■ブライアン・デ・パルマ『リダクテッド 真実の価値』
デ・パルマといえば、『愛のメモリー』や『殺しのドレス』などヒッチコックにすり寄った作品、『キャリー』などハチャメチャを喜ぶ作品などいろいろな顔がある。『アンタッチャブル』では『戦艦ポチョムキン』のパクリを見せて、多くの観客を失笑させた(に違いない)。器用貧乏とは言わないが、カメレオンのような変身が個性と言うべきだろうか。この最新作『リダクテッド 真実の価値』(2007年)が最新作ということになる。
イラクにおける米兵の民間人強姦と殺人という実際の凶悪犯罪を題材にして、真正面から<軍なるもの>の姿や、つねに非対称な構造を作り上げる<米国>の姿を示したものと評価されているようだ。ヴェトナム戦争と同様に、何人もの映画作家が、この国家的犯罪を告発しはじめている。ヴィム・ヴェンダースさえ、米国を諌める映画『ランド・オブ・プレンティ』(2004年)を作っている(>> リンク)。
もっとも、穿った見方をすれば、ライヴカメラ、YouTube、個人ヴィデオなどのインターネットを通じた映像ネットワークが、この器用な映画作家の描きたかった新規性のあるテーマのようにも思える。
しかし、これまでいろいろなことを思い知らされた私たちにとって、ここで示される醜い<軍>や<米国>の姿には既視感がある。それでも、映画は米国とイラクとの間で対称的なものとはなっていない。たとえば、この映画の上映とディスカッションが行われた「中東カフェ」(>> リンク)では、「米国兵士それぞれに名前があって、人格があって、家族や人生が描かれていたのに、登場するイラク人の名前さえわからないまま映画は終わる」という指摘がなされている。これに対し、取りまとめの酒井啓子さんは「これは米国の映画だ。米国市民に反戦を訴えることを目的にしているから、米国人のみを描いている」とコメントしている。さらには、人ごとではなく、このような軍事行動に加担し続ける日本人が観るべき映画だと考えた。
■『ドラえもん 新・のび太の宇宙開拓史』
家族で観に行った。『のび太の恐竜2006』以来、どの作品でも、筆ペンのような線のキャラクター描写が素晴らしいと思う。本作では、さらに身体のデフォルメが手馴れてきたような感がある。テレビとは別物である。
『のび太の恐竜2006』同様にリメイクであり、ストーリーは、小学生のころに「宇部東宝」(たぶん)で観た『のび太の宇宙開拓史』と大きくは変わっていない。何しろドラえもん映画30周年ということで、小学生のときに観た映画のリメイクを、小学生を連れて観るとは感無量(笑)である。
開拓民が住む星に貴重な資源があるからといって、デベロッパー企業があらゆる汚い手を使って、開拓民たちを追い出そうとする。まるで成田だ。違う点は、最後に警察が助けにくること―――という皮肉は置いておいて、前作『緑の巨人伝』と同じく良い作品だ。常に子どもの目線での正義があり、出会いと別れが描かれる。ドラえもんよ永遠に。
■TBS『ウミガメが教えてくれること』
元ちとせが新曲とともにナビゲーター役として登場するというので、楽しみに観た(TBS、2009/3/21)。ウミガメの生育環境が無くなっていること、日本からメキシコへ旅し、再び産卵のために日本に戻ってくることなどが示された。
しかし、話が散漫で、子どもの芸能人を登場させたりして良い印象は持たなかった。番組のディレクターは「番組は、環境保護とかウミガメを守ろうとか声高に訴えない。視聴者にウミガメに気持ちを近づけてもらい、自然界を生きる知恵、命をつなぐ作業の尊さなどを感じてもらえれば」とコメントしている(東京新聞、2009/3/7)。それでは「癒し」映像と何が違うのだろう。作り手も視聴者も、何も考えないだけではないか。
ところで、元ちとせだが、<脱力して鼻から声を抜く>ような歌い方が妙に目立っているような気が。