。しかし、何の恐ろしさなのか、それをこそ明らかにすべきだという意見があった。

■上原成信・編著『那覇軍港に沈んだふるさと』

ご本人による宣伝(>> リンク)。曰く、瀬長亀次郎の右腕と呼ばれた国場幸太郎という人物のこと、また、米国がCIAによって如何に酷いことをしてきたかということを伝えたかった。

終わった後、近くの居酒屋で飲んで帰った。大メディアには乗ってこない生の情報が得られる貴重な場だと思う。「読者会」とは言っても、『けーし風』を持っていなくても何とかなるので、興味のある方は話だけでも聴きませんか。

●参照
『けーし風』読者の集い(9) 新政権下で<抵抗>を考える
『けーし風』読者の集い(8) 辺野古・環境アセスはいま
『けーし風』2009.3 オバマ政権と沖縄
『けーし風』読者の集い(7) 戦争と軍隊を問う/環境破壊とたたかう人びと、読者の集い
『けーし風』2008.9 歴史を語る磁場
『けーし風』読者の集い(6) 沖縄の18歳、<当事者>のまなざし、依存型経済
『けーし風』2008.6 沖縄の18歳に伝えたいオキナワ
『けーし風』読者の集い(5) 米兵の存在、環境破壊
『けーし風』2008.3 米兵の存在、環境破壊
『けーし風』読者の集い(4) ここからすすめる民主主義
『けーし風』2007.12 ここからすすめる民主主義、佐喜真美術館
『けーし風』読者の集い(3) 沖縄戦特集
『けーし風』2007.9 沖縄戦教育特集
『けーし風』読者の集い(2) 沖縄がつながる
『けーし風』2007.6 特集・沖縄がつながる
『けーし風』読者の集い(1) 検証・SACO 10年の沖縄
『けーし風』2007.3 特集・検証・SACO 10年の沖縄


森山大道「NAGISA」、沢渡朔「Cigar - 三國連太郎」、「カメラとデザイン」、丸尾末広

2010-04-25 10:20:37 | 写真

所用で出かけるついでに、観たかった写真展に立ち寄った。

■森山大道「NAGISA」 @BLDギャラリー

森山大道渚ようこを1年間追った作品群だ。すべて銀塩のモノクロであり、いつものように粒子がざらついている。

かなり期待していたのだが、ここに焼きつけられた渚ようこは女性としてさほど魅力的ではない。新宿や大阪の雑踏で見知らぬ人を隠し撮りした森山のスナップと同じアウラが漂っているのだ。崇拝の対象として撮られた女性像でないことは確かなように思える。おそらく、森山大道にとっては、すべてが滅びゆくモノなのだろう。

勿論、目を見開かされる作品は多い。渋谷の「青い部屋」だろうか、渚ようこがトイレに座り、背後には戸川昌子のポスターがある。熱海なのか伊東なのか、あの辺りの海岸で撮られたやさぐれ写真も良い。

■沢渡朔「Cigar - 三國連太郎」 @JICC PHOTO SALON

女性ばかりを撮ってきた沢渡朔による異色の作品群。すべて同名の写真集(パルコ出版、1998年)に収められている。オリジナルプリントを観ることができる嬉しい機会だった。

やさぐれた風景を撮ってきた森山大道の女性写真と、女性ばかりを撮ってきた沢渡朔の男性写真。比べてみるとその違いは強烈だ。ここに登場する三國は、老いた男性のフェロモンをムンムンと発散しており、本質的に女性と変わらないのだろう、少なくとも写真家にとっては。廃墟でワインを飲む三國、海辺を散策する三國、歌舞伎町を歩く三國、中華料理屋に座る三國、ペンタックスのAuto 110を楽しそうに使う三國。こんな風に近い人間を撮ることができたならどんなにいいだろう。

帰宅して写真集と比べてみると、写真集の印刷は優れているもののコントラストが強すぎるきらいがある。船尾に佇む三國の顔は黒くつぶれているし、顔の前を半分弱覆うスクリーンは向こうが透けているはずだが、写真集では真っ白だ。


『Cigar』(パルコ出版、1998年)

撮影に利用したカメラも展示してあって、それはペンタックスの6×7とMZ-5だった。しかし、『季刊クラシックカメラ No.8』(双葉社、2000年)ではペンタックスLXだと本人が語っている。また『ナチュラル・グロウ No.34』(ソシム、2004年)では、最初「カチンときちんと撮っておきたいみたいな気持ち」があって6×7で入ったものの、途中から35に変えて、28mmと標準で「バンバンバンバン」撮っていたのだとある。そんなわけでLX説を採りたいがどうか。

■「カメラとデザイン」、直井浩明氏の手作りカメラ @日本カメラ博物館

ジュージアーロ、ローウィ―、ポルシェ、亀倉などデザイナー別にカメラを展示している。一眼レフカメラ創世記の「ズノー」なんて、現物を初めて眼にした。しかも元箱付き、中古屋に出たらはたしていくらの値が付くことか。

ナオイカメラサービスで修理名人として名を馳せた直井浩明氏による手作りカメラの展示コーナーもあった。ふたつのカメラをくっつけたステレオカメラが有名だが、たとえばミノルタA2とミノルタコードを組み合わせ、レンズをフジノン45mmF1.9(記憶では)とした35mm二眼レフカメラなどという素晴らしいカメラがあった。欲しい!

昔、このミノルタA2が壊れて自分で修理しそこね、ナオイカメラサービスに持ち込んだことがある。コダック・シグネット35やアイレスIII-Lといったカメラのシャッターも修理してもらったこともある。いまはシグネット35しか手元にないが、大事に使わなければならない。

■丸尾末広展 @スパンアートギャラリー

変態趣味、エログロ、少年少女、猟奇。キーワードで言ってしまえばどうしようもないのだが、まあ相変わらずその世界である。たまたま通りがかったギャラリーで展示していたので覗いただけのことだ。自分にとって丸尾末広は、ジョン・ゾーン『Naked City』(1990年)の裏ジャケットに使われていた印象が大きく、いかにも日本のそのような文化のマニアであるゾーンのやりそうなことだ。

会場には、日野日出志(!)と一緒に作った豆本2冊セットなどというものもあった。乱歩世界のサイン入りポスターには触手が動いたが、自宅に持ち帰ると張り倒されること必至なので、やめた。


ポストカードはまだまとも

●参照
森山大道「Light & Shadow 光と影」
森山大道「レトロスペクティヴ1965-2005」、「ハワイ
森山大道「SOLITUDE DE L'OEIL 眼の孤独」
渚ようこ『あなたにあげる歌謡曲』
沢渡朔「Kinky」
沢渡朔「Kinky」と「昭和」(伊佐山ひろ子)
沢渡朔「シビラの四季」(真行寺君枝)
沢渡朔Cigar』(三國連太郎)